認知症と生きる

「死んじゃおうか」と思った介護者が立ち直るまで:認知症で激変した優しい妻、どん底から救ってくれた家族会

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認知症の身内の介護に疲れ果て、家族が殺(あや)めてしまう痛ましい事件が増えている。妻と父母の3人を介護した「認知症の人と家族の会」理事の三橋良博さん=横浜市=(73)も、自死を考えるほど追い込まれた1人だ。だが、同様に介護に悩む人たちとの交流を通じて、立ち直った。現在は孤独な介護者たちに寄り添う伝道師として全国を走り回っている。

三橋 良博 MITSUHASHI Yoshihiro

公益社団法人「認知症の人と家族の会」理事、同会の神奈川県支部副代表。1953年生まれ。若年性認知症家族会「彩星の会」副代表。若年性認知症と診断された妻と認知症の両親の3人を仕事をしながら介護。同じ境遇の介護家族のため、自らの介護経験や家族会の意義について、情報発信や講演会などの活動を全国各地で行っている。

「この先どうなるんだ」

穏やかな表情に優しい語り口の三橋良博さんには、とても介護生活の苦労を感じさせるような険しさはない。実際には仕事をしながら妻と父母の3人の介護を一手に引き受ける壮絶な日々を経験してきた。

妻の芳枝さんと出会ったのは、19歳だった1972年。アルバイト先である神奈川県内のデパ地下の食品売り場が隣り合わせとなり、一目ぼれ。23歳で結婚した。週末は旅行や食事、映画によく出掛け、仲むつまじい2人だった。横浜市内で文房具関係の自営業をしていたので、芳枝さんは経理や箱詰めの仕事も手伝っていた。

ひな祭りのイベントに参加した三橋夫妻、妻の芳枝さんは病院から許可を得て久しぶりに外出した=2011年3月3日(三橋良博さん提供)
ひな祭りのイベントに参加した三橋夫妻、妻の芳枝さんは病院から許可を得て久しぶりに外出した=2011年3月3日(三橋良博さん提供)

ところが、97年ごろから芳枝さんが突如、頭痛や吐き気を訴えるようになった。うつ病の診断だったが、一向に良くならず、さまざまな医療機関を回った結果、2005年に52歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された。当初は同じ食料を大量に購入し、冷蔵庫が納豆パックでいっぱいになる程度の異変だったが、その後は急速に病状が進行した。

芳枝さんは夫に暴言を吐いたり、夜中の3時ごろに目を覚まして、突然夫の頭を殴ったりするようになった。控えめで優しく思いやりのある妻だったのに「人格も変わっていくし、できないことも増えてきて、この先どうなるんだろう」と、不安に襲われた。

自営業の三橋さんは車で営業の外回りをしていると、「妻は1日に100回ぐらい携帯電話に留守電を入れてくるんです」。ある時、同居する母から「2階ですごい物音がする」と仕事中に電話があり、急いで帰宅。ベッドは分解されて、テレビは転がり、壁紙ははがされていた。椅子は2階から突き落としたのだろうか。バラバラになって庭に転がっていた。

混乱の毎日

後で分かってきたことだが、妻の行動にはそれぞれ理由があると思えた。度重なる電話や破壊行為は夫がいない寂しさや依存心の表れと考え、ある時から妻を車の助手席に乗せて営業に出るようにした。夜中に殴りかかって来るのは「隣に見知らぬ男がいると思い込み、自己防衛しようとしたのではないか」

しかし、当時は日々の対応に追われて、そんなふうに考える余裕は全くなく、混乱の毎日だった。そして徘徊(はいかい)が始まる。「家のそばの高速道路に入って行ってしまったんです。110番通報があって高速の路上で保護されました」。鉄道の踏切に入って電車を止めてしまうこともあった。

妻の発症からわずか3年後の2008年、三橋さんは精神疾患の社交不安障害を患い、営業の外回りができなくなった。「もう妻といっしょになって死んじゃおうかと、ふと考えた」と打ち明ける。

芳枝さんは10年に、最も重い「要介護5」と認定。家で介護するには限界をとっくに超えており、認知症専門病院に保護入院させた。このころ悪いことに年老いた父や母までもが認知症になり、一時は3人を同時に介護する事態に陥った。

家族会との出会い

極度に思いつめていた三橋さんは2008年4月、わらにもすがる思いで全国組織の「認知症の人と家族の会」に出てみようと思いついた。2年前に入会していたが、敷居が高くて参加できずにいたのだ。その日も会場近くの公園で、1時間近く出るか出ないか迷っていた。

意を決して会場に入る。自己紹介から始め、仲の良かった妻が突然、認知症になって、すっかり様子が変わったことや、介護の悩みを打ち明けると思わずボロボロと涙がこぼれ落ちた。その間も自宅の妻から携帯の着信音が鳴りやまない。自分をさらけ出すと、参加者から「分かるよ。大変だよな」と言葉をかけられた。

アドバイスも受けた。「奥さんは人格が変わったのではなく、病気がそうさせているのだから、怒っちゃだめだよ」。外部の人間ではなく、経験者の言葉は素直に胸の内に入って来て、受け入れることができた。妻の排せつの処理など、他人には明かせない悩みも家族会なら本音で相談できるようになった。

日々の介護疲れで何をしても楽しくなく、笑うことを忘れていたが、家族会には大変な境遇なのに大声で笑い飛ばす人もいて、驚いた。固く閉ざされていた心は、少しずつほどけていった。

孤独と暴力

少子高齢化や核家族化の中で、「老老介護」や子ども一人だけで親を介護するケースが増加、介護者は孤立し孤独に陥りやすい。三橋さん自身も「介護のつらさや悲しさを分かってくれる人は一人もいない」と思い込んでいた。そこに手を差し伸べてくれたのが家族会だった。

孤独感はストレスを生み、つい暴力をふるうことにつながりやすい。厚生労働省の調査によると、家族など介護者による高齢者の虐待は相談・通報ベースで2024年度に4万1814件あった。12年連続で増加し、調査開始(06年)以来の過去最高を更新。26人が死亡した。

介護者による高齢者虐待(相談・通報件数)

同年には東京・国立市で71歳の長女が102歳の母親を老老介護の末、殺害する事件が発生。被告は公判で「自分1人しかいなくて誰も助けてもらう人が浮かばず、思い詰めてしまった」と供述したと報じられている。

家族会でも、認知症の身内に灰皿を投げつけるなど、暴力をふるってしまったと打ち明ける人が何人もいるという。暴力をふるうのは主に男性だ。責任感が強すぎて、空回りするきらいがある。「『懸命に介護の努力をしているのに、なんで少しもよくならないのか』と怒りが湧いてしまうのでは」と三橋さん。

体験談を聞いて、「手を出したくなるのは自分だけではないんだ」と自分の姿と重ね合わせ、「妻には絶対に手を出さないようにしよう」と思いを強くしたという。

支えてくれる仲間

「介護は独りでは無理。誰かの助けが必要」と三橋さんは訴える(撮影:持田譲二)
「介護は独りでは無理。誰かの助けが必要」と三橋さんは訴える(撮影:持田譲二)

家族会で自分の思いを吐き出し、周りに理解されることで、すっきりした表情で帰る人は多いそうだ。もちろん家に戻れば、いつもの大変な「日常」が待っている。だけど「癒やし」と「絶望」の反復を繰り返していくうちに、「振れ幅はだんだん小さくなって、介護を受け止められるようになる」と話す。

妻の芳枝さんは2025年、72歳で息を引き取った。認知症と正式に診断される前も含めて計28年にも及ぶ闘病生活。三橋さんは家族会や地元町内会、友人らの支えのおかげで介護を全うできたと振り返る。今は、その恩返しに「認知症の人と家族の会」本部理事(神奈川県支部副代表)として、全国を飛び回り、自身の経験や家族会の意義について講演している。

家族会は時に、「仲間内で傷をなめ合っているだけ」と批判されるというが、三橋さんはこう呼び掛けている。

「自分一人ではなく、(家族会には)理解してくれる人、支えてくれる人が必ずいます。仲間ができれば、もうちょっとがんばろうかと一歩前に進める機会になる」

◇公益社団法人「認知症の人と家族の会」(本部・京都市)
問い合わせ先は電話050-5358-6580かメールoffice@alzheimer.or.jp
全国47都道府県に支部がある。

バナー写真:講演で話す三橋良博さん=横浜市内で(撮影・持田譲二)

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