新たな “越境作家” グレゴリー・ケズナジャット『鴨川ランナー』:「日本語と英語、“2人”の違う自分を生きる」

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京都市が2019年、新人作家の発掘を目指して創設した「京都文学賞」は、「海外部門」を設けて留学生をはじめ外国籍の人が日本語で書いた小説にも門戸を開く。21年春、満場一致で「海外部門」のみならず「一般部門」でも最優秀賞に選ばれたのは、米国出身グレゴリー・ケズナジャットさんの「鴨川ランナー」だ。自らの体験を色濃く投影した作品が生まれた背景を聞いた。

グレゴリー・ケズナジャット Gregory KHEZRNEJAT

1984年、米国サウスカロライナ州生まれ。2007年、クレムソン大学を卒業後、外国語指導助手として来日。17年、同志社大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期修了。現在は法政大学グローバル教養学部准教授。21年、「鴨川ランナー」で第2回京都文学賞受賞。

「オマモリ」と「アミュレット」

第2回京都文学賞受賞作の「鴨川ランナー」は、高校・大学時代に日本語を学んだ米国人青年が主人公だ。16歳の時に2週間滞在した京都に戻りたいと、文部科学省の英語指導助手プログラム(JET)で来日し、京都に隣接する町の中学校に派遣される。「ネイティブの先生」の枠組みに押し込められた中学校、英会話スクールでの体験、英語指導助手たちとの交流、谷崎潤一郎の文学との出会い、主人公の目に映る京都の街、鴨川沿いの光景などが、二人称「きみ」の淡々とした文体で語られる。

フィクションではあるが、グレゴリー・ケズナジャットさん自身の経歴と重なる部分も多い。「外国人」としての京都での体験を投影した作品といえば、芥川賞候補にもなった『いちげんさん』(1997年)が思い浮かぶ。著者は同志社大学で文学を学んだスイス出身のデビッド・ゾペティで、谷崎の「春琴抄」をモチーフに、古都での「僕」の疎外感、盲目の女性との出会いと恋、別れを描いた。

一方、「鴨川ランナー」は、主人公の異邦人としての日常を描きながら、内省的に「言語」「翻訳」「コミュニケーション」を問い直す物語だ。冒頭部分で、16歳当時の主人公は京都の寺を観光しながら、「オマモリ」を英語の「アミュレット」と訳したとき、「何かが失われてしまうのではないか」と気になって仕方がない。本作が投げ掛ける大きな疑問符の一つだ。

日本語の文字に魅了される

米国南部サウスカロライナ州の地方都市グリーンビルに近い、小さな町で育った。父親はイラン出身で、英語とペルシャ語を話す。

「子供の頃、2つの言語を使い分ける父に憧れました。2人の自分がいるみたいでした。イランの実家から手紙が届くと、父はそれを読んで、内容を英語で話してくれる。“あの文字にすら見えないものに、ちゃんと意味があるんだ!”と当たり前のことに感動しました」

高校時代に日本語と出会う。当時グリーンビルは日本企業誘致に熱心で、通った高校には日本語の授業があった。ペルシャ語と同様、英語とは全く異なる文字に挑発され、魅了された。

大学ではコンピューター・サイエンスと英文学を専攻しながら、日本語の勉強を続け、2007年、ALT(外国語指導助手)として来日。契約期間を終えてからも帰国せず、同志社大学大学院への進学を選んだ。

「単純に京都に残りたいという気持ちもありましたが、米国の大学院で、外からの目線で日本文学を研究するよりも、その内側に入り込み、日本語と日本文学に浸りたかったんです」

現在は東京在住だが、数カ月に1度は京都に行く。「故郷ではありませんが、10年間住んでいたので、関西弁を聞くたびに『ああ、帰ってきたんだな』と感じます」

「きみ」と「僕」を使い分ける

「鴨川ランナー」を書く際、どの人称を使うか試行錯誤したと言う。

「それぞれのメリットはありますが、『鴨川ランナー』の内容を一人称で語ると、おそらく日本語を母語とする読者に対して、そうではない語り手が、感情的に訴えているようなニュアンスが出てしまう。三人称だと、語り手が読者と肩を並べて、一緒に主人公を見る図式になる。そこで二人称を試しました。読者と語り手の間の境界線を適度にぼやかしてくれる力学がある気がしたんです。同時に、自分の経歴と重なる部分のある主人公から距離を置く効果もありました」

10月末、同作と書き下ろしの中編「異言(タングス)」を収めた単行本が刊行された(講談社)。

「異言」の主人公(マイク)は、勤めていた英会話学校が倒産し、恋人の百合子の家に居候する。フリーランスで始めた技術翻訳の仕事に行き詰まっていた時に、友人から結婚式の牧師役のアルバイトを紹介される。日常ではどこで何をしても「英語を話す人」でいなければならない。恋人はセックスの最中でも英語を使おうとするし、「牧師」としてはたどたどしい日本語で話すことを求められる。そんなマイクの戸惑いが、「僕」の文体で描かれる。

「『異言』はあえて一人称で、マイクの主観を強く出したかった。ユーモアを入れて、とげもある小説を試みました。日本に長く住んでいても、日本語を話さない英語圏の人たちは少なくない。日本語で生活しようと思っても英語で話せという暗黙のプレッシャーが強くて、不本意にも“英語をしゃべる外国人枠”に入れられてしまう。その状況に滑稽さもあって、また哀愁もある。小説を通じてそれを探求してみたいと思いました」

英語で取材されて抱いた「違和感」

日本語を勉強し始めたとき、日本語の一人称が「謎」だった。「英語には “I” しかないので、“僕”と“わたし” の違いがよく分からなかった。日本に来ると、周りの男子学生たちはみんな “俺” を使っていました。いつ “わたし”、“僕”、“俺”を使えばいいのかと悩みました」

また、英語の “I”と “僕” は同じではないという感覚がある。

「たまに日本語で話し掛けるとすかさず、 “Oh, you can speak in English.” と英語で切り返され、当惑することがあります。相手は合わせようとしてくれているのでしょうが、逆に日本語から追い出されたように感じます。英語で考えて日本語に訳しているのではなく、日本語の中の立場から話しているからです。『本当の自分』が母語にあると思われがちですが、言語ごとに新たな自分が培われるのだと思っています。日本語を使うとき、英語を使うときでは、アイデンティティーが少し変わる気がします」

京都文学賞を受賞後に、母国の大学から取材を受けた。もちろん英語だ。「意外と話しにくかった。母語ですから、どちらかと言えば英語の方が自由に表現できるはずです。でも文学研究も創作も日本語でやってきたので、その関連の話題になると日本語がおのずと出てくる。むしろ英語で話している方が、翻訳しているかのような感覚があります。『いまは日本語で話したい』という気持ちがあったからです」

なぜ日本語で書くのか

デビュー作『星条旗の聞こえない部屋』で、「西洋出身者」として初めて野間文芸新人賞を受賞(1992年)したリービ英雄は、その後書きで、「なぜ日本語で書くのか」とよく聞かれると書いている。今年芥川賞を受賞した李琴峰を含め、母語ではない日本語で執筆する作家なら、一度は問われたことがあるはずだ。

「リービさんの作品の素晴らしさは、日本語で書かれたことも関係していると思います。本人も折に触れて、翻訳を介さず日本の読者に直接伝えたかったと言明しています」とケズナジャットさんは指摘する。「例えば『星条旗の聞こえない部屋』の英訳は、あくまでも“若者が海外に滞在して感じる差異の中で、自分を発見する物語”の類型に沿った“面白い小説”として読まれてしまうかもしれない。小説を翻訳すると作品の内容だけでなく、読者と、読まれるコンテクストも変わります。日本語で読んだ一読者として、私が肝心だと感じたものは失われている気がします。良いか悪いかではなく別のものとして読めてしまうのです」

「父、母からは、どうして自分たちが読めない日本語で書くのかと言われました。家族や日本語ができない友達が読めるという意味では英訳が出れば有り難いですが、実際、訳しましょうかと誰かに聞かれたら、多分ちゅうちょすると思います。悩ましいところです」

日本語で書き、翻訳もされなければ、必然的に「世界文学」にはなり得ない。

「別に世界の読者に読んでもらいたいとまでは思いません。一つの作品のために日本語で文章を作り上げていくこと自体が楽しい。ただ、強く意識しているわけではないですが、いまの安易な英語崇拝、“グローバル・イングリッシュ”の覇権への抵抗もあるかもしれません。文学が境界を越えるのはいいことだが、翻訳を介さない方法もある。その意味で、日本語を母語としない作家が日本語で書く、あるいは多和田葉子のように、日本語を母語とする作家が外国語で執筆することに大きな意義があると思います」 

“見たい日本”を投影する翻訳文学

英語圏における“Japanese literature”の紹介は、「いつの時代でも、英語圏の読者が見たい日本像を投影している」とケズナジャットさんは指摘する。

「戦後は、良き同盟国としての日本―優しい、女性らしい、伝統的―といった、ジャポニズムに基づいたイメージが求められ、最初に英訳された作品はその期待に応えた。現在のJapanese literatureは以前よりはるかに日本文学の本来の多様性を示しています。しかしそれもまた、現在の読者の変遷を反映しているのかもしれません」

研究者としては、谷崎潤一郎の文学や英訳を主なテーマにしてきた。将来的には、創作を中心にしたいと思っている。現在は、2つの物語を執筆中で、その1つは米国南部が舞台だ。

「以前、シリン・ネザマフィ(2度にわたり芥川賞候補になったイラン出身の作家)の『白い紙』を読んで、日本ではなくイランを舞台としたことに感心しました。でも、芥川賞の選評で、この小説を日本語で書く必要はどこにあるのかという見解が挙がりました。読者の期待に沿わなかったのかもしれない。日本語 “越境文学” に対し、『日本における異邦人の体験を描いてほしい』という要望があるように感じます。自分のデビュー作もそのような物語になりましたし、もちろんあってもいいと思います。でも、越境文学はもっと自由であってほしい」

バナー写真:グレゴリー・ケズナジャット氏(撮影:ニッポンドットコム)

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