龔軼群(キョウ・イグン)「あらゆる人に平等の機会を」―外国籍や生活困窮者など “住宅弱者” を支援

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日本では賃貸物件の供給過剰が進み、空室率は増加の一途をたどる。その一方で外国籍や生活困窮者、障害者、LGBTQや高齢者など、住みたい物件を借りにくい状況にある人たちがいる。こうした「住宅弱者」の住まい探しを支援する事業に取り組むのが、不動産情報サイトを運営する「LIFULL(ライフル)」の社員、龔軼群さんだ。NPOで難民支援の活動にも力を入れる龔さんに、中国籍の自らの体験や、社会的弱者支援に込めた思いを聞いた。

龔 軼群 GONG Yiqun

1986年、中国・上海出身。5歳から日本で暮らす。2010年、中央大学総合政策学部卒業後にLIFULL入社。19年から、住宅弱者に親身に寄り添う不動産会社を紹介する「FRIENDLY DOOR」事業責任者。途上国の貧困問題、国内の社会的養護下にある子どもたちや難民の支援などに取り組む認定NPO法人「Living in Peace」でも活動し、18年から代表理事を務める。

「留学生は入居させない」

「国が留学生を増やそうとしているのに、不動産の受け皿が十分になかったら大変ですよ!」

龔軼群(キョウ・イグン)さんは、LIFULL(当時はネクスト)の採用面接でそう強くアピールした。ちょうどその頃、上海から留学生として来日したいとこの家探しを手伝っていた。日本人の保証人がいるにもかかわらず、「留学生は困る」「中国籍はダメ」と不動産屋からことごとく断られた。

政府は2008年に「留学生30万人計画」を打ち出したが、受け入れ態勢は十分ではなかった。日本全国に住まい探しに苦労している外国籍の若者がいる。目の前で困っている誰かを助けるだけでは限界がある。だからこそ、「ポータルサイトを通じて留学生を支援したい、不動産業界の外国籍への偏見をなくしたい」と訴えて採用された。

「学生時代は実家住まいだったので、いとこの件があるまで、外国人が入居先を探すのにどんなに苦労するか分かっていませんでした」。だが、外国籍であるがゆえの不自由さはよく知っていた。

「暗黒時代の始まり」

上海生まれのキョウさんは5歳の時に来日。日中友好平和条約締結(1978年)以降の人的交流の増大を背景に、父親は留学生として単身日本に渡り、卒業後はエンジニアとして働いていた。日本で家族と共に暮らしたいと、妻と娘を呼び寄せたのだ。

日本の保育園から公立小学校へ進学。当時、学校には他に外国籍の子どもはいなかった。日本語はほぼ独学で習得した。

「電車の中で、両親と中国語と日本語のミックスで話していると、他の乗客からじろじろ見られました。小学校でも、他の子と違うなという感覚はありました。でも、友達はできたし、中学校でも周囲に溶け込んでいました。自分のアイデンティティーで悩み始めたのは高校時代からです」

英オックスフォードで2カ月間の高校生向けの研修に参加した。仲のいい友人たちと一緒の初めての海外だ。名前を除けば、外見は日本人と違わない。でも、日本人の友人よりもビザの取得に時間もお金もかかったし、出国には再入国許可の手続きが必要だ。改めて、自分は日本人ではないと思い知らされた。

英オックスフォードでの研修で。右端が龔さん(本人提供)
英オックスフォードでの研修で。右端がキョウさん(本人提供)

「研修にはいろいろな国から高校生が参加していました。台湾の同学年の子に、あなたは日本人じゃないから付き合わないと目の前で言われた。日本から一歩外に出ると、日本人の友人たちと同じには見られない。私は何者なのか。これが私の“暗黒時代”の始まりでした」

それまで、数年に一度は両親と上海に帰っていたが、日本育ちの自分は中国社会に属していないと感じていた。

「親は中国人であることに迷いがない。例えば、世界卓球で日中が競えば、親は中国を応援します。私は、国別で戦うこと自体が嫌で、五輪をはじめ国別で戦う競技を受け入れられなかった」

「なんで国籍という、自分では選べないものに縛られなければならないのかと思うようになりました」

帰化はできずに就活へ

一度、自分のルーツと向き合ってみようと、大学時代、上海の復旦大学に1年間留学した。そこで出会ったのは、自分と同様、中国にルーツを持ち海外で育った若者たちだ。自らのアイデンティティーについて、さまざまな捉え方をしていた。

「中国東北部生まれで日本に帰化した学生は、名前は日本人。でも、家庭では中国の価値観が強く、ギャップに悩んでいました。私が刺激を受けたのは、米ハーバード大から来ていた華僑の医学生です。『私はアメリカ人』と何の迷いもなかった」

「私は常に、相手目線で、この人から見たら私は何者なのかということばかり気にしていた。でも、同じようなバックグラウンドを持つ人たちの多様な考え方や価値観に触れ、自分で決めていいのだと気付いて少しずつどん底からはい上がりました」

帰国後、外国籍だと就活に不利になるため帰化しようと考えた。役所で申請しようとしたが、上海留学で1年日本を離れていたために、帰化申請の資格がないと却下された。

実際、就活を始めると、中国籍が不利に働くこともあった。それでも前向きに、日中を結ぶ新しいビジネスを作り出したいと貿易商社への就職を目指したが、志望の大手は最終審査で不採用。自分はベンチャーの方が向いているのではと思い始めていた時に、いとこの住まい探しで苦労した。その経験に背中を押され、当時急成長していたLIFULLの採用選考に挑んだ。

「(採用担当者に)私の課題観を具体的に示すため、当時住んでいた川口の駅前の不動産会社を10社ほど回り、なぜ外国人はなかなか入居できないのかヒアリングしました。『大家さんが嫌がる』という理由がほとんどでした」

ごみ出しのルールを守れないのではないか、夜中に大騒ぎするのではないか—言葉や文化の違いが生むかもしれないさまざまなトラブルを、大家は恐れているのだと知った。

専門家と連携して支援

就職後、最初から望む仕事ができたわけではない。「紆余曲折があり、営業職を経て『FRIENDLY DOOR』の開設まで9年かかりました」

「FRIENDLY DOOR」(以下FD)は、外国籍だけではなく、LGBTQ、生活保護利用者、高齢者、シングルマザー/ファザー、被災者、障害者などの「住宅弱者」に親身に寄り添う不動産会社を探せるサイトだ。

間口を広げた背景には、社内の社会活動委員会の立ち上げメンバーとしての経験があった。その活動を通して、生活困窮者を支援する認定NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」とつながった。もやいはNPOとしては初めて宅地建物取引業免許を取得し、不動産仲介も手掛けていた。

住まい探しで困っているのは外国籍の人たちばかりではないし、生活困窮者は、高齢者から障害者までさまざまだと視野が広がった。

「もやいとの協議で、生活保護利用者も、外国籍の人たちも、家を借りにくい原因は同じだと分かりました。家賃滞納や孤独死、近隣とのトラブルなど、入居後のトラブルを恐れているオーナー(家主)が多いことです。実際のリスクがどの程度なのか、どんな対応をすればリスクを低減できるかを知ってほしい」

不安を解消する取り組みとして、不動産会社・オーナー向けのセミナーを実施してきた。もやいなどのNPOや、高齢者専門の「R65」、LGBTQの当事者たちが立ち上げた「IRIS(アイリス)」、障害者に寄り添う「メイクホームグループ」など、専門的な知識を持つ不動産会社や居住支援法人と連携して、現場に即した知見を共有してもらう。例えば、生活保護利用者なら住宅補助の仕組みを知っておくと、家賃の上限の目安が分かる。高齢者なら、親族に異変を知らせる見守りシステムがあれば、貸し手の心理的負担は減るはずだ。

不動産会社向けに、LGBTQ、障害者、外国籍の人にサービスを提供する際の留意点を確認できる「接客チェックリスト」の提供も始めた。外国籍対象のリストは、長年、外国人向け賃貸の促進に取り組んできた「公益財団法人日本賃貸住宅管理協会 あんしん居住研究会」の荻野政男会長が監修した。在留資格の種類などの基礎知識から、来店時の接客のポイント、引越し・入居後に気を付けるべきことなどが確認できる。

まず、住宅弱者に理解があり、オーナーと交渉できる不動産会社を増やしたい。FD開設当初は、登録不動産会社は400店舗程度だったが、現在は4400店舗まで増えた。早期に6000店舗を目指したいと意欲的だ。

「住宅弱者でも経済的に困窮していない人たちはたくさんいます。全国で約850万戸空室があるのに、みすみすビジネスチャンスを逃している。きちんとリスク評価をした上で対策を講じ、入居してもらった方が、空室のままよりずっといいはずです」

プロボノ活動と「シナジー効果」

コロナ禍と物価高で、生活困窮者の深刻な状況が表面化した。

「リーマン・ショックの頃よりも生活保護を申請する人が増えています。(国や自治体が家賃を支給してくれる)『住宅確保給付金』という制度がありますが、まだまだ公的支援は不十分です」

特に気になるのは、若者の貧困だ。「もやいは毎週土曜日、都庁前で食料を提供しています。利用者は今700人を超えていて、若い人たちが増えていると聞きました」

家族に頼れない若者や、入居審査が通りにくいフリーランスの住まい探しも、FDで支援できないか検討中だ。

本業の他に、「プロボノ」(職業上の専門知識や技能を生かして参加する社会貢献活動)にも取り組む。2015年に認定NPO法人「Living in Peace」に参加、18年からは難民支援の事業を新たに立ち上げ、代表理事を務める。

「NPOでは難民2世などの就活や日本語学習を支援してきました。ウクライナでの戦争が始まってから、メイクホームなどと連携して、FRIENDLY DOORで難民・避難民の支援窓口を開設しました。本業とプロボノ活動がいろいろなシナジー効果を発揮しています」

「住まいは、人が生きていく上の根幹。“住宅弱者”がいなくなるのが理想です」。その思いで、日々着実に理解の輪を広げている。

東京・千代田区のLIFULL本社で
東京・千代田区のLIFULL本社で

撮影:大久保 惠造(バナーとインタビュー写真)

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