日本育ちの「日台ハーフ」が初の台湾長期生活で経験した驚きと戸惑い

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台湾に「帰る」と表現してきた私

日台「ハーフ」(※ミックスやダブルという言葉もあるが、筆者は自分自身を指す場合「ハーフ」になじみがあるのでこれを使用する)の筆者にとって、日本と台湾は常に「帰る」場所である。

日本に生まれ、日本で育ち、日本に家がある。でも、父親は台湾人で、台湾には祖父は叔父、叔母、それにいとこたちがたくさん暮らしている。子どもの頃より、日本から台湾には「行く」ではなく「帰る」という言葉を使って台湾へ向かうことを表現していた。

台湾に帰ったとき、父が実家で話す言葉はもっぱら台湾語であった。生活の基盤が日本にあり、さらに母が日本人で父が外国人となると、家庭内の言葉は日本語が主流となってしまう。そのため、筆者が幼少の頃は日本語しか話すことができず、台湾語は自分の好きな食べ物の名前しか理解することができなかった。

小学校に上がる頃、「中国語が話せた方がいい」という親の判断から近くの中華学校に通うこととなった。日本には台湾(中華民国)系と中国(中華人民共和国)系の中華学校があるが、筆者の生まれ育った神戸には中国系の中華学校しかない。父は、中国系の学校に通わせることに難色を示していたというが、大阪にある台湾系の中華学校は家からは遠く、小学校低学年から一人で通学できるような距離ではなかった。そのため、筆者は神戸にある中華学校に通うこととなった。

学校で習う漢字は全て中国で使っている簡体字である。小学校に入っても、都合が付けば家族で台湾に里帰りしていたため、学校で見る漢字と台湾で見る漢字(繁体字)がどうも違うことに気が付き始めた。また、父も家でよく台湾の話をしていたこともあり、学校で習う中国や台湾と父の話とでは明らかに違うことにも気になっていた。

極端ではあるが、例えるなら大韓民国からやってきた人の子どもが朝鮮民主主義人民共和国系の朝鮮学校に通うような感じであろうか。

いろいろとあったものの、中華学校に入って良かったのは中国語を話すことができるようになったことである。しかし、いかんせん日本で生まれ育ったため、自分の話す中国語にはなまりがあり、現地の人のようにまくしたててしゃべることはできない。それでも、台湾の友人に言わせれば、成人してから中国語を学習した人よりは、「日本人なまり」なくしゃべっているという。

「なまり」に敏感な台湾社会

筆者は2018年秋ごろから台湾の研究機関に在籍している。それは人生で最も長く台湾に身を置いている期間でもある。そして、台湾で最も困るのが自己紹介をするときである。子どもの頃から台湾はもう一つの故郷であり、自分のことは「日本人でもあり台湾人もある(完璧な日本人ではない)」と思ってきた。そのため、台湾で自己紹介するなら開口一番「日本で生まれた日本と台湾のハーフです」と言っていた。もしこれを言わないでいると、「どうして中国語がそんなに上手なの?」と聞かれてしまい、それはそれで説明が必要になる。

しかし、「日本生まれの台湾人」だとか「日台ハーフ」といっても、生まれも育ちも台湾の人からのまなざしは時に厳しい。昨年、台湾のある研究会で通訳をした時である。台湾の先生が近づいてきて、中国語で「あなたは日本人ですか」と聞いてきた。そこで、「日本で生まれたハーフです。父が台湾人です」と答えると、首をかしげながら、「台湾人?でもあなたの中国語は台湾なまりじゃないですよ。どうして」と言ってきた。そこで、「日本で中国系の中華学校に通ったので、なまりに影響があるのかもしれません」と答えたら、「台湾人でしょ?どうして中国系の学校に通うの?」とまた首をかしげられた。

筆者は別に自分の意志で中華学校に通ったわけではない。また、そこに通ったことで生じた葛藤を初対面の人と長く話すわけにもいかず、その場はやり過ごした。ただ、自己紹介をするとよく台湾人から「どうして」「なんで」という投げ掛けをされる。それは、台湾で生まれ育った人たちから見て、自分は異質な「台湾人」であるからでもあろう。

台湾にとって「中国語(北京語)」は戦後、国民党が持ち込んだものである。そのため、中国語の「なまり」で自と他を区別してきたのではないかと推察する。日本でよく台湾人留学生と関わるのだが、初めて会って中国語を話すと、10人が10人、「香港人ですか?」と聞いてくる(香港人に言わせると自分の中国語は台湾なまりだそうだが)。生きていく上では大したことではないのだが、台湾は中国語の「なまり」に関して一番「敏感」な場所だと痛感している。

二つのアイデンティティーが合わさった私

台湾であった衝撃的な体験をいくつか。

台湾でも自分のことを指して「日本人」と言われると何とも言えないモヤモヤした気持ちが生じる。それは日本で「台湾人」と言われても同様である。

ある日、台湾の知人に誘われ食事会に参加した。周りに知り合いがいない中、主催者の知人の友人は筆者を指して、「彼は中国語を話せる日本人」と紹介して回った。こちらが「ハーフ」だと言っても、いまいち理解できていないようであった。

また別の日のこと。在日台湾人についての質問を受けていて、「どうして日本で生まれ育っているのに台湾のことを考えるのか。日本のことを考えていたらいいのではないか」と言われたことがあった。質問者は深く考えていなかったかもしれない。自分にとって台湾は親の生まれ育った国である。無関心ではいられなかった。逆に関心を持ち過ぎてしまうがために、「台湾に帰ってきた」とか「日本生まれの台湾人」という言葉を多用してしまう。そのため、台湾でずっと暮らしてきた人から不思議に思われても仕方がない。

日本にいると日本のニュースは意識せずとも入ってくる。日本の空気を吸っている。でも台湾に関しては、日本から向かうしかなく、そして自分で調べることでしか台湾を感じることはできなかった。

あまり良い表現ではないが、自分のことを「完璧な日本人」とも「完璧な台湾人」とも思っていない。〇〇人に完璧のものなんてないことや、「普通の〇〇人」というものが幻想であることは分かるし、今でも自分が何者かということに悩まない訳ではない。むしろ二つが合わさって一つだと思っている。そこにきて、「どうして台湾のことを考えるのか」という質問はショックであり、驚きと戸惑いを感じた。

ただ、いずれも自己紹介や初対面の場で起きていることである。それが過ぎれば、人として友達になるし、なまった中国語であっても皆一生懸命話を聞いてくれる。こうしたことも初めてとなる台湾での長期生活中での得難い経験であると考えている。どれだけ台湾で言うところの「なまり」を克服できるか、練習してみたいと思う。

バナー写真=Carlos / PIXTA

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