日中文化考 (1):茶館と喫茶店

社会

一日本人(一人の日本人)が観た中国の様々な文化と日本との比較をテーマに話していきたい。題して「日中文化考」。

第1回は中国の茶館と日本の喫茶店を取り上げる。

茶芸館との出会い

「日常茶飯事」という言葉があるように、茶は毎日の生活に欠かせない。私はもともと茶が好きだったが、中国の茶文化に魅せられるようになったのは、1988年11月に台湾に行ったときのことだ。台湾南部の高雄で、「茶芸館」に入ったのがきっかけである。

紅い中国服に白いカーデガンを羽織った若い女性から、香り高いウーロン茶が優雅な作法で供された。レンガ造りの室内は上品な家具に囲まれ、書の額もかかっていた。ゆったりとした時間が流れ、心が洗われたような感じがした。茶芸館は不思議な空間だった。

中国の茶館の歴史

中国の茶館の歴史は古い。始まりは唐代の8世紀にさかのぼり、宋代には「茶坊」「茶楼」などとして繁盛した。知識人たちが集まって談論風発するサロンのような場になっていたといわれる。

清朝末、成都や杭州では茶館が隆盛を極めたという。しかし、1949年に中華人民共和国が成立してから、茶館の個人経営が禁じられ、国家による経営となった。文化大革命の時代、「茶館はブルジョア的」などの批判を受け、大陸では一時、茶館の多くが姿を消した。78年の改革・開放政策の導入を経て、茶館も復活したのである。

一方、台湾では1970年代から「台湾茶芸」という新しい茶の作法が編み出された。急須(茶壺)で淹れたウーロン茶を小ぶりの円筒形の器に入れ、まず香りを楽しみ、それを別の小さな茶碗に移して口に含む……。こうしたサービスを提供する茶芸館が台湾で80年前後から急増したのだ。その背景には経済発展で人々の暮らしにゆとりが生まれたことや、民主化の進展があったといわれている。

中国では、北京で有名なのが1988年、前門にオープンした「老舎茶館」だ。故ブッシュ元米大統領、中曽根康弘元首相ら世界の要人もここで茶を楽しんだ。今でも外国人観光客が年間数万人訪れるという。

北京では90年代から茶館が増え出した。北京人は茉莉花茶(ジャスミン茶)を持ち歩いて飲んでいるが、ウーロン茶を台湾式茶芸で提供する茶館も現れた。94年に東城区で開店した「五福茶芸館」が皮切りだったといわれる。

私は20世紀末(1996―99年)と21世紀初頭(2002―04年)の計5年間、北京に駐在した。この間、茶館によく通った。

茶館巡りの旅

私は2004年1月28日から2月4日までの8日間、中国各地の茶館を巡る旅に出た。北京からアモイ、重慶、昆明、成都に飛び、20カ所以上の茶館などお茶に関する施設に足を運んだのである。

福建省は半発酵の茶、ウーロン茶の主産地として知られる。台湾海峡に面しているアモイでは2003年3月に開店した「山水茗茶館」の扉を開けた。オーナーは台湾を17世紀に清の版図に入れた英雄の一人、施琅将軍の子孫だという。彼女は「私は茶館を地元の画家や書道家ら知識人が集まるサロンのような場にし、文化的楽しみをお客様に与えたかった」と開業の動機を語った。


福建省アモイの茶館=筆者撮影

人口3千万人を擁する中国最大の直轄市、重慶の茶館も思い出深い。重慶の西部には宋代から続く古い街、磁器口がある。磁器口は長江の支流のほとりに位置し、かつては陶磁器の生産、出荷の拠点だった。明、清の時代の街並みを再現しており、石畳が続く道の左右には「茶館」の看板が多く、地元の老人たちが集まっていた。

雲南省の省都、昆明は常春の高原都市で「春城」と呼ばれる。茶の原産地は雲南省が有力といわれるだけあって、昆明にも茶館が軒を連ねる。翆湖公園にある茶館「緑湖春茶芸」、花鳥市場の一角で1958年から営業している国営の「老茶館」などを回った。雲南人は緑茶好きといわれるが、黒茶に分類される雲南省特産の後発酵茶、プーアル茶も飲まれていた。


昆明の茶館「緑湖春茶芸」=筆者撮影

四川省の省都、成都は茶館が中国で最も多いといわれる。成都では「改天我請你喝茶」(「日を改めてお茶にお誘いします」の意)があいさつ言葉になっているほど、お茶がまさに日常茶飯事。成都市内の「順興老茶館」では、国家試験で茶芸師の資格を取った「茶博士」が白服姿で妙技を披露してくれた。彼はくちばしの長いやかんから、熱湯を卓上の茶わんに目がけて一気に注いだのだ。熱湯は真っすぐな一本の透明な糸のように見えた。

成都では友人と会うのも、仕事の話をするのも、デートをするのも茶館。ビジネス茶館とも呼ぶべき「商務茶楼」がブームになっていた。

日本では喫茶店が減少

日本でも最近、中国茶を提供する本格的な茶館が増えている。中国茶館を紹介する本も相次いで出版されている。しかし、日本ではコーヒーや紅茶が中心の「喫茶店」が一般的だ。

日本では15世紀初頭から、茶を提供する「茶屋」がビジネスとして始まったが、コーヒーを飲ませる日本最初の喫茶店は1888年に東京の上野で創業した「可否茶館(かひさかん)」とされる。1911年に銀座で開店した「カフェーパウリスタ」は日本のコーヒー文化を創ったといわれ、銀座通りで今も健在だ。

名古屋の喫茶店
名古屋の喫茶店=筆者撮影

日本で喫茶店が多いのは東京と大阪の間に位置する大都市、名古屋だ。名古屋人が喫茶店に使うお金は全国平均の2倍との統計もある。名古屋では成都と同様、日常的に喫茶店を利用する。名古屋で計6年半暮らした私は毎日のように、いろいろな喫茶店に顔を出した。

名古屋独自の喫茶店文化で特徴的なのは、「モーニング」である。朝の時間帯にコーヒーなどを頼むと、飲み物代だけでトーストやサラダなどがおまけでついてくるサービスだ。例えば、代表的な喫茶店チェーンの本店の場合、開店から午前11時までブレンドコーヒーなら420円で焼きたてのトーストとゆで卵がつく。名古屋人の朝食は自宅ではなく、出勤前に喫茶店に行くことも珍しくない。

日本の喫茶店は戦後、経済成長とともに増えていった。総務省統計局によると、喫茶店の事業所数は1966年に2万7026店だったが、75年に9万店を超え、81年には15万4630店にまで膨らんだ。ところが、その後は減少傾向にあり、2014年には7万店を切り、最新の統計でもピーク時の半分以下。大規模チェーン店が拡大している半面、個人経営の店が大きく減っているのだ。

神田神保町の有名店「ラドリオ」に行列する中国人観光客ら=筆者撮影
神田神保町の有名店「ラドリオ」に行列する中国人観光客ら=筆者撮影

とはいえ、個性的な喫茶店の人気は根強い。世界的な古本の街、東京の神田神保町には老舗が多い。新中国建国と同じ1949年創業で、「ウィンナーコーヒー」を日本で初めて提供したことで有名な「ラドリオ」には私も学生時代から通っている。今年の春節休暇中、レンガ造りの「ラドリオ」には中国人観光客らも混じった行列ができていた。 

バナー写真:四川省成都市内の茶館で妙技を披露する「茶博士」=2004年2月、筆者撮影

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