虹がはためくのはいつか——日本と台湾のLGBT問題を考える

社会 ジェンダー・性

2019年2月21日、台湾で『司法院釈字第七四八号解釈施行法』(「748法」)草案が行政院から発表された。これは同性婚を明記した法案であり、まだまだ課題が多いが、立法院で可決され施行されれば、今年5月24日に台湾はアジア初の同性婚が可能な国となる。

一方、2019年2月、ついに日本でも同性婚を巡る違憲訴訟が全国各地で提起されたが、保守的な政治環境に鑑みれば、同性婚への道のりはまだ長そうだ。

かつて日本は、台湾の同性愛者にとって楽園だった

さかのぼること50年――70年代の台湾は戒厳令が敷かれている真っ只中だった。そんな閉鎖的な時代は、同性愛者にとって生きづらいものだったことは言うまでもない。白先勇の長編小説『孽子』は、70年代の台北・新公園のゲイコミュニティーの生き様を克明に描いている(あの時代では同性愛者と言えばゲイだけで、レズビアンの存在はまだ可視化されていなかった)。小説の中のゲイたちは家を追い出され、闇夜の公園を彷徨(さまよ)い、警察に追いかけられ、罵詈(ばり)雑言を浴びせられる。コミュニティーのリーダー格の一人が、若いゲイたちが安心して働ける居場所を作ろうと、安楽郷というゲイバーを開店するが、数か月経(た)たずにゴシップ紙の報道で閉店に追い込まれる。

同じ時代の東京はといえば、三橋順子氏の研究によれば新宿二丁目は既にゲイタウンとして急速に発展し、ゲイバーが次々と開店したのだった。台北のゲイからすれば、東京は彼らが追い求める「安楽郷」が何百軒も立ち並ぶ楽園に見えただろう。登場人物の一人、小玉が密入国までして東京に憧れたのも頷(うなず)ける。最近起こっている外国人同性パートナー在留特別資格訴訟の当事者の台湾人男性は、まさしく小玉とほぼ同世代の60年代生まれで、当時の閉鎖的な社会に耐えかねて家出をし、90年代初頭に来日したそうだ。

かつて日本は台湾の同性愛者が羨望する楽園だった。しかし今はどうか。

同性婚の実現に至るまで

90年代から、戒厳令解除ののち政治が民主化され、それまで抑えつけられていた異質的な声が噴出し始めた。中でも顕著だったのは女性権利向上運動と、セクシュアル・マイノリティ人権運動だった。それまで蔑視されてきたことへの反動か、民主化した台湾では人権問題が重要課題として取り組まれるようになった。1993年、台湾大学ではゲイサークルが成立し、翌年、レズビアンサークルも結成された。2000年以降には就職における平等を保障する「性別工作平等法」、教育における平等を保障する「性別平等教育法」が次々と成立。03年、第1回台湾プライドパレード開催。09年、ジェンダー・メインストリーミング実践のため、行政院の下で「性別平等会」が設置された。 

同性婚の脈絡において、最も早く動き出した人物は、後に台湾同性婚裁判の先駆けと呼ばれる祈家威氏である。彼は1986年に裁判所で同性の恋人との公証結婚を求めたが、拒否された。2000年、同性婚ができない現状について司法院に対し違憲訴訟を提起したが、「どこに違憲性があるか具体的に指摘されていない」として不受理となった。民進党政権時代、01年と06年それぞれ同性婚を法律に盛り込む動きがあったが、立法には至らなかった。

11年、ゲイカップル陳敬学氏と高治瑋氏は役所に婚姻届を出し、不受理となった。法定のプロセスを経て12年年末に憲法裁判となったが、13年1月に両氏は訴訟を撤回した。両氏のもとに殺害予告が届いたそうだ。同年、祈家威氏は再び役所に婚姻届を出して不受理になり、15年に大法官による憲法解釈を要請した。前年のひまわり学生運動と、翌年の政権交代で与党となった民進党の後押しも加勢し、17年5月24日、同性婚を認めない民法は違憲であり、2年以内に同性婚を法制化しなくてはならないという画期的な判決(「釈字第748号」)が下されたのである。18年11月24日付の国民投票で同性婚支持派が惨敗したが、大法官の憲法解釈は覆されず、19年5月24日、同性婚が実現する見通しである。

アジア初となる快挙ではあるが、前述のようにその道のりは決して平坦(たん)ではない。その過程で命を落とした人も数知れずいた。1994年、恋人同士と思われる台北第一女子高校の学生・林青慧氏と石済雅氏が、「私達はこの社会の本質に適合しない」との遺書を残して心中した。2000年、振る舞いが女っぽいことで同級生からいじめを受けていた中学生・葉永鋕氏が、学校のトイレで変死した。16年、パートナーに先立たれた元台湾大学教授・畢安生氏は、パートナーとは法的に赤の他人だったためその最期も看取れず、遺産も相続できず、絶望の果てに自宅で飛び降り自殺を遂げた。これらはほんの氷山の一角で、名前のない自殺者は他にも多数いただろう。18年の国民投票ののち、自殺者が続出したと聞くが、同性婚実現の背後には血塗られた歴史があることを忘れてはならない。

ようやく戦い出した日本

このように、幾人も命を落としてきた同性婚の道程は、戦いそのものにほかならない。しかし平和の美しい国・日本では、戦いを忌避する傾向があるように思われる。 

印象深いエピソードがある。大学院時代に、とあるセクシュアル・マイノリティーサークルの雑誌で、台湾の同性婚の歴史を紹介する記事を執筆した。一連の活動と訴訟を「戦い」「戦火」と表現したが、校閲担当のサークル員から「表現が過激」との指摘を受けた。なるほどこれくらいで過激なのか、と膝を打ったのである。

60年代後半、急進的な全共闘が敗北したことが関係しているかどうか分からないが、日本のセクシュアル・マイノリティー運動は台湾と比べてかなり保守的に見える。

台湾がまだ日本統治時代だった頃、日本では既に吉屋信子『屋根裏の二處女』など同性愛者が登場する小説が発表された。台北のゲイたちが新公園を彷徨っていた時、東京には既にゲイ雑誌があり、ゲイタウンがあった。東京で初めてゲイ・パレードが開催されたのは1994年で、台湾より10年近く早かった。敬愛する松浦理英子や中山可穂が文壇に登場したのも、台湾のセクシュアル・マイノリティー文学ブームより早かった。しかし、日本のそうした文化は結局運動として開花しなかったし、文学も常に政治と距離を置いてきたように思われる。LGBTという言葉が一般に認知され始めるのは2012年以降、経済誌が取り上げるまで待たなければならなかった。

その原因はもちろん複合的である。日本は台湾のような独裁政治を経験しなかったから、抑圧に対する強い反動もなかっただろう。隣国に併呑される危険性に常に晒され、そのため若者が政治参加に積極的であるという風土がないのも原因だろう。同性婚の代替手段として養子縁組が可能であることも大きいかもしれない。自己責任論が蔓(まん)延していることや、和を貴び政治的な話題を忌み嫌う「国民性」も関係しているかもしれない。いずれにしても、これまで日本は長らく台湾のお手本であり続けてきたが、こと同性婚、人権問題において、これから日本の活動家は台湾から学ぶことがたくさんありそうだ。

喜ばしいことに、徐々にではあるが日本も少しずつ動き出してきた。15年に渋谷区から始まったパートナーシップ制度は各地で広がっており、18年、「自治体にパートナーシップ制度を求める会」は27自治体に対してパートナーシップ制度の導入を一斉に請願した。そして19年2月、同性婚が認められないことの違憲性を問う訴訟は各地で一斉提訴された。その行方を見守っていたい。

根強い反対勢力、虹がはためくのはいつか?

同性婚の反対勢力は一体どんな人たちだろうか。

台湾の世論調査によれば、女性、若者、高学歴、無宗教、リベラル政党の人ほど、同性婚に賛成する割合が高い。反対勢力は国民党や中高年層を中心とした保守層、そしてキリスト教徒が多い。

台湾はむろん、キリスト教の国ではない。韓国ほどキリスト教の信者も多くなく、総人口の約7%に過ぎない。しかし彼らは膨大な人脈と財力を擁し、政治的影響力も大きい。しかも「同性婚が可決されるとエイズがはびこり、乱交と猥褻(わいせつ)が常態化する」といったデマを撒(ま)き散らし、「一夫一妻による伝統的な家庭を守る」ことを唱えれば、いとも簡単に他の保守層と合流し、民衆に影響を与えられるのである。2013年11月30日にキリスト教会は30万人を動員し、台北で反同性婚デモを行った。30万人という数字は水増しされたものかもしれないが、18年11月24日の国民投票で、民法による同性婚に反対した765万票という圧倒的多数は、偽りようのないものである。筆者ですら、国民投票の結果を見るまで彼らの動員力を過小評価していた。

では日本はどうか。現在国会で過半数を占める自民党は同性婚について一貫して慎重な態度を取っている。『LGBTに関するわが党の政策について』では、憲法24条「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」という文言を援引し、同性婚は想定されていないとしている。その代わり、には勿論(もちろん)ならないが、LGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティーに対する理解促進に取り込むとしている。いかにも保守政党の方針に見えるが、しかしながら、これまで女性やセクシュアル・マイノリティーに対して差別的な発言を繰り返してきた人の多くが自民党の政治家か、その支持者なのも事実である。2018年杉田水脈氏の「LGBTは生産性がない」旨の発言や、小川榮太郎氏の「LGBTを保障するなら痴漢だって保障すべきでないのか」という旨の発言も、今年平沢勝栄氏の「(LGBT)ばかりになったら国はつぶれてしまう」発言も、まだ記憶に新しい。このような保守政党はいかにして理解促進に取り組むか、筆者としては首を傾(かし)げずにはいられない。 

同性婚について、日本も台湾もまだ保守勢力が根強い。多様性を象徴するレインボーフラッグが日台ではためくその日を待ち望みながら、とにかく748法草案の行く末を見届けることとしよう。

末筆ながら、本稿は同性婚に焦点を当て執筆したが、筆者は同性婚がセクシュアル・マイノリティー人権運動の終点だと考えてはいない。同性婚以外でも課題は山積みである。人間は他者とは本質的に分かり合えない生き物かもしれないが、それでも平等への道筋において、日台の連帯を切に願う。

バナー写真=レインボーフラッグ(crossborder / PIXTA)

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