「日本は後進国、台湾は先進国」―近代化遺産の「懐旧」的活用術を台湾に学ぶ

文化 歴史

近代化遺産の活用で先行する台湾

私の著書が台湾で刊行されたのを機に、台湾でプロモーション活動を行なった際、あるイベントにゲストで呼ばれた。場所は台北市の「華山文化産業園区(華山1914文創園区、華山クリエイティブパーク)」。連日のように開かれる講座や優れた空間性が評判を呼んでいる独立書店(大手資本が入っていない書店)の「青鳥書店」が会場だった。実は青鳥書店で講演するのは3度目なのだか、いつも会場は熱心にメモを取る若者で満杯だ。ここでは講座、コンサート、展示が毎日何件も開催され、青鳥書店のようなユニークな書店やおしゃれなショップ、レストランがそろい、知的刺激を求める人々やデートの男女、家族連れでにぎわっている。

青鳥書店で講演する筆者(筆者提供)
青鳥書店で講演する筆者(青島書店提供)

同パークの土地はかつて1914年に建設された日本の酒工場だった。戦後も工場は稼働を続けていたが、移転で一時は荒廃していた。そこに大改装の手が入り、古い建屋の味わいを残したクリエイティブ空間に生まれ変わったのが1999年。いまや年間のイベント回数が2000回を超え、台湾を代表する観光地としてガイドブックにも載る台北きっての人気スポットに成長した。

この華山1914文創園区は、見捨てられて価値のなくなったかにみえた近代化遺産が、巧みな活用術によって地域をけん引する最先端のスポットに生まれ変わった象徴だ。そして、日本には残念ながらこうした場所はまだ少ない。

過去、経済などの分野で台湾が日本から学ぶ局面が多かったのは事実だ。アジアには各国の時差のある成長ぶりを、雁(がん)の飛ぶ姿に例えた「雁行」と呼ばれる発展形態があった。日本が先頭を飛び、その後ろに台湾を含めた「4つの小龍」などアジアの各国・地域が飛び、その他の国々が続く、というイメージだ。

確かにそういう時代はあったのかもしれない。しかし、最近はどの国も先進国レベルになるか、そのレベルに近づき、単なる「発展」という概念では説明しきれない時代になった。その中で近代化遺産の活用という意味では、台湾と日本との間では逆転現象が起きているのである。

「保存」と「利益」の両立が文化財保護のポイント

2019年3月、名物の桜が咲き始めた上野公園にある東京文化財研究所で国際シンポジウム「台湾における近代化遺産活用の最前線」が開催された。

硬いテーマにも関わらず、およそ100人が座れる会場は満員。4時間に及んだシンポジウムだったが、途中で席を離れる人はほとんどいなかった。

日本も、改正文化財保護法の4月からの施行で、文化財政策はこれまでの「保護」重視から「保存・活用」への転換にかじを切る。日本の明治維新以降の近代化に果たした産業遺産の役割をどう捉え、地域活性化や観光振興に生かすのか、自治体や企業の関心は高い。ユネスコの世界遺産に「明治日本の産業革命遺産」が指定されたこともあり、その活用が喫緊の課題となっているからである。このシンポジウムが開催された理由もそこにあるが、議論の中で浮かび上がったのは、先を行く台湾と日本との違いだった。

シンポの冒頭、齊藤孝正・東京文化財研究所長は、こう語った。

「近代文化遺産は規模が大きく、鉄やコンクリートという文化財とはあまりなじみのない材料が使われ、維持管理修理に多額の費用がかかる。安全性や機能性も考慮し、一体的にマネージメントする技術が大切だ。台湾には民と官が手を携えて保存と活用を両立させながらこの困難な課題に取り組んでいる先進事例があり、日本にとっても今後の取り組みの糸口になる」

都会のオアシス的に普段から利用する華山1914文創園区や松山文創園区(松山煙草工場)はどうしてあんなに格好いいのか、台湾の各地の製糖工場はなぜみんな観光地になっているのか、地方の鉄道跡がなぜすてきに観光用に整備されているのか、そんな疑問を私自身も深く感じていた。そして、シンポでは台湾から招かれた専門家が私の疑問に、それぞれきっちり答えてくれた。

講演に立った中原大学の黄俊銘副教授によれば、台湾では戦後、日本統治を引き継いだ国民党が産業資産などを接収し、政府や国営企業などが管理主体となった。その保存・活用に一歩を踏み出すきっかけになったのが1999年の台湾中部大地震。多くの文化財が破損したのをきっかけに、登録文化財制度が生まれ、各大学で専門コースが設けられて人材が育成された。文化資産保存法も逐次改正され、行政主導ではなく、企業や個人の再活用に専門家が助言を与えながら、近代化遺産のリノベーションを進めていく保存活用が広がったという。

黄副教授は「ポイントは文化性資産という概念の創出だ」と明らかにした。もし「文化財」に認定されると、保存に傾かざるを得ないが、より柔軟に活用できるグレーゾーンを設けることで、柔軟な対応が可能になったという。

一方、東京文化財研究所の簡佑丞・客員研究員は「近代化遺産活用」の10の事例を挙げた。その中には、いま台湾で最も人気のスポットとなっている台北の「松山煙草工場」や「建国ビール工場」、宜蘭の「羅東営林工場」、桃園の「大渓製茶工場」、苗栗の「旧山線鉄道」、雲林の「虎尾製糖工業」、台南の「十鼓製糖工場」、高雄の「高雄港ピア2」などが含まれていた。

台北の「建国ビール工場」(簡佑丞氏提供)
台北の「建国ビール工場」(簡佑丞氏提供)

私自身、ほとんど訪れたことはあるが、それぞれの開発のコンセプトは微妙に異なっており、文化財としての保存と商業的な利益の両立に苦心をしていることが簡研究員の発表からは伝わった。いまのトレンドは、民間の企業や所有者がリードする開発だ。かつて台湾では、近代化遺産の活用において、公的機関が中心になって行われた時期が2000年から2005年ごろ。結果は多くが「蚊子館(蚊しか来ないような場所)」になったとの反省から、民間主導にかじを切ったという。

台南の「十鼓製糖工場」外観(左)と、内観(右)(簡佑丞氏提供)
台南の「十鼓製糖工場」外観(左)と、内観(右)(簡佑丞氏提供)

私の目からみても、2007年ごろに訪れた苗栗の旧山線鉄道は、かつての縦貫鉄道の趣を強く残す魅力がありながら、娯楽という要素に乏しく、観光客の姿も週末でもまばらであった。しかし、簡氏によれば、その後、線路上を走れる多人数乗りの自転車が設置されてからは、多くの観光客でにぎわうようになったという。一部の鉄道ファンや地元自治体からは古い鉄道の景観を崩すものだと批判が出ているらしいが、商業的利益が確保できないと民間は関わりにくくなる。そのジレンマの中で、保存と活用の間でそれぞれ苦労があるようだ。

苗栗の「旧山線鉄道」(簡佑丞氏提供)
苗栗の「旧山線鉄道」(簡佑丞氏提供)

「懐旧」という概念も近代化遺産の活用を後押し

シンポジウムでは、冒頭に紹介した華山1949文創園区を運営する台湾文創発展基金会董事長の王榮文氏も登壇した。もともと出版経営者であった王氏は「会(人と会う)」「展(展示する)」「演(パフォーマンス)」「店(ショップ)」という4つのコンセプトをもとに、「文化人が集まる場所」「観光のホットスポットにする」「ベンチャーキャピタルでも投資選考の対象になる」などを目標にし、若い芸術家たちにパフォーマンスの機会を提供し、未来の文化を創造する場として同区を機能させていることを強調した。

今回のシンポジウムの意義について、登壇した工学院大学の後藤治教授は、こう言い切り、会場が静まり返ったのが印象的だった。

「日本は完全な後進国で、台湾は先進国。台湾に日本は圧倒的に負けている。日本は教えることがなく、学ぶことばかり。参りましたとしかいいようがない。日本でもPFI(民間資金活用事業)やコンセッション(公共施設運営権)などの方法で歴史的建造物を再活用しようとしているが、うまく機能していない。台湾で公共主導がうまくいかず、民間の主導に切り替わっているのが2000年前後。いまの日本はその段階で、台湾より20年遅れている」

台湾で近代化遺産の活用が活発であることは、制度的に官民が一致して取り組める枠組みができていることに加えて、「懐旧」という概念が流行していることも関係している。その対象は、日本統治時代のものだけではなく、清朝時代の中華文化的なものや、蒋介石・蒋経国時代の権威主義的体制のものも含まれており、「懐かしまれる」領域は、かなり広い。

それは、台湾の歴史の一部として、清朝時代も日本時代も、そして、権威主義体制であった時代も、それぞれに正負両面の評価はありつつも、近代化遺産そのものには罪はなく、むしろ台湾の歴史の大切な一部として守り、育て、楽むという民主化後の柔軟な歴史観が込められているように思える。日本と戦争を戦った経験のある国民党も、今日では、日本統治時代の近代化遺産を「植民的な建造物」として排斥するような発想は見られない。

むしろ近代化遺産をめぐる政治的な対立点は、社会運動勢力と近い民進党が「保存」を強調するのに対して、経済界と近い国民党は「活用」を強調するという、政策的な温度差に違いが出ていると、黄副教授は述べている。それは、台湾が近代化遺産をめぐるイデオロギー対立から脱却しつつあることを示していると言えるだろう。中国や朝鮮半島においてはなかなか難しい日本統治時代の近代化遺産の活用が、同じような歴史を抱える台湾でスムーズに行われている原因の一つは、ここもあるのではないだろうか。

バナー写真=台北の「華山1914文創園区」(筆者撮影)

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