日本の新元号「令和」に関する考察

社会

令和の意味を考える

「令和」の幕開けから早くも1カ月が過ぎた。新元号の典拠は日本最古の歌集である『万葉集』(759年)とされている。『万葉集』の該当箇所は、梅の歌32首の漢文で書かれた序文中の一節だが、令と和の2文字は続けて出てくるわけではなく、間に4つの文字が挟まれている。以下が典拠となった一文である。 

初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

「時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」(中西進『万葉集 全訳注 原文付』[講談社刊]の中での訳)

国学院大学図書館に所蔵されている『万葉集』の17世紀の写本。新元号の典拠となった該当箇所が示されている(©時事)
国学院大学図書館に所蔵されている『万葉集』の17世紀の写本。新元号の典拠となった該当箇所が示されている(時事)

令和という語は、漢字研究者の諸橋轍次博士によって編さんされた13巻から成る『大漢和辞典』(大修館書店、全巻完成1960年)に収録されてはいるものの、他の使用例は見当たらず、新語とみなしてよいと考えられる。新元号の考案者となったのは、著名な国文学者で、『万葉集』の世界的権威である中西進氏である。NHKのアナウンサーが新元号の典拠を明らかにしたとき、私はすぐに中西氏を思い浮かべた。そして、日本政府も最終的に中西氏が新元号の名付け親であると認め、私の当初の予想は当たっていた。万葉集研究の草分け的存在である中西氏の著作を読まずに新元号の意味合いを考察することは不可能だ。

令和の「令」の字は、主に、「布告/条令」ないしは「命令/差し止め命令」を意味する。多くの日本人がそうだったように、私も当初は当惑させられた。「令」は「命令」の「令」と同じなのだから、この言葉は一部の人が指摘しているように、「日本が命令する」もしくは「大和に従え」という意味なのだろうか。それとも、英BBCが誤訳したように、“order and harmony”(秩序と調和)という意味なのか。あるいは、言いつけどおりに従えという陰険な警告なのか。

だが、考えれば考えるほど、そのような解釈は的外れだと思うに至った。(中西氏が平和主義者であり、憲法第9条の改正に反対する反戦グループの賛同者であることは注目に値する――この事実から考えても、令和という語が国粋主義的、排外主義的な意味合いを込めたものではないかとの懸念は当たらないようだ。)新元号に関する誤解を正すために、以下にいくつかの点を指摘し、文学的、言語学的な背景を解説して、論議の解消を試みたい。

命令ではなく美

「令和」以前の「明治」「大正」「昭和」「平成」とは違い、「令和」の意味を正確に理解している、または、何を意図しているのか理解している人はほとんどいなかった。新元号は「令」と「和」の2つの漢字で構成されている。「和」は周知のとおり「平和」「調和」ないし「日本」を意味し、儒教的な含意を持っている。「令」という字はより多義的で曖昧であり、それもあって、前述したように一部で懸念を呼び起こす結果となった。この文字には少なくとも3つの語義群がある。古代には「お告げ」、すなわち啓示もしくは神道の神からの命令を意味し、神聖で縁起のよい意味合いを持っていた。2番目は「立派な」もしくは「素晴らしい」ものの前につける伝統的な接頭辞。一般的な例としては、優れた娘ないし息子を意味する「令嬢」「令息」などがある。3番目は、「命令」「条令」のように、法律で義務付けられるもの、強制されるものを意味する。現在は、最後の意味で使われることが一般的なため、違和感を覚えた人もいたのだろう。

古典文学では、「令」という漢字は通常、華やかな、優れた、美しい、魅力的な、といった意味合いで使われている。上述の『万葉集』の一節でも同様である。「令」という漢字の読みの一つに「うるわし」というものがあるが、これは通常「麗し」と書かれ、「美しい、かわいい」を意味する「綺麗」という言葉の「麗」と同じ漢字である。つまり、古典文学では「令」は「美しい」とほぼ同義に使われているのだ。

中西氏がよく指摘するように、「うるわし」の語源は「うる」である。漢字が日本にもたらされる以前、この二音節の言葉は、潤い、官能性、性的魅力、若さ、などの含意を持っていた。

まだ誰も指摘していないが、日本の現存する最古の年代記である『古事記』(711~12年)も、令和の典拠の一つである可能性がある。『古事記』の中でも最もよく知られている「大和しうるはし」は、次の歌の一節である。

畳なづく 青垣 山籠れる 大和しうるはし

“歌の解釈は「幾重にも重なりあった青い垣根のような山々にかこまれた大和は本当に美しい」である。 

このように、『万葉集』や『古事記』の文脈における「令」という漢字は、「うるわしい」、すなわち、かわいい、美しい、魅力的な、華やかな、といった意味で使われている。国粋主義者の隠語とはほど遠いと言うべきだろう。

令和を英語に訳すとどうなるか?

それでは、「令和」を英語に訳すとしたら、どんな訳語が最もふさわしいだろうか? ある意味でこれは、ほとんど議論に値しない疑問といえそうだ。明治時代(1868~1912年)は漢字で「明」(bright)と「治」(rule)と書くからといって、これを“bright rule”(明るい統治)の時代と呼ぶ人はいない。大正時代(1912~26年)は「大」(great, big)と「正」(rectified, correct)という漢字で書かれるが、“greatly correct”(大いに正しい)と呼ばれることはない。天明時代(1781~89年)は“heavenly brightness”(天国のような明るさ)ではないし、天平(729~49年)は“flat like heaven”(天のように平らか)とは呼ばれない。実のところ、元号の意味合いが問題になるのは、その時代が終ってから、当初の命名の期待に沿ったものになったかどうか評価する段階に至ってからのようだ。

新元号が発表されて間もなく、日本政府はいかにもありきたりの「公式な」英訳 “beautiful harmony”を発表した。「ありきたり」と言ったのは、作家の川端康成が1968年に「美しい日本の私」と題した有名なノーベル文学賞受賞スピーチを行って以来、日本人は、特に自国の伝統、言語、文化を形容する際に、「美しい」という言葉を使いすぎる傾向があるからだ。安倍晋三首相の2006年の著書『美しい国へ』はベストセラーとなったが、ここでも、この言葉が見苦しいスローガンのように使われている。働き過ぎで疲弊した国民の誇りをかき立てようとする意図だろうか。概していうと、政治家が自国文化の「美」を大げさに称揚するときには、必ずといっていいほど事態は反対の方向に進むものなのだ。

だが公平のために言っておくと、「美しい」という形容詞を英語に訳すのは、翻訳者にとっては実に厄介である。それもタイトルに使われている場合はなおさらだ。私のやり方としては、完全に無視するか、“comely”を使うようにしている。私が「令和」を英語に訳すとしたら、恐らく“comely peace”とするだろう。“venerable, resplendent, comely, fine, excellent, exquisite, lovely”と“harmony, peace, gentleness”のいずれかの語の組み合わせでもよいと考える。

令和という言葉の意味を考えるとき、言葉の中には、私が「意識される内容」と「意識されざる内容」と呼ぶところの2つのカテゴリーが含まれていると考えると分かりやすいかもしれない。「意識される内容」というのは、一般国民が考えているような意味合い。「意識されざる内容」というのは、語源的、間テキスト的、そして歴史的な意味合いだ。言語には常に両方のタイプの意義があり、いずれも同じように重要である。

令和という言葉の意味はどこに存在するのだろうか? 言葉の語源や発展の過程にあるのか、それとも一般国民がいかにそれを理解(誤解)し、使用(誤用)するかにあるのか。令和という言葉に対して、私たちはどのようなスタンスをとるべきなのか。それは、令和という言葉に対する一般国民の反応を重視するか、それとも文学的な背景を重視するかによって変わってくる。

いずれにせよ、令和という言葉に極右的な含意を懸念する向きには、こう言っておきたい。すべては、今後50年間に何が起こるかにかかっていると。もしも日本と世界がゆくゆく極右的な道をたどるとしたら、そこには当初から極右的な含意があったのであろう。そうでなければ、この言葉は潔白である。

(原文英語)

バナー写真:新元号が「令和」に決まったことを報じる新聞各紙

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