怒りの理由――香港の若者はなぜ立法会に突入したのか

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香港の「逃亡犯条例」改正反対運動では100万、200万人もの人々がデモに参加し、最後には立法会に突入した。なぜ人々の怒りがここまで高まったのか。

次の世代のために

「悪法を撤回しろ!義士を釈放しろ!」――。2019年7月1日は、香港特別行政区の地方自治について、現地の多くの若者にとって永遠に消し去ることのできない1ページになった。この日、1000人近い香港の若者がアドミラルティ(金鐘)にある、立法殿堂とも称される立法会(香港議会)に突入し、いったんは議事堂を占拠した。台湾で2014年に勃発したひまわり運動と同様に、香港の「反送中」(香港から犯罪人を中国大陸側への移送を可能にする「逃亡犯条例」の改正に反対する運動)の勢いは短期間のうちにピークに達した。

立法会の内部は混乱と散乱を極めた。香港のシンボルであるバウヒニアの花の図像には黒いペンキが噴霧された。議事台にはキャリー・ラム(林鄭月娥)行政長官をはじめとする4人の肖像写真が置かれ、その上には「暴徒はいない。暴政があるのみ」と書かれた横断幕が張られた。大きな議事堂内部は空調装置が停止しているため熱気がこもり、刺激臭も立ち込めた。破壊活動があったことを示す警報音が響き続けた。抗議側の人々が絶えず出入りし、多くの物資が運び込まれた。一時は、長期立てこもりの考えも出ていた。

筆者撮影
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内部に突入したデモ隊がメディアの取材に、「自分自身は香港生まれで香港育ち。しかし父親は中国の文化大革命を経験し、命がけで香港に逃げてきた。今は、自分自身が父親になった。次の世代のために、最後の一瞬になっても香港のために声を発し続ける」と語った。

日付が変わるころになると、警察の排除行動があるとの情報が絶えずもたらされた。それでも、多くの人が依然として議場を守り続けた。午前0時を過ぎ、デモ隊の若者が議場に駆け込んできた。興奮した様子で、大声で「一緒に出るぞ!一緒に出るぞ!」と叫んだ。たちまち大騒ぎになった。筆者と話していた日本人記者や別の外国人記者が、広げたばかりの荷物を片付け始め、相当に緊張していた。香港警察が突入してくることへの心配から、緊張した異様な雰囲気が現場に満ちていた。

警察は最終的に、議場外での排除を開始した。催涙ガスを投げ込み、支援のために外に駆けつけていた最低でも5万人はいた若者を追い払った。この夜は、若者にとっていつまでも心が痛む晩となった。彼らにとって、立法会が存在するかどうかは、もはや重要ではなく、中国政府の手先である立法会ならば、自らが突入して引き継いだ方がマシではないか−―−。しかし結果は、彼らの立場からすれば、失敗してしまったのだ。

「民意無視の香港行政長官」

当時、立法会の外は黒山の人だかりで、ほとんどが10代から30代の顔つきに思えた。若い世代の将来に対する憂慮は、香港社会の目下、最大の課題である。若者の不満は逃亡犯条例改正案をきっかけに、香港の法治への脅威を訴える「反送中運動」を引き起こし、6月9日には100万人の抗議デモが行われた。12日に警察は、ビーンバッグ弾、ゴム弾、催涙ガスによって、抗議する若者を強制的に排除した。16日の香港では、さらに参加人数が倍増して200万人のデモが行われ、香港市民の怒りは頂点に達していた。

しかし、このような怒りに対しても、キャリー・ラム行政長官は特別な反応を示さなかった。彼女は最初から、改正案を可決させるべく強硬姿勢を示した。12日になってから警察の強制排除が国際的な批判を受けるようになり、彼女はようやく改正案の「先送り」を表明し、不満を持つ香港市民に謝罪した。

中学3年生で15歳の女子生徒、林さんは7月1日、筆者に「私たちはラム長官の態度にとても不満です。彼女は何も説明せず、謝罪にも誠意がありませんでした。受け入れられません」と語った。もう一人の中学3年生の女子生徒の文さんは「ラム長官は一貫して、私たちの抗議を無視しました。100万、200万の人が街に出ても、無視しました。謝罪もいい加減な態度だった。それに比べて、彼女は長官に当選した直後、自分に投票した立法会議員には深々と頭を下げて最敬礼のお辞儀をしたのです」と述べた。

キャリー・ラム長官がこれまで若者の心の声に耳を傾けてこなかったことに、多くの若者は大変な不満を持っている。16歳の男子生徒の黄さんは「私たちは、この(香港)政府は中国共産党の指示に完全に従うと感じています。完全にコントロールされている。つまり、傀儡(かいらい)政権です。基本的には、誰が行政長官になっても同じです」と述べた。立法会に突入したことについて、黄さんは「絶対に、感情的にも道理的にも正しい」と考えており、それはキャリー・ラム長官が香港の民意を根本的に無視しているからだという。

16歳の王さんは6月12日、増員された警察が抗議する若者を強制排除する様子をテレビで見ていた。警察の行動は全く理にかなっていないと思った。さらに、キャリー・ラム長官は民意に応えておらず、「行政長官として不合格だ」と述べた。2017年に就任して以来、キャリー・ラム長官は女性長官というイメージに頼って温かく思いやりのあるイメージを作ろうとしたが、ここに至って完全な失敗に終わったという。

「香港人はすでに、長い間我慢してきた」。香港のある新聞のベテラン記者はまず、こう嘆いた。続けて筆者に対して、「買単(マイダン)という言葉を知っていますか」と尋ねてきた。「買単」とは、普通ならば店などで会計をすることだ。ただし、香港の裏社会では「落とし前を付けさせる」という意味の隠語としても使われる。誰かに“落とし前”を付けさせることを「あいつに“買単”させる」というように使う。

2014年の雨傘運動(セントラル占拠運動)から現在まで、香港の若者は5年間、我慢してきた。すでに臨界点に達していたのだ。そしてついに7月1日に立法会に突入し、キャリー・ラム長官に「落とし前」を付けさせようとしたわけだ。その記者によると、「キャリー・ラムよ、あなたのまいた種だ。落とし前を付けてもらおう」ということになる。

筆者撮影
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人権はお金よりも大切

若者が次々に街に繰り出し、最後には立法会に突入した。若者は、香港政府がそれまで人権に無関心であったことにも腹を立てていた。6月30日、29歳の女性がビルから飛び降りて自殺した。亡くなる前には「七一(7月1日のデモ)には行けなかった。本当に心の底から絶望したから」などの言葉を遺していた。彼女はさらに、「私にとって、あらゆる出来事にもう明日はないと思ってしまう…。疲れた。明日のための努力。もう嫌だ」などとも書いていた。階段には、絶望の中で書かれた「反送中」などの文字もあったという。

それ以前にも、「逃亡犯条例」に対する不満が原因で、2人が自分自身の命を絶つ選択をしていた。30日の自殺は3人目だった。この自殺について、政府側は正面からの回答を避け続けた。親中派の新聞に至っては報道すらなかった。香港の若者は、ネット上で、政府に対して極めて激烈に不満を表明するコメントの書き込みを行った。

前述の15歳の文さんは「多くの若者は、中国が香港の自由を抑圧していると考えています」と説明した。文さんは、中国共産党に批判的な本を出版販売していた銅鑼湾書店の店長ら4人が失踪拘束された「銅鑼湾事件」が発生してから、香港の自由は大きな危機に直面していると思うようになったという。彼女は「それで、私も立ち上がらねばと、声を上げようと思ったのです」と語った。

デモ現場で黄さんは「私たちは、私たちの核心的価値を絶対に守らねばなりません。中国大陸の人は、自由・人権・法治とは何か分かっていないかもしれません。でも、私たちは絶対に、これらを守らねばならないのです」と語った。黄さんによれば、人が一人亡くなった場合でも、政府しっかりと対応しなければならない。今回は3人も亡くなったのに、政府はそれでも無視している。このことは、政府の人権軽視を示しているという。

筆者撮影
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過去の文化大革命の頃には、多くの中国人が広東を経由して香港に密航して仕事を探した。当時の彼らが求めたのは衣食の確保だった。だから、仕事があればどんなものでも構わないと願った。林さんによれば「古い世代の人は、金もうけが自分にとって最も大切で、全てだと思っています。でも若い世代は、そう思っていません。私たちにとって、もっと大切なこと(民主と自由)を守らねばなりません」と述べた。

同じくデモ現場にいた23歳の劉さんの家庭は典型的なケースだ。劉さんの両親は文革時に広東から逃げてきた。父親は、海を何時間も泳いで香港にたどり着いた。劉さんの両親は飲食店で働いた。お金をためて不動産を買った後に、香港が中国に返還された。すると両親は、それまでとはうって変わって親中派になった。祖国が立ち上がったということで、言葉にならないほどの誇らしさを覚えたからだという。

しかし、香港で生まれ育った劉さんは、民主と自由を信奉している。両親の中国観とは大きく異なり、家で殴り合いのけんかまでしてしまった。劉さんは父親に「どうして大陸から逃げてきたのかも忘れてしまったのか」と怒鳴ったこともあるという。今も、父と息子の会話はない。デモの現場では、同様の証言をした学生が多かった。父や母のどちらかが中国から来た場合、家庭内で親中派の父または母とは雑談もしなくなるという。

抗議は今後さらにエスカレートする

台湾・移民署によると、2019年1月から4月までの間だけで、400人を超える香港人が台湾への移民申請をした。「逃亡犯条例」が引き起こした「反送中抗議」により、今後は台湾への移民や、場合によっては米国やカナダ、オーストラリアに移民する人の人数がますます増えるだろう。台湾の蔡英文総統はフェイスブックに「香港人が自由と民主を勝ち取ることを支持する、香港政府は誠意をもって対応しなければならない、香港の若者の未来が平和で、大切にできるものであることを希望する」と書き込んだ。

しかし香港の若い世代にとって、未来に対する希望は儚いようにも見える。それでも彼らは抗議を続けている。黄さんは「香港の若者は立ち上がらねばなりません。自らのために闘うのです」と述べた。黄さんは、香港での一国二制度は完全に失敗したと考えている。そして、今回の立法会への攻撃は大きな動きだったと述べた。「政府は引き延ばしをしているだけです。私たちは、行動をエスカレートさせねばなりません。政府が私たちの訴えを考慮しないから、私たちはどうしても行動しなければならないのです」という。

筆者撮影
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15歳の文さんは、「私たちは自由と民主のために奮闘するのです。5年前(雨傘運動)は失敗しましたが、現在は以前の教訓から学んでいます」と述べた。立法会への突入については、政府が無視するのだから、どうしても行動しなければならなかったとの考えだ。

23歳の劉さんは、「彼ら(中国)がやっているのは、『温水でカエルを煮る』だ」と、古い例えを使って説明した。カエルは水の温度を少しずつ上げていくと、自分が煮えられていることに気づかないとされる。

劉さんによると、香港人が「煮られ」始めてからずいぶん時間が経過した。しかし、「共産党の邪悪な面も学んできました。多くの人が、目を覚ましました」という。劉さんは、「現在の香港は、上流階級の人々が楽しく生活する場所です。でも、一般市民にとっては、懸命に生きねばならない苦しみの土地なのです」とも説明した。

1997年に主権が中国に移されて以降、香港は中国における民主と自由の最前線に立つことになった。中国での人権を支持する「防衛陣地」になったとも言える。しかし22年が過ぎ、現在の香港の自由と人権は、逆に逃亡犯条例によって極めて大きな脅威に直面している。条例改正案が将来採択されたら、香港は過去にはあった司法の独立性を失う。そうならないように、香港の若者の多くが憤り、行動で政府に最も強烈な抗議を突き付けている。香港政府が沈黙し続けるなら、立法会への突入も1回だけとは限らない。それどころか、あらゆる抗議へエスカレートする始まりとなる可能性がある。

筆者撮影
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バナー写真=筆者撮影

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