ラグビーワールドカップ2019日本大会、キックオフへ

最小の開催地・釜石が高めたラグビーの価値:ラグビーW杯2019のレガシー

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大成功を収めたラグビーW杯日本大会で、未来に引き継ぐべき遺産とはなにか。その答えは、収容人員1万6000と今大会における最小のスタジアムを擁する岩手県釜石市が紡いだ濃密な物語の中にある。

ラグビーワールドカップ2019日本大会決勝の翌日、11月3日に開かれたワールドラグビーアワードは、最優秀チームに選出された南アフリカが主要な賞を総なめした。最優秀監督ヨハン・エラスムス。年間最優秀選手ピーターステフ・デュトイ(FL)。受賞者が読み上げられるたびに、会場内では祝福の歓声が沸き上がった。

同じ会場で、ひときわ温かい拍手を浴びたのが「キャラクター賞」の受賞者たちだ。日本語にすれば「品格賞」。ラグビーの価値を高めたとして、この賞に輝いたのはワールドカップ会場の一つ「釜石市」だった。

釜石を代表して登壇した「キャラクター賞」受賞者たち。左から釜石シーウェイブスGMの桜庭吉彦氏、釜石高校の洞口留伊さん、釜石市副市長の山崎秀樹氏 写真:大友信彦
釜石を代表して登壇した「キャラクター賞」受賞者たち。左から釜石シーウェイブスGMの桜庭吉彦氏、釜石高校の洞口留伊さん、釜石市副市長の山崎秀樹氏 写真:大友信彦

釜石市は、2011年3月に発生した東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた。人口3万人台の町で、死者と行方不明者の総数は1000人を超えた。未曽有の災害を受けた釜石市民は、復興のシンボルとしてラグビーワールドカップ招致を目指した。

今大会の開催12都市で唯一の新設会場となった釜石鵜住居復興スタジアムは、津波で全壊した小中学校の跡地に作られた。常設6000席の小さなスタジアムに、10000席の仮設スタンドとレンタルした大型スクリーン2基を設置。東京からは新幹線で新花巻まで約3時間、さらにローカル線に乗り換え約2時間かけてようやくたどり着く。

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スタジアム内外で展開された釜石ならではのもてなし

9月25日、釜石市や近隣の町、東北の各地、そして全国、さらに海外から、1万4025人がスタジアムに詰めかけた。

地元だけでなく仙台や東京からも参加した、年齢も性別も多様なボランティアたちが、満面の笑顔とハイタッチで迎える。公式ボランティアの資格がない高校生たちは自分たちでできることを探し、スタジアムへのアクセス案内動画を作ってSNSに投稿し、現場では語り部となって8年前の震災体験を伝えた。

ボランティアのハイタッチに迎えられる子どもたち。釜石会場のキーワードは「笑顔」だった 写真:大友信彦
ボランティアのハイタッチに迎えられる子どもたち。釜石会場のキーワードは「笑顔」だった 写真:大友信彦

天に祝福された快晴の下、スタンドには無数の大漁旗が翻っていた。

無線電話のなかった時代、港で待つ家族や仲間に豊漁をいち早く知らせた旗は、この町が本拠地の新日鐵釜石が日本選手権7連覇(1979-85)を達成した時代にラグビーのシンボルとなり、今度は復興ワールドカップのシンボルとなった。

市内2200人の小中学生は、キックオフの前に世界からの支援への感謝を込めて、自分たちで作詞した「ありがとうの手紙」を合唱。両国の国歌も歌い、試合が始まると休むことなく「がんばれ! がんばれ!」と叫び続けた。

ゲームに招待された2200人の小中学生たちは、ゴールポスト裏のスタンドで試合終了まで声援を送り続けた 写真:大友信彦
ゲームに招待された2200人の小中学生たちは、ゴールポスト裏のスタンドで試合終了まで声援を送り続けた 写真:大友信彦

フィジーとウルグアイが激突した試合は、スタジアムを包む特別な空気を裏切らない激戦となった。

ラグビーの世界でいくつもの奇跡を演じてきたフィジーが魔法のようなパスで先行すれば、ウルグアイは火花散るタックルでボールを奪い、逆襲のトライを奪った。

80分の戦いが終わった時、歓喜の雄たけびを上げたのは、ワールドカップ参加20カ国の中で、最も遠くからやってきたウルグアイ。それは大会最初の番狂わせとなった。

格上のフィジーを撃破し、喜びをあらわにするウルグアイ代表の面々 写真:大友信彦
格上のフィジーを撃破し、喜びをあらわにするウルグアイ代表の面々 写真:大友信彦

台風による試合中止が釜石にもたらしたもの

「釜石は日本のワールドカップを象徴する場所だ」

大会名誉総裁の秋篠宮さまと並んで観戦したワールドラグビーのアグスティン・ピチョット副会長は言った。

「釜石は私たちにあふれる愛情を見せてくれた。それはラグビーワールドカップが示すべきものです。震災も台風も、ワールドカップを止めることはできなかった。釜石のみなさんが、ラグビーワールドカップを開催したいという強い心を示してくれた」

釜石では2試合が行われる予定だったが、10月13日のナミビア対カナダの試合は開催できなかった。東日本を縦断した猛烈な台風19号(ハギビス)が釜石を襲ったのだ。コースがそれないか、速度が上がって速く通り過ぎないか……一縷(いちる)の希望も届かず、試合当日の朝、中止が決まった。

だが、物語は終わらなかった。

市内に泊まっていたカナダの選手たちが、台風による洪水に襲われた地区を訪れ、土砂の除去、ぬれた家具やがれきの撤去などのボランティア作業に従事したのだ。芝の上で勝利を目指すはずだった太い腕と足腰は、人間重機と化して再びの災害にうちひしがれかけた市民に力を贈った。

同じ日、釜石から少し離れた宮古市に滞在していたナミビアの選手たちは、自主的に地域住民たちとの交流会を開き、やはり台風の被害を受けた人々を激励した。

カナダ代表選手のボランティア活動への参加は、報道でも大きく取り上げられた 写真:ラグビーワールドカップ2019大会公式ツイッターより
カナダ代表選手のボランティア活動への参加は、報道でも大きく取り上げられた 写真:ラグビーワールドカップ2019大会公式ツイッターより

「中止が決まったときは残念だったけど、両チームがボランティア活動をしてくれて、みんなに笑顔や希望を与えてくれた」

ワールドラグビーアワードで登壇した一人、釜石高校3年生の洞口留伊さんは言った。昨年8月、新設スタジアムの記念試合で「私は、釜石が好きだ」で始まるキックオフ宣言を読み上げた女子高校生だ。

「カナダとナミビアにまた釜石に来てもらって、試合をしてもらえたらいいな」。ボランティア作業を終えたカナダ代表チームとの懇親会で、そんな話題が出たという。ピチョット副会長も、そのプランを聞くと声を弾ませた。

「素晴らしいアイデアだ。カナダとナミビアの選手たちは、ラグビー以前に人間としてやるべきことをすぐ実践してくれた素晴らしい選手たちだ。ワールドラグビーとしてもできるだけのサポートをしたい。私もその試合をぜひ見たい」

釜石シーウェイブスの桜庭吉彦GMは言った。
「ワールドカップを開催できたことは釜石の誇りであり、結束の象徴です。そして、この賞を受賞できたということは、ラグビーの価値を高めるお手伝いを釜石ができたのかなと思う」

地域のおもてなしが選手の力を引き出し、参加チームが地域に貢献し、ワールドカップが開催地の魅力を広める。日本大会12の試合会場全てでそんな物語が見られたはず。最も濃密な物語が紡がれた釜石は、ピチョットの言葉通りワールドカップ日本大会を象徴する場所だった。

(バナー写真=2019年9月25日、スタンドに大漁旗が揺れる釜石鵜住居復興スタジアムで開催されたフィジー対ウルグアイ戦 写真:大友信彦)

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