台南に婿入りした日本人公務員は結婚式で何を考えたか

社会 文化 国際交流

台南市政府で働く「日本人公務員」がいる。群馬県の小さな町から派遣され、そのまま台南に暮らし続けて6年。とうとう台南の女性と結婚してしまった。台南と日本をつなぐ人材が、結婚式で目撃したカルチャー・ギャップと感動とは。

台湾・台南市に住みはじめたのが2013年だった。

私の正式な肩書きは日本群馬県みなかみ町役場職員。いわゆる普通の地方公務員だが、現在、台南市政府に籍を置いている。台湾の行政機関で働く唯一の日本人公務員という、ちょっと、珍しい存在である。

みなかみ町は人口2万人弱の小さな自治体だ。「交流調査」を目的に、5カ月間という短期滞在の予定で来ていたが、仕事や生活環境にも恵まれ、知らず知らずのうちに6年も過ごすことになった。

いまもなお、私は台湾における「唯一の日本人公務員」のままだ。このちょっと変わった立場のため、新聞などのニュースに取り上げてもらうことがある。報道される際には私の名前「阿部真行」の前に必ず「日本唯一公務員」といった文言が付けられる。初めは慣れなかったが、私が紹介されることで日本の多くの自治体職員に台湾・台南市を知ってもらうことができ、日台交流の促進にもつながるので、今では非常にありがたく思っている。

ビールの飲み方が違う!

メディアで紹介された筆者。「日本唯一駐台公務員」の文言が付けられている(筆者提供)
メディアで紹介された筆者。「日本唯一駐台公務員」の文言が付けられている(筆者提供)

台湾と日本は距離も近く、超がつくほど友好的な関係だが、仕事の進め方や考え方、文化風習はちょっと違う。この「ちょっとした違い」をうまく仲介して双方の交流がスムーズに進められるようにするのが私の主な役割だ。

例えばビールを飲む順番。自治体交流では食事会も多いが、日本と台湾はビールを飲む順番が違うので注意が必要になる。日本人は本格的な食事を始める前に飲む習慣があるが、台湾人はしっかり食べてから飲む傾向がある。

そのため、台湾側主催の宴会だと食事ばかりでビールがなかなか出てこない(時にはビールが出てこない)ので、日本人は落ち着いて食事できないというケースがある。小さなことかも知れないが、食事をしながら大切な仕事の話を進める場合も多いので、スムーズに気持ちよく交流するためにも相手の習慣を知っておいたほうがよい。

お酒については、順番だけでなく飲み方も違う。日本人の乾杯は一口飲んでグラスを置くが台湾人の乾杯は文字通り「杯を干す」。この乾杯が延々と続くので日本人にはけっこうキツイ。その為に日台交流の食事の席では「台湾式(乾杯)?日本式(乾杯)?」という冗談もよく聞かれる。

その他にも、あいさつの仕方・お風呂の入り方・靴の脱ぎ方・仕事の進め方などなど、いろいろと双方の文化的な差異はある。ただ、私自身が台南文化に深く溶け込む大きな転機になったのは、やはり台湾女性と2107年に結婚したことだった。結婚を通じてさまざまな文化的差異を痛感することもある。

「言語交換」で知り合った妻

私の妻は台南市政府の同僚などではなく、行政とは関係ない仕事に就いている。台湾に来た当初、私の中国語はとても仕事で通用するレベルではなかったため、周りの人たちにけっこう迷惑をかけていた。台南市の職場の同僚が「色々な人と直接話して実践を積んだ方がはやく上達する」と紹介してくれたのが「言語交換」と呼ばれる勉強方法だ。これは台湾人に日本語を教えて、私は中国語を教えてもらうことだが、職場以外の多くの知り合いを作ることができたので、貴重な経験だった。そして、この言語交換仲間の誕生日パーティーにたまたま参加していたのが現在の結婚相手である。日本でもそうだが、台湾でも至るところに出会い、人の縁があるので面白い!

結婚式・披露宴は、以下のように、私の故郷である群馬県で一度(2017年9月3日)、そして台南市では二度(2017年11月11日と12日)実施した。合計三度も式を行ったことになる。

①9月3日 群馬県猿ヶ京温泉で披露宴→本人主催。
②11月11日 台南市で1000人披露宴→本人主催。
③11月12日 台南市政府主催による合同結婚式→台南市政府民生局主催。

日本での披露宴には家族や親戚だけでなく、台南市政府国際関係科の上司や同僚も駆け付けてくれた。日本に出発する前に皆が気にしていたのは「日本の式にご祝儀をいくら包んだらよいのか?」ということだった。

日本のご祝儀は台湾と比べてちょっと高い。友人や同僚だと3万円、家族や親族だと5~10万円になるだろう。数字の決まりもあって、3や5といった奇数が良いとされる。2は「二つに割れる」から結婚式で不向きと言われ、4は発音が「死」を連想させるのでお祝い事に向かないとされる。

台湾からわざわざ飛行機に乗って挙式に参加してくれる家族や友人らにご祝儀までもらうのは申し訳ない気持ちもあったが、皆、「日本式のやり方で出席したい」と言ってくれたので、ありがたく受け入れることにした。

日本の披露宴式場は地元の猿ヶ京ホテル。この式場を決めたのは当時のみなかみ町町長・岸良昌氏だ。「阿部を台南に派遣したのは私だ。その阿部が台南との交流成果として結婚までするのだから、私がしっかり見届ける必要がある」と、かなり強引に日程と場所を決めてくれた。強引ではあったが、その言葉通り、町長はその後、11月11日、12日の台湾挙式にも出席してくれた。実は、岸町長は、その年の10月の町長選挙で落選してしまい、11月は私人として駆け付けてくれたのだ。これには私をはじめ台湾側家族や友人も本当に驚き感動した。

また、日本では式場が狭かったため招待できなかった友人も多かったのだが、皆、「台湾の式に行くからいいよ」と言ってくれて、群馬や京都、滋賀、そしてシンガポールの各地から台南に集まってくれた。これらの友人の中には、9月3日、11月11日、12日の全てに出席してくれた友人もいて、本当にありがたかった。

頼清徳・行政院長が祝辞

11月11日の台南市での披露宴では当時、台湾の行政院長(日本の首相に相当)の立場にあった頼清徳氏も出席し、「台南市政府は阿部に給料を払わなかったが、代わりに台南の女性を差し上げた。これで台南市とみなかみ町は友人というだけでなく親戚・家族の関係になった」との祝辞をいただいた。

当時の台湾行政院長・頼清徳氏も筆者の結婚披露宴に出席(筆者提供)
当時の台湾行政院長・頼清徳氏も筆者の結婚披露宴に出席(筆者提供)

台湾と日本は招待客の参加方法がちょっと違っている。日本では招待状を受け取った本人以外が出席することはまずあり得ないが、台湾では招待客が知り合いを連れてくることがある。日本の会席料理と違い、円卓での大皿料理方式の台湾ではかなり自由に席の増減が可能なのである。私の場合、日本からの親族・同僚・友人、そして台湾でも多く友人ができていたので参加者は当初800人程度(これでもかなり大規模)を予想して準備していたが、最終的には970人も参加してくれた。予想以上に多くの人が来てくれたため、受付は大混乱に陥り、式が始まってからも予備テーブルを出し続ける状態だった。

最終的に披露宴出席者は970人となった(筆者提供)
最終的に披露宴出席者は970人となった(筆者提供)

その翌日11月12日には、台南市政府民生局主催の合同結婚式が開かれた。当時の民政局長陳宗彦氏(台南市とみなかみ町をつなげてくれたキーパーソン)から「阿部は和服を着て出席するように」と言われ、100組ものカップルを代表してステージに上がる貴重な経験をした。

台湾メディアが結婚式を報道

前述したように、『台湾に駐在する唯一の日本人公務員』という珍しい人間が国際結婚したということで、アップルデイリー、中華日報などの地元メディアが取り上げてくれた。台湾だけでなく日本のヤフーニュースでも報道されたので「阿部はどんな有名人と結婚したんだ?」と日本の友人に聞かれたこともあった。「台湾では俺が有名なんだよ」と答えても誰も信じてくれなかった。

台湾の日刊紙・アップルデイリーで紹介された筆者(筆者提供)
台湾の日刊紙・アップルデイリーで紹介された筆者(筆者提供)

「台湾・台南そして安平」(上毛新聞出版)
「台湾・台南そして安平」(上毛新聞出版)

私を外に出してくれた群馬県みなかみ町の決断もすごいし、受け入れてくれた台南市政府もすごい。右も左も分かっていない私だったが、台南市政府の上司、同僚、その他多くの友人のおかげで、今では台湾と日本の交流業務を担当させてもらっている。感謝してもしきれない!

ありがたいことに台南市政府もみなかみ町の交流方法を評価してくれている。そして、「国や県ではなく、市町村でもできる自治体交流方式」を広く紹介するために「台湾・台南そして安平」(上毛新聞出版)という書籍を2019年に日本で出版した。私の台湾経験が詳しく知りたい方は手に取っていただきたい。

バナー写真=台南の路上居酒屋で友人と(筆者提供)

台湾 ビール 国際結婚 台南 頼清徳 群馬県 結婚式 みなかみ町