有縁千里来相会(縁でむすばれ、千里を越えて)――台湾に嫁いだ日本人妻たちの百年(下)

社会 家族・家庭 国際交流

日本では「台湾ブーム」とも呼べる現象がここ数年続いている。

元卓球選手の福原愛さんは2016年、台湾の江宏傑選手と結婚、台湾出身の世界的な女優である林志玲(リン・チーリン)さんは19年にEXILEのダンサー・AKIRAさんと結婚した。いずれも、スター同士の日台婚として注目が集まり、日台双方で歓迎されている。かつて台湾に渡った日本人妻たちは「こんな日がくるなんて想像もできなかった」と口を揃える。

独りぼっちで悩まないように

台湾人と結婚して台北近郊に暮らす日本人女性の親睦会が発足したのは1975年。当初は、土にしっかり根付いて健康で過ごせるようにとの願いを込めて「大根の会」と命名したが、大根は日本女性の太い足をからかうたとえに使われることから、後に「なでしこ会」に改めた。

7人で発足した会は、ピーク時には会員数160人を超え、45年目を迎える2020年も約100人の会員を擁する。月一度の例会では新しい日本食レストランの情報から子供の言語教育、帰化やお墓の問題まで、30代から80代までの幅広い年齢層で構成される会員の話題は多岐にわたる。しかしインターネットが普及で、友人づくりや新鮮な情報を得る機会が多様化したこと、また働きに出る日本人妻が増えたこともあって、会は縮小の方向にある。

長年、会長や顧問として会をささえ「なでしこの母」と呼ばれた故U・Kさんも、家族の反対を押し切って結婚し、台湾に帰化してから15年のあいだ日本の土を踏むことができなかった。そんなU・Kさんに生前、会についてインタビューする機会があった。U・Kさんは最後、しみじみとこう言った。

「異郷の地で独りぼっちで悩むのは、精神衛生上とても危険なの。波長の合う友をさがして、一日でも早く当地に順応し、健康で幸せな家庭を築いてほしい。『なでしこ会』はその拠り所として、会を必要とする人がいる限り一日も長く存続してほしいわね」

ちょうどU・Kさんの話を聞くすこし前に、台湾北部の街に暮らす日本人妻が、自ら命を絶ったニュースを聞いたばかりだった。

国交断絶で厳しくなった台湾での生活

「なでしこ会」発足の数年前、台湾と日本をめぐる状況は、ふたたび大きな変化を迎えていた。1972年、日本政府が中国(中華人民共和国)との国交を結び、中国の主張する「一つの中国」を理解・尊重すると声明を出したことで、実質的に台湾(中華民国)と断交したのである。それまで、台湾では中華民国への帰化を条件に日本人妻の在留が認められていたことは(上)でも触れたが、国交断絶によって台湾が設ける国籍法の条件を満たせなくなった日本人妻たちは、帰化することができない。また当時の台湾政府は、外国人配偶者の永住権も認めていなかった。加えて、個人が労働ビザを取るのもかなりハードルの高い時代である。よって1972年以降に台湾へと渡った日本人妻たちは、最高3年ごとに在留資格を更新し、働くこともままならず、夫が亡くなればすぐさま在留資格を失い、それまで築いた全てを失って日本へ帰国を迫られるなど、非常に不安定な立場に甘んじなければならなかった。

「法的に妻が職を持てなければ、台湾人の夫が病気などで働けなくなった途端に、一家は路頭に迷わなければなりません」

1990年に日本語教師として台湾へ派遣され、職場で知り合った男性と結婚し、後に立法院における公聴会で発言するなど外国籍配偶者の運動に関わった永井江理子さんは、こう語る。

「今でこそ同性婚も認められ、台湾はアジアの中でも先進的な人権意識を持つと言われます。でも、当時の台北郊外では東南アジアの女性との結婚を斡旋する会社の看板に『処女保証、どんな苦労にも耐えます!』などと書いてあり、外国人の人権が重んじられているとはとても言えない時代でした。

また、その頃、居留ビザが取得できる業種は非常に少なく、日本のエンジニアが取引先の作業に立ち会うため新竹に出張してきたけれど、労働可能なビザではないからと捕まり、外国人収容所に入れられ強制送還されたケースもありましたね」

台湾政府が外国人移住者に対して厳しく接した裏には、国内人口の過密化や、敵対している中国からの移民を制限する事で国家の安全を維持する理由があったと思われる。しかし、それぞれの移住者や入国者個々の事情が顧みられることはなく、また逆に日本政府側から日本国籍者の人権を守るための働きかけがある訳でもなかった。

かつての厳しい時代を資料と共に説明する「居留問題を考える会」会長の大成権真弓氏(筆者撮影)
かつての厳しい時代を資料と共に説明する「居留問題を考える会」会長の大成権真弓氏(筆者撮影)

「移民法」成立をきっかけに、居留問題が大幅に改善

国際結婚して台湾に暮らす日本人妻の背景は千差万別だが、大まかに3つのグループに分けられる。

年配の日本人妻に多いグループ①は、日本に留学した台湾人男性が日本で出会った女性と結婚するパターン。かつては日台の経済格差により台湾から日本へと留学するのは富裕層の子弟が多かったため、経済的な余裕のある家庭が多い。

グループ②は、米国やオーストラリアなどの留学先で出会って、台湾で家庭をもつパターン。80年代に台湾が大きく経済成長を遂げた頃から増加している。

グループ③は、台湾や中華圏の文化に引かれた日本人が、台湾に留学や短期滞在しているうちに夫と知り合ったパターンで、日本での台湾人気が高まっている現在、こうしたケースはますます増加すると考えられる。

3つのグループは、時代によって変化する日台の関係性を反映しているようで興味深いが、各家庭の経済状況は当然、個々によってまったく異なる。しかし、かつては①のイメージが日本人妻のステレオタイプだった台湾社会では、日本人妻が働きに出たいと訴えても、「どうしてお金持ちの日本人妻が働かなくてはならないんだ?」と取り合ってもらえない状況が続いていた。

何よりも一番の問題は、当時の配偶者ビザでは、夫と離婚や死別した場合、その後の居留が認められなかったことである。80歳を過ぎて夫が亡くなった途端に、身寄りも家もない日本へと帰国をせざるを得なかった日本女性の例などもあり、事態は深刻だった。

そこで立ち上がったのが、なでしこ会有志である。1998年に「日本人妻の永住権を考える会」をなでしこ会の中に設立し、台湾日本人会ほか、台湾各地のなでしこ会に類する日本人妻の会(台中桜会・台南南風・高雄ひまわり会)に呼びかけ、外国籍配偶者が永続居住できる法制度を考える座談会を開き、署名活動や立法院での公聴会に参加した。公聴会には、台湾の日本語教育世代が中心となって運営するグループ「友愛会」や「台湾歌壇」の力添えもあり、200人以上が集まって、「入出国及移民法」(以下、移民法という)の早期制定を訴えた。1999年には、在台外国人配偶者の居留環境改善をめざす日本語で活動する組織「居留問題を考える会」として「なでしこ会」から独立し、今にいたる。当時より会の中心を担い、最近では日本での新書『二重国籍と日本』(ちくま新書、2019年)において、日台ハーフと国籍問題について論じた大成権真弓(だいじょうごん・まゆみ)氏は、こう話してくれた。

「当時はメールもなく、ファックスのやり取りが何メートルにもなるほど会員同士の意見を戦わせました。それから迎えた1998年11月の立法院(国会)での公聴会開催、及びその後も、毎日のように立法委員(議員)に会でまとめた要望を伝え続けました」

このとき、特に後押しをくれたのが、現与党・民進党の創立メンバーで2019年に亡くなった元・立法委員の謝聡敏氏であった。謝氏は、国民党の戒厳令がもっとも過酷だった1960年代、台湾独立を主張したことで逮捕され、何度もの拷問と投獄に耐えた。出獄後に渡った米国で、外国人である自分のために議員が奔走してくれた。その経験があるからこそ、日本人妻の支援を買って出た。

謝氏は前述の書籍『海を越えたなでしこ』の中でこう語っている。

「日本人妻の境遇について聞かされた時、米国で同じ経験をしていた私は身につまされるようでした」「在留資格を証明する一枚のペーパーがないために人間の権利も主張できなくなってしまう」

1999年5月、会の活動が実を結び「移民法」が制定され、外国人配偶者の永住権が認められるようになり、2000年2月より永久居留証の受付が開始される。当時は初めて国民党以外から政権が生まれた年でもあり、台湾全体が大きな民主化のうねりの中にあった、そんな時代の流れも味方した。日本人妻たちによって考え抜かれたきめ細やかな居留環境への要望は、その後の台湾における移民政策に少なからず影響を与えたはずである。

台湾政府が「居留問題を考える会」に宛てた回答(筆者撮影)
台湾政府が「居留問題を考える会」に宛てた回答(筆者撮影)

先輩たちが勝ち取ってくれた成果

その後も「居留問題を考える会」は移民法への働きかけを続け、当初掲げた「永久居留権」「日本人の台湾への帰化許可」「台湾人の母親を持つ子供の台湾国籍の取得(それまでは父系血統主義で、父親が台湾人の子供のみ台湾国籍が取得できた)」「全民健康保険への個人加入」「労働ビザなしで仕事ができる」という目標について、仲間の外国人グループらと協同した活動により法制度が確立していった。

わたしが台湾で少しばかりの印税を得たり講演活動をしても法的問題は生じることなく、病院に行けば世界一ともいわれる皆保険制度で安価な治療が受けられる。当たり前のように享受してきた今の居留環境だが、実はこれらが、多くの先輩たちの手によって勝ちとられた成果なのだと知る機会は少ない。

現在、「居留問題を考える会」は会員数480人を超える大所帯となったが、いまだ外国人には適用外の法制度などもあり、まだまだやることは多いと大成権さんは言う。 

「まるで、お悩み相談所かと思う時もあります。モラハラや離婚についてなど、しとしと雨の続く冬には特に会員からの相談が増えますね(笑)」

「居留問題を考える会」会長の大成権真弓氏(筆者撮影)
「居留問題を考える会」会長の大成権真弓氏(筆者撮影)

『二重国籍と日本』(ちくま新書、2019年)
『二重国籍と日本』(ちくま新書、2019年)

在台日本人が陰ながら深く関わってきた台湾の移民政策は、現在、アジアの中でもトップクラスと言われている。特に外国人配偶者への配慮に関しては、2005年より10年を期限として設置された「外籍配偶照顧輔導基金」(外国籍配偶者ケアサポート基金)に通算で 30 億元(日本円で約120億円)の資金が投入された。16年以降は「新住民発展基金」と名称を変えて毎年3億元程度の予算が計上され、多言語情報ウェブサイトの充実や、現地の言葉や台湾社会について学べる移住者向けの無料講座が各自治体の小学校で開かれるなど、調和の取れた多文化社会の構築に寄与している。しかし、DV(ドメスティックバイオレンス)や東南アジアから来た母親を持つ子供が学校でイジメを受けるなど、問題も少なくない。大成権さんがインタビューの最後に話してくれた、こんな言葉が印象的だった。

「移住者の次世代の子供たちは、ルーツの国との懸け橋となってくれる存在。彼らは国にとっても多くの可能性を秘めた宝物です。それをきちんと認識し、生かしていく教育方法や制度作りを進めることが、日本でも台湾でも、これからますます重要になってくるのではないでしょうか」

バナー写真=「大根の会」の創立メンバーの写真(筆者撮影、写真は1号会員の松下道子さん提供)

参考資料

台湾 移民 国際結婚