「未知のウイルス警戒を」「国民守る対外情報収集力が鍵」――毒物研究の世界的権威、アンソニー・トゥー氏が日本に警鐘

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新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の大流行はどうして中国・武漢で発生したのか。野生動物から人への感染などが推測されているが、いまのところ決め手はない。日本のオウム真理教事件捜査で日本政府に協力し、サリンの分析方法を指導した毒物研究の権威、コロラド大学名誉教授のアンソニー・トゥー(杜祖健)氏が、その見解を明らかにした。

杜 祖健 Anthony TU

(と・そけん、アンソニー・トゥー)
日本統治時代の1930年生まれ。父は台湾人初の医学博士号取得者として知られる杜聡明氏(1893~1986)。自身は化学者を志し、戦後は台湾大を卒後に渡米。スタンフォード大(博士)などでヘビ毒を専門に研究した。自然界の毒物に注目した米軍に、1984年から2007年まで協力。オウム真理教によるサリン事件では、米軍情報をもとに日本の警察当局にサリン検出法などの情報を提供。2009年に旭日中綬章受章している。また2011年以降はオウム真理教教団内のサリン製造の中心人物で、VXガス殺人事件にも関与した死刑囚と、刑執行直前まで研究目的で面会を重ね、著書「サリン事件死刑囚 中川智正との対話」(角川書店)などで事件の真相に迫った。最近では17年、マレーシア・クアラルンプール国際空港内で起きた金正男氏暗殺事件の際、現場映像から神経剤「VX」の顔面塗布方法が、実行女性2人により、異なる種類の薬品を顔面上で混合させる手法であったと分析。再び軍関係者らから注目された。

世界保健機関(WHO)がパンデミック(世界規模の大流行)を宣言し、世界経済にも暗い影を落としている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。中国湖北省武漢市での発生当初から、これが人為的なウイルスである可能性も視野に注目してきたという人物がいる。台湾出身・米国在住の化学者で、毒物研究の世界的権威、杜祖健氏(89)=英語名アンソニー・トゥー(Anthony Tu)氏=だ。このほど、日本での毒物解説書出版のため来日した。

米カリフォルニア在住で、米コロラド州立大名誉教授の杜氏は当初、筆者とは台北で会う約束だったが、新型コロナウイルスの日本国内での感染拡大で、日本を経由した台湾訪問が難しくなったため、大阪、東京でインタビューに応じた。

杜氏は、滞在中、安倍政権中枢にも提言をした。「当初から未知のウイルスに対する警戒感を強く持つべきだった」と指摘し、「国民を守るため、日本は対外情報収集力の向上に努めるべき」と警鐘を鳴らした。

——今回の日本訪問の目的は。

「日本で毒物の解説書の出版を準備している。台湾でも自伝を出版準備してきた。日本経由で台湾訪問も予定していたが、台湾では日本からの渡航者に対する警戒が強化されているので、今回は日本のみの訪問、滞在に切り替えた。日本で出版する解説書では今回の新型ウイルスについても急きょ、一章を割くことになった」

——その解説書で触れる新型コロナウイルスへの見解は。

「当初、武漢・漢口の市場で売られていた動物が発生源とされていたのは承知している。しかし、あくまで私見だが、武漢の病毒研究所やその関連施設などで培養、研究していた新型ウイルスが未完成のまま、何らかの不手際で外部に漏れたと考えるのが一番適当な説明だと考えている」

発生場所とされた中国武漢の市場(アフロ)
発生場所とされた中国武漢の市場(アフロ)

——中国当局は米メディアなどが報じた「生物・化学兵器疑惑」を「荒唐無稽」と断じているが、そのように推測する根拠は。

「武漢には中国科学院武漢病毒研究所があり、付属施設としてフランスの技術協力で整備された武漢P4研究室(武漢国家生物安全実験室)が2015年に完成、17、18年に運用開始された。バイオセーフティーレベル4(BSL-4)という最も危険な病毒の研究、実験が可能な設備で、フロア間移動にも防御服の着替えなどで小1時間もかかるような厳格さだ。通常の病毒研究ならBSL-3で十分で、専門家らは兵器レベルの実験、研究が主眼の施設だとみている。他に武漢市疾病預防控制中心などもある」

——専門の研究施設なら外部に漏れないような構造になっているのではないか。

「1979年に旧ソビエト連邦・スべルドロフスクの研究所から炭疽菌が漏れ、市民に犠牲者がでたことは有名で、研究施設から病毒が漏れる事故は珍しくない。一般には知られていないが台湾にもBSL-4の研究施設はある。2002年に中国広東省で発生し、2003年には台湾でも感染が拡大した重症急性呼吸器症候群(SARS)騒動の後、台湾当局もSARSウイルスを培養、研究していた。現在も研究しているかどうかは不明だが、数年前には研究施設からウイルスが漏出する騒ぎもあった。すぐにコントロール出来たので大事には至らなかったが」

——新型コロナウイルスが「人工」であると疑う根拠は他にもあるか。

「発症前にヒトからヒトへ、エアロゾル(空気中にウイルスが漂って)感染し、免疫ができず、再度罹患(りかん)するなどの特徴があり、まん延阻止の対応を困難にしている。SARSウイルスに近いが、分子構造に4つの違いがあるとされ、それらは自然に起きた違いとは考え難い。また新型ウイルス問題発生後、米国のCDC(疾病予防管理センター)が伝染病専門家の武漢への派遣、感染拡大阻止への協力を中国に申し出た際、中国側が黙殺した。中国側に知られたくない事情があると疑われる。中国人民解放軍が1月末、武漢に中国で最も優れた生物兵器の専門家とされる女性少将を派遣したことも、いぶかしい動向だ」

——研究施設から漏れるとすれば、どのような経緯だと推測するか。

「武漢・漢口の市場で売られていた動物が発生源とされたが、例えば現場の人間が金銭欲しさに使用済み実験動物を焼却せず、市場に横流しするなどの行為はあり得ることだ。実際に旧ソ連崩壊時には、多くのロシア人らからソ連の生物研究所のヘビ毒の売却を電話や手紙で持ち掛けられた経験がある」

——いずれも決定的な証拠ではないように聞こえるが。

「たしかに間接的な、いわば状況証拠に過ぎない。兵器として危険な病源体やウイルスを培養するのだとしたら、つくる側は同時にワクチンや抗毒剤を大量に準備しないといけない。しかし多くの病原体が、生物兵器として多くの国でつくられているのも現実で、例えば(根絶した)天然痘は生物兵器の有力候補だ。また炭疽菌は実際に米国でテロに使用された。新型コロナウイルスが生物兵器の試作段階で、何らかの不手際で漏出したのだとしても不思議ではないと思う。台湾は1997年、口蹄疫の蔓延で養豚業者が打撃を受け、大きな経済的損失が生じたが、米国では、この時の口蹄疫は台湾在来の菌種でなく中国甘粛省蘭州市の研究所から出てきたものだとする見方があった。

その後、台湾の研究所に質問してみたが、『可能性はあるが、真偽は不明』という回答だった。同様に中国でも人民解放軍の生物兵器担当者に確認する機会があったが、『そんなことは絶対にない』と、予想通り否定された。仮に意図的だったとしても、仕掛けた側は必ず否定する。だからこそ情報収集が非常に大事だ。世界ではヒトに限らず、家畜や穀物を対象とする生物・化学兵器、毒素兵器も研究対象になっている。相手が何を研究しているかがわかれば、防衛方法を準備することもできる」

——その台湾の対応が世界から高く評価されている。

「2003年のSARS騒動も経て、民主進歩党政権下ではWHO総会のオブザーバー参加も認められないなどの冷遇を受けてきた台湾では、現副総統に疫学専門家を配するなど、特に中国で発生する未知の病毒に対して強い警戒感を持っており、米国との連携も緊密で今回の新型コロナウイルス対策でも初期の対応は日本に比べて迅速だった」

——警戒感の差が台湾に比べて日本の対応の出遅れにつながった。

「台湾だけでなく、米国、ロシア、北朝鮮なども当初の警戒感は日本よりも大きかった。いずれも生物・化学兵器、毒素兵器の研究を行っている、あるいは行ったことがある経験から防御に対しても意識が高い」

——日本に対してアドバイスしたいことは。

「治療薬の早期開発努力や、現状の感染拡大防止措置の徹底、また将来に向けた隔離病院船など有事の際の防疫設備の整備も検討すべき。未知の病毒には安易な楽観論に立たず、危機感を持った対外情報収集力の強化が一番重要だろう」

バナー写真=アンソニー・トゥー(杜祖健)氏(筆者撮影)

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