若林正丈の「私の台湾研究人生」

私の台湾研究人生:選挙共同体と防疫共同体――1983年増加定員選挙から新型コロナ時代へ至る台湾政治の歩み

政治・外交

台湾の自決をうたった1983年の選挙から台湾の「選挙共同体」の歩みが始まった。7回の総統選挙など経て、運命を共有する共同体としての手応えをつかみ、今回のコロナ危機対応において「防疫共同体」とも呼べる結束を見せている。

「住民自決」主張から四半世紀

「台湾の定義はまだできていない」?

前回の連載では、私の初めての「選挙見物」となった1983年の「立法院増加定員選挙」で台湾独特のオポジション「党外」の「台湾前途の住民自決」のスローガンが焦点となったこと、このスローガンでは「台湾住民」は自身の国家帰属を決めるべき主権的主体として想定されていることになるから、私はこの時台湾の選挙政治への台湾ナショナリズムの公然たる登場を目撃したことになること、などを述べた。

数日前、先月からポツリポツリと読み進めていた台湾の歴史家周婉窈(台湾大学歴史学科教授)のエッセー集『島嶼的愛和向望』に次のような一行を見出した。周婉窈は、邦訳もある台湾史概説のベストセラー『台湾歴史図説』(初版1998年)の著者である。

「台湾の定義はまだできていない、しかし、台湾にできるのは再び外部の力が新たに台湾を定義してしまうのを待つことだけなのだ、などとは言ってくれるな」。

この言葉に、前回紹介した当時の「党外」リーダーの一人康寧祥の「台湾は今や三度目の運命の転換点に直面している」「台湾住民の命運をこの手で握ろう」という主張につながる思想の脈動を感じるのは私だけではないだろう。

前記周婉窈のエッセーが書かれたのは2009年、「台湾前途の住民自決」の主張が公然と現れてから四半世紀以上の時が流れていた。周婉窈が前引の言葉を記してからも10年以上の年月が流れた。そして、今まさに世界は新型コロナウィルス肺炎のパンデミックの最中にある。今回は、時系列の回想を進めるのは一休みして、「台湾前途の住民自決」のその後、そして現在について思うところを記してみたい。

「選挙共同体」

1983年当時「党外」の「台湾前途の住民自決」の主張には2つの部分があった。一つは、(A)台湾は命運の危機に際しているが、また再び外部のパワー(当時の言い方は「国際強権」)により再度決定されてしまうことを拒否する、ということであった。これには台湾の国家が国際承認されていない状況に対する抗議も含意されていた。もう一つは(B)台湾の命運の選択に関して、当時の政治体制は住民の意思を反映できるものではない、故に民主化を要求する、というものであった。「自決」と「民主」が結合して政治過程に投入されたのである。前回述べたように「台湾前途の住民自決」の主張が論理的に「台湾住民」を主権的団体として想定していることを踏まえれば、これは台湾の政治体制を「人民主権」を体現できるものに改造したい、それによって(A)の状況に対処すべし、との要求であったと言えるだろう。

このような主張のその後は、周知にように(B)の政治体制民主化の部分は実現したのである。そして、実現した台湾の民主体制の存在を代表し象徴するのが、4年に一度の総統選挙であった。1996年に初回が実現した台湾総統選挙の挙行によって、台湾には、行政首長については、下は里・村の長、郷・鎮、県・市長から上は総統まで、議会については、下は郷民代表、鎮民代表から立法院議員まで、すべて自由な選挙によって選出する政治制度ができあがった。このことを私は2008年の著作(『台湾の政治』東大出版会)で次のように評した。

「中国大陸の東南、日本の南隣の海上に、民主体制を持った島嶼国家が出現したのである。台湾の有権者は、例外なくこの郷・鎮から国政レベルまでの公職選挙に参加した経験を持つ、いわば『選挙共同体』のメンバーとなったのである」(219頁)

そう、「選挙共同体」である。周婉窈の「台湾の定義はまだできていない」の「まだできていない」は、内外の困難に打ち勝てるだけの自己定義をまだなし得ていない、そしてそれを支えるだけの「何か」をまだ獲得できていない、ということであろう。そして、その「何か」はまた単に政治的な意味だけではなく多分に人文的な価値の形成をも含意しているものと理解できる。

ただ、政治的側面に限っていえば、2008年の私の目には、政治体制の民主化によって台湾住民は「選挙共同体」として自己定義したものと映ったのである。そして、言うまでもなく4年に一度の総統選挙はこの「選挙共同体」を代表するイベントであった。

今日までの四半世紀の間に台湾では7回の総統選が挙行されたわけだが、それは内外の諸要因により揺さぶり続けられた波瀾万丈の過程であった。初回からして、中国軍のミサイルが台湾海峡に撃ち込まれ台湾海峡で台湾侵攻作戦を模した大規模軍事演習が行われ、米軍が空母戦闘部隊を台湾海峡に接近させるという対抗措置をとる中でようやく平穏に挙行できたのであった。まさに「ミサイル」vs.「投票箱」の絵に描いたような対抗が現出したのであった。中国の「サーベルをかざす脅かし」と台湾の「民主」の対抗という、今日まで続く図式の原点であった。

その後2000年には民進党陳水扁政権が実現したが、その再選キャンペーンとしての「公民投票」は北京のみならずワシントンの不興を買い、以後2004年、2008年、2012年と民進党の総統候補は勝敗にかかわらず、北京のみならずワシントンの「好ましからざる人物」となった。

その後2016年に民進党は蔡英文を立てて政権を奪い返したが、2018年の統一地方選では、民主化・台湾化の進んだこの40年ほどの変化に違和感を持つ層が韓国瑜というトリックスターを得て台湾政治史では前例の無い右派ポピュリズムが盛り上がった。結果的に2020年1月選挙においては蔡英文が大勝したものの、蔡英文再選が一時危ぶまれるまでに追い込まれたたことはまだ記憶に新しい。

主権イベントの総統選

2019年に『台湾総統選挙』を著した台湾政治ウォッチャー小笠原欣幸の研究がこれら7回の選挙の実相を豊かに示しているが、台湾の総統選挙が体現しているものは単に最高行政首長の選挙であり、政治権力の競争に一定期間の決着をつけて政治権力のマンデートを更新する政治制度というだけのものではない。私見に拠れば、台湾の総統選挙はいわば「人民(=国民)主権イベント」としての意義をも有している。

周婉窈のレトリックを部分的に借りるとすれば、民主化により形成された「選挙共同体」が主権的共同体=国民(nation)であるとの「自己定義」を内外に顕示・誇示していく政治イベントにもなっているのである。小笠原をはじめ多くのウォッチャーが指摘しているように、総統選挙の持続的挙行とともに、台湾と中国とは違う(少なくとも広義の政治的意義において)との感覚を持ち、自身を「台湾人」とみなす人々が増加している(このような政治意識を小笠原は「台湾アイデンティティー」と呼ぶ)。

また、総統職を争う民進党と国民党では将来の国家選択(統一か独立か)とそれに密接に関わる対中政策の基本(「一つの中国」原則を受け入れるか受け入れないか)が異なるから、総統選挙はおのずから国家アイデンティティーに関する一種の国民投票(レファレンダム)の側面を持ってしまう。それ故、政権交代ごとに台湾社会は政治的激震に見舞われ、異なるベクトルの外からの圧力に直面し、台湾の有権者は自身の決定、つまりは自己定義の営為の代価を払わなければならない。

そのためか、これも小笠原が指摘するように、この代価が極限(中国との戦争)に達しないような世論からの自己規制がかかっている。すなわち、台湾側からみた台湾海峡の「現状維持」が常に多数となる世論のがっしりした構造が形成されてきていて、国民党、民進党両党もこれに逆らう候補を立てると当選が見込めなくなる。

こんな状況展開の中、1983年の「台湾前途の住民自決」の主張が含意した(A)の側面は、(B)の実現にもかかわらず不変である。総統直接選挙の制度化を推進し自ら初代民選総統となった李登輝は(A)の実現を期していたのかもしれないが、「国際強権」の基本態度を変えるには至らなかった。1995-96年の台湾海峡危機後に対中関係の修復を図ったクリントン米大統領が表明した「三つのノー」は、その象徴であった。台湾は対外的に明確な名称を持てないまま非承認国家であり続けている。

パフォーマンスする主権

競争と対立の存在する国際社会では、安定した国際承認を得ている国家であっても、主権を適切にパフォーマンスすることは欠かせない。まして、非承認国家においては、一定の安全保障が確保されている、つまり「事実上の独立」が維持できる、という条件下においてであるが、よりいっそう意欲的に主権をパフォーマンスすることによって、その「事実上の独立」の主権的内実を常に補完していかねばならない。「人民主権」がノーム(守るべき規範)である現代において、それは政治エリートの課題であるとともに、国民の課題でもある。もちろん、少なくとも「祖国」を主張する中国や米国のようなパトロン国家の「虎の尾」を踏まないようにしなければならないのだが。

目下、新型コロナウィルス肺炎のパンデミックの渦中で防疫活動にいそしむ台湾の「選挙共同体」の構成員は、「防疫共同体」という人民主権をパフォーマンスしているのだ、とも見ることができるかもしれない。台湾を単位とする防疫態勢に参加し守られることを通じて、防疫共同体はまさに「生命共同体」(李登輝が1990年代初めに使った言葉)と感じられているのかもしれない。

主権をパフォーマンスすることによりいっそう熱心たらざるを得ず、しかもその熱心が事実確認的主権になかなか結びつかないのは非承認国家の悲哀であるが、それらの活動で優秀な成績を上げ国際的認知度を高めることは、ますます「国民的」誇りとなっていくのである。その誇りをパンデミック後の世界はどのように遇することになるのであろうか。

そうでなくても、台湾という特異な非承認国家は、近代主権国家体系という大いなる偽善のシステムの中の鬼子ではある。東アジアにおける「国際強権」の対抗の地政学が、それを作りだしたのだ。

バナー写真=マスクをして果物を買う女性、2020年4月14日、台湾台北(AP/アフロ)

台湾 研究 若林正丈