蔡英文政権のこれまでの4年、これからの4年――政治家の“自信”と“説得力”について考える

政治・外交

2020年5月20日、同年1月に行われた台湾総統選挙で約820万票、57%という過去最多の得票数を獲得し再選した蔡英文氏の総統就任式が行われる。これまで総統選挙の勝敗は、その約1年前に行われる統一地方選挙の結果によって大方の予想がつくと言われていた。そしてその大事な2018年11月の統一地方選挙で蔡英文率いる民主進歩党(以下、民進党)は大敗を喫してしまう。「蔡英文の再選は危ういかもしれない」、「実質1年程度の準備期間での立て直しは難しいだろう」――そうささやかれる中、急速な巻き返しを経て見事な大逆転劇での再選だった。

2018年の統一地方選挙直後の民進党で

正直、筆者も2018年の12月の時点では蔡英文氏の再選は難しいだろうと考えていた。統一地方選挙の中で最も注目されていた台北市、高雄市など22の県と市の首長選で、政権与党の民進党は執政する県市数を選挙前の13から6に減らした一方、最大野党の中国国民党(以下、国民党)は6から15という大躍進を見せた。そんな中、私は敗北直後の民進党本部に話を聞きにいく機会にたまたま恵まれた。縁があって蔡氏の本の日本語版2冊を翻訳させてもらっていたし、他人ごととは思えなかった。

指定された時間に訪ねた民進党の本部は、選挙が終わったばかりだからかそれとも惨敗のせいかオフィスはガランとして静まり返っていた。私は案内された席に座り民進党の若手職員が説明してくれる敗戦分析を、口を挟むことなく黙って聞いていた。その語られる理由はどれも、台湾で統一地方選を取材していた日本の報道機関の支局長たちの分析や、研究者の友人たちの雑談で討論してきた要因とはまるで異なっており、外的な要因ばかりで、民進党内部でのまとまりのなさや選挙戦略的ミスのなどは全く言及されなかった。

「この人たちは本当に自分たちの敗因を理解しているのだろうか?」「自分たちのことを客観視できていないのではないか?」。私はそんなことを思いながら、質問を一つだけした。「2020年、蔡英文さんは立候補するつもりなのですか?」。答えは全くちゅうちょのないイエスであった。蔡氏本人が立候補をする気満々なのだと聞いた。私はその自信がどこから出てくるのか、勝算の根拠はどこにあるのかと心の底から驚いたのを覚えている。

もちろんその後、蔡氏の当選は、「自由」「民主」「人権」という価値観に基づいた香港の市民運動に対する明確な支持表明、米中対立の悪化からくる米国の台湾支援の強化などの追い風となる要素などから、2019年の秋ごろには、本人の当選は間違いない、後は総統選と同時に行われる立法委員(国会議員に相当)選挙で議席の過半数が取れるかどうかだろうというところまで急速に立ち直っていった。でも、それは全て後からの話である。

就任当時約7割を誇った蔡英文政権の支持率は、一期目の前半は低迷し続け悪くなる一方だった。蔡氏の長所、例えば低姿勢でさまざまな意見を広く取り入れようとする姿勢は、「弱腰だ」「決められない」と批判された。派手さがなく、すぐには効果が表れないが将来を見据えた内政政策も、即効性を重視する民衆から正当に評価されなくなっていた。そんな中での地方選敗退で迎える総統選である。この地方選での歴史的大敗直後の彼女の確固たる自信の根拠は何だったのだろうかと今でも疑問に思う。本人の政治家としての信念に基づく何かだろうとは思うが、その自信は本当に異次元だ。彼女しか見えていない風景があったのかもしれない。いつか本人に直接答えを聞いてみたいものだ。

台湾の政治家の言葉が持つ「説得力」

この文章を書くにあたり、2017年に自分がnippon.comに書いた記事をあらためて読んでみた。なぜ蔡英文本が日本で売れるのか、日本の読者は蔡英文本をどのように受け止めたのかという分析だ。

筆者は当時、蔡英文本が日本で読まれる理由の一つとして、蔡氏のような高い理想を掲げながらも、国民に寄り添った現実的な決断が下せるバランス感覚が整った政治家が一国のリーダーであることへの羨望(せんぼう)のまなざしと、台湾の市民社会が、自らの支持政党に対して何でもかんでも擁護するのではなく、常に「世論」という形で政治への監視を緩めずにいる台湾式の民主主義の姿への驚嘆などを挙げた。

台湾では間違いなく政治はみんなのものなのだ。みんなのものだからこそ、台湾の人々は新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)という未曾有の危機に対し、一人一人が「自分の問題」として一致団結し責任を持って取り組むことができたのだ。そして、政治家はそれに応える形で、きちんと整理された、そして分かりやすい情報開示、フェイクニュースへの素早い対応などとともに、昨年12月末の時点からこの感染症に対する水際、封じ込め対策を次々と打ち出していった。

なぜ徹底的な「先手」が打てたのかは、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の苦い過去の経験を生かした封じ込め対策とその経験を共有していた市民社会の理解、WHO(世界保健機構)から排除され続けていたことにより素早い独自対策を講じる必要があったこと、中国の公式発表を最初からうのみにしないという前提で対策を行ったこと、専門家が閣僚内にいることでウイルスに関する適切なデータに基づく説得力のある丁寧な説明を可能にしたこと、IT技術の効果的な活用による「スピード感」を持った対策などが挙げられる。

台湾では、専門家による適切なデータ分析の下、衛生福利部長(日本でいう厚生労働大臣)で、中央流行疫病指揮センターの指揮官の陳時中氏の丁寧で分かりやすい記者会見を1月下旬からほぼ毎日、質問がなくなるまで続けていた。その言葉は国民の自由や権利を一時的に国の権限で制限することの重みを十分に理解した中で発せられた、自らの言葉だった。だからこそ、彼は9割を超える支持率を誇り、市民がその言葉に共鳴し、協力した。

感染症対策の優等生台湾から今すぐ学ぶべきこととは

翻って、日本では全てが後手後手に回り、国民の命や経済活動、教育などの当然の権利が引き続き脅かされる事態となっている。新型コロナウイルスのパンデミックにより、全世界のリーダーたちはそれに等しく直面せざるを得なくなり、いかに国民の命を守るのか、今後の社会をどのように導いていくのか、そのリーダーシップがリトマス試験紙のように試されている。私はここで、各国の感染症対策の優劣を述べたいのではない。未曾有の危機だ。みんな手探りで解決方法を探している。各国適用できる法律や制度も異なっている。何が間違っていて何が正しいかは、全てが収束していく中で検証され、その検証が将来の感染症対策の中で生かされていくだろう。

新型コロナ感染症対策の優等生台湾といまだにもたもたしている日本。状況がここまで違っていれば今すぐに台湾から取り入れることができる対策は限られているかもしれない。しかし、台湾の対策方法の中から日本政府が今すぐ取り入れ改善することができるのは、その情報発信力、そして政治家が説得力を持って発信する言葉だ。

日本の政治家の「説得力」のなさ

日本では、すでに新型コロナウイルス感染症による死亡者数は700人を超え、5月6日までのはずの緊急事態宣言による行動自粛は一度延期になり、自粛期間は約1カ月半に及ぼうとしている。緊急事態宣言が解除されたとして支援策の遅れで人生が狂ってしまう人が多数現れるだろう。4月1日に突然全面的に打ち出された全世帯への布マスク配布政策によるマスク配布率は配達を請け負う日本郵政によると4月25日時点で日本全体の4%相当である(4月27日付時事通信)。厚生労働省の同政策関連サイトを見てみると、東京都と特定警戒都道府県は配布中となっているが、その他の県はまだ準備中となっており配布の見通しは立っていない。

当然のことながら、4月27日時点で住民基本台帳に記載されている全員に一律現金給付される10万円の申請書も手元に届いていない人が大勢いる。正直いつ来るのかも分からない。申請書が届いたとして、どれくらいの人が不備のない書類を幸運にも一発で作成することができるだろうか。そして振り込まれるまでにどれくらいの時間がかかるのだろうか。布マスクの前例もあり、「スピード感を持った」対応は残念ながら期待できない。

私たちは毎日のように首相や厚生労働大臣、そしてなぜか経済再生担当大臣が兼任する新型コロナ担当大臣の発する言葉をニュースや国会中継で耳にする。それはどれも抽象的で情緒的だ。特に5月の緊急事態宣言延長決定を国民に告げる首相演説は想像以上にがっかりさせられるものだった。状況がどうなれば緊急事態宣言に区切りが付くのか明確な基準を示さずに、国民の不安をあおるだけの結果となったからだ。安倍首相は専門家会議での意見を踏まえて「総合的に判断をする」とし、国民には、「敬意、感謝、絆の力」がウイルスに勝つために必要だと述べた。プロンプターに映る首相秘書官が用意した原稿を見て、間違いがないよう(と言いながらも一番間違ってはいけないところで間違うわけだが)“読んでいた”。

せっかくの国民との危機意識の共有の場が台無しだった。やはり下手であろうとも自分の言葉でなければ、そしてプロンプターの原稿を見るのではなく、テレビの前にいる国民に話しかけるつもりでなければ「説得力」は生まれない。またその言葉と同時に「スピード感を持って」結果を提示し、メディアの前でアピールしなければ、国民には伝わらない。台湾とはまさに対照的だ。

台湾の次の4年への展望

話は変わるが、筆者がまだ博士課程の大学院生だった2011年、ある学会で発表を行った。内容は台湾政治を主に研究している私には珍しく当時日本の与党だった民主党政権の東日本大震災への対応に関する論考だった。発表の最後に私は「日本より台湾の民主主義の方が成熟している、民衆のチェック機能がきちんと働いている」と発言をした。そうするとその発言を聞いたコメンテーターの有名な台湾人の教授がニコニコしながら私に言ったのだ。「前原さんは、台湾が好き過ぎてそのような台湾ひいきの発言をするのですね」。その場にいた人々は、恐らく誰も台湾の方が日本より優っているなんて思っていなかっただろう。私の発言をこのコメンテーターの先生と同じように日本人のお世辞と思ったに違いない。

しかし、この時私が思っていたことに現在納得してくれる人は増えたのではないかと確信している。そして日本の今の状況を「大丈夫だろうか」と心配する、もしくはがっかりしている台湾の人も少なくないはずだ。と同時に台湾の人には、人々が大切に育て続けた民主主義の成熟に自信と誇りを持ってほしいと思う。

台湾では総統の任期は最長連続二期8年と決まっている。そして二期目は基本的に波乱に満ちた4年になることが多い。なぜなら次の選挙を自ら立候補するということはなくなるため、本人が本来やりたかったことを大急ぎで優先させる傾向が少なからずあるからである。現在のところ蔡英文政権は適切な新型コロナ対策により高い支持率を保っているが、Withコロナ、アフターコロナの経済の活性化、社会的弱者への配慮、そして中国との距離感など難しい課題が続く。とはいえ、台湾の市民社会と政権との相互の緊張関係があれば、次の4年も乗り越えていけるのではないだろうか。いずれにしても5月20日の総統就任式演説でどのようなことが語られるのか楽しみである。

バナー写真=記者会見を行う台湾蔡英文総統、2020年1月22日(AFP/アフロ)

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