コロナ禍の今だからこそ注目したい台湾の公園革命——みんなで育てる公共空間

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新型コロナウイルスの登場で、感染リスクが比較的低いとされる屋外の公園が、新しいレジャーのパートナーとなりそうだ。お隣の台湾では、近年、ユニークな公園が続々と誕生している。子どもから大人まで引きつけるその魅力は何か、また、なぜそのような公園を生み出せたのか、台湾の事例から、コロナ禍における公共空間の在り方を探る。

コロナに先駆けて公園の価値を再発見した台湾

新型コロナウイルスの登場によって、私たちの暮らしは一変した。先頃、「新しい生活様式」なるモデルが示され、今後しばらく元のような生活には戻れないのだと、改めて実感させられた。

「新しい生活様式」は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の提言を、日常生活に即してまとめたものだ。そのひとつに「遊びに行くなら屋内より屋外を選ぶ」という項目がある。これを受け、誰もが利用できる屋外の公共空間として、公園が注目されそうだ。

実際、さまざまな活動の自粛を余儀なくされた期間中も、健康維持や気分転換のため、公園に出掛けた人は多いだろう。

新型コロナウイルスの流行より早く、公園の価値が「再発見」されているところがある。お隣、台湾だ。台湾では2017年に改修された台北の栄星公園を皮切りに、年齢や障害の有無などに関係なく、あらゆる人を包摂するという概念に基づく「インクルーシブ遊戯場」、ならびに、地域の文化や特性を生かした「特色公園」が続々と誕生している。特に前者は、幅広く市民の声を集め、遊戯場づくり(※1)に生かしている点に特徴がある。まさにみんなでつくる、みんなのための公園だ。

(※1) ^ 本稿では、遊技場の建設は概念形成にもつながるものだと考え、「つくり」と表記する。

市民の声でつくられたユニークな公園の数々

たとえば、台北市がインクルーシブ遊戯場のモデルケースと位置づける花博公園は、車椅子や義足の利用者、弱視者など、さまざまな障害を持つ人たちの意見を集めるところから始めた。それをもとに、車椅子のまま乗れるブランコ、段差のない砂場と手洗い場、点字の付いた案内板などが設けられた。

また、中央藝文公園の遊戯場をつくる際には、子どもたちを招いて、7回ものワークショップが開かれた。士林夜市に程近い前港公園は、近隣住民の声をデザインに生かすべく、オリジナルの遊具を地元メーカーにオーダーした。ひときわ目を引くシンボルツリーは、暗くなると発光する仕掛けまで付いている。

中央藝文公園のワークショップの様子。スペシャルニーズの子どもたちも参加している(筆者撮影)
中央藝文公園ではワークショップの様子をパネルにして展示。スペシャルニーズの子どもたちも参加している(筆者撮影)

それぞれの場所の文化や歴史を踏まえ、地元のアーティストらにデザインを依頼した公園もある。

周辺に自動車部品を扱う町工場が集まる建成公園は、遊具のてっぺんに工具のモチーフが飾られ、人工芝に歯車の模様が描かれた。

朝陽公園があるのは、服飾材料を売る店が多く、「ボタン街」という異名を持つ場所。また老舗のお茶問屋が集まる迪化街も近いことから、目や背中はボタン、耳は茶葉というライオン型の遊具がつくられた。遊具がその街を知るきっかけになるのが面白い。

周辺に町工場の多い建成公園のすべり台は、てっぺんに工具のモチーフが付けられている(筆者撮影)
周辺に町工場の多い建成公園のすべり台は、てっぺんに工具のモチーフが付けられている(筆者撮影)

公園の利用者は子どもだけに限らない。

南港公園は遊戯場をリニューアルする際、公園で囲碁や将棋を楽しむ人たちのための東屋(あずまや)、運動に訪れる人たちのためのジョギングコースとサイクリングコースも一緒に整備した。

また、桃園メトロ空港線をテーマにした新北市の楽活公園には、本格的なトレーニングのできる健康器具が設置され、好評を博している。

南港公園の東屋は囲碁や将棋を楽しむ人たちが集う憩いの場になっている(筆者撮影)
南港公園の東屋は囲碁や将棋を楽しむ人たちが集う憩いの場になっている(筆者撮影)

桃園メトロ空港線の車両が空を飛んでいるかのような楽活公園の遊具。中には吊り革や運転席がある(筆者撮影)
桃園メトロ空港線の車両が空を飛んでいるかのような楽活公園の遊具。中には吊り革や運転席がある(筆者撮影)

我が町にも公園を。里長の秘策は

台北市は2021年中にインクルーシブ遊戯場を59、特色公園を39まで増やす計画だ。隣接する新北市も、この動きに追随。台北市を凌駕(りょうが)するスピードで、次々に公園を整備している。

台北市が既存の公園をリニューアルしているのに対し、新北市には新しくつくられた公園も多い。陶器の街として知られる鶯歌の、駅の南東側に位置する東鶯里には、公園がなかった。あるのは何十年も前に「公園予定地」に指定された土地だけ。それも2、30名の地権者に権利が分散していて、すべて買い戻すにはまとまった資金が必要だった。 

そこで東鶯里の里長(※2)を務める陳陸賀さんは、「容積移転」という制度を利用することにした。

まず、各地権者に「公園をつくりたいから土地を売ってほしい」と数年をかけてお願いに回った。土地を買うのは、里でも市でもなく、ゼネコンだ。ゼネコンは土地を全て買うと、市に譲渡する。その代わり、提供した土地の広さに応じた容積率を、別の場所で建設するビルやマンションに移転し、より高層化できるのだ。

これで市は懐を痛めずに公園予定地の所有権を得、ゼネコンは別のところで利益を出せる。そして里は新しい公園を手に入れることができるというわけだ。この容積移転という仕組みは、歴史的建造物の保存にも活用されている。

実は日本にも、同じような「空中権の移転」制度がある。東京駅丸の内駅舎の復元工事を行った際、500億円にのぼる改修費用を、周辺のビルに空中権を売却することで賄(まかな)ったという話は、よく知られている。

こうして2019年3月、東鶯里に初めての公園が誕生。日本統治時代、この場所に火事を知らせるための鐘楼があったことにちなみ、「古鐘楼公園」と名づけられた。すべり台は在りし日の鐘楼に似せてつくられ、消防隊をモチーフにした遊具も設けられた。陳里長は「物語のある公園にしたかった」と語る。

古鐘楼公園のすべり台は日本統治時代の鐘楼がモチーフ。鐘楼の再建計画も練られている(筆者撮影)
古鐘楼公園のすべり台は日本統治時代の鐘楼がモチーフ。鐘楼の再建計画も練られている(筆者撮影)

火事と消防隊をイメージしたデザインが施された古鐘楼公園の遊具(筆者撮影)
火事と消防隊をイメージしたデザインが施された古鐘楼公園の遊具(筆者撮影)

(※2) ^ 里は市・区・鎮の下位に属す行政区分。里長は4年に一度の選挙で選ばれる

移行期ゆえの課題も浮上

台北市から始まった公園再生が台湾各地に波及するなか、徐々に課題も見えてきた。

台北市の公園路燈工程管理處・南港公園管理所で股長を務める許耀仁さんによれば、これまでにない新しい遊具に対して「危ない」と感じる保護者が少なくないという。

たとえば複数人で遊べる回転遊具は、大きな子の回すスピードについていけず、小さな子が振り落とされてしまうことがある。ターザンロープに至っては、そもそも正しい使い方が分からないという声もあった。こうした声には、ガイド動画を作成したり、休日に遊び方教室を開いたりして対応しているという。

新しい遊具は維持管理にも手がかかる。既製品からオーダーメードに変えたり、挑戦性の高い遊具を導入したり、使用頻度が上がったりしたことで、よりきめ細やかなメンテナンスが必要となった。

メンテナンスのため、使用が禁止された南港公園のターザンロープ。自力で体を支えられない人や、体の小さな子どもでも遊べるよう、ベルトがついている(筆者撮影)
メンテナンスのため、使用が禁止された南港公園のターザンロープ。自力で体を支えられない人や、体の小さな子どもでも遊べるよう、ベルトがついている(筆者撮影)

公園が評判になり、多くの人が押し寄せるようになると、駐車場やトイレの不足問題も起こる。先の古鐘楼公園も、オープン当初、予想をはるかに上回る人出があり、周辺に車の行列ができたため、慌てて駐車場を整備したという。

そして、誰しもを包摂する「インクルーシブ」を標榜(ひょうぼう)しながら、青少年をうまく取り込めていないことが目下の課題だ。スケートボードやパルクール、ボルダリングなど、青少年が体を動かせる設備もつくれればと考えているそうだが、台北市では今のところ実現には至っていない。

許さんは、「今はまだ過渡期。外国から入ってきたインクルーシブの概念をローカライズしながら、周囲の人たちと一緒に公園を育てていく必要がある」と語る。 

「物言う市民」と育てる公園

そもそも台湾では教育の場でしか語られることのなかった「インクルーシブ」という概念が、公園に持ち込まれた背景には、2015年、「子どもたちの遊ぶ権利」を訴えて声を上げた、市民たちの存在があった(※3)

それ以前の行政府は、公園政策を重視していたわけでもなければ、公園づくりに市民が参画することに積極的でもなかった。それが今や、多くの地方自治体が、市民も参画できる公園づくりに熱をあげている。東鶯里の陳里長は言う。

「(以前は)公園なんて誰も取り上げたことはなかった。正直なところ、それが票になると分かって、みんなこぞって公園をつくるようになった」

「台湾の政府はいつも怒られてる。総統だって(笑)。僕たち里長も選挙というプレッシャーがあるから、きちんと仕事をする」

つまり「物言う市民」の存在と投票行動が、行政にしっかり影響を与えているというわけだ。

新北市議員・廖宜琨さんの事務所主任を務める劉徳彬さんによれば、「物言う市民」の存在は、2013年の「白シャツ軍運動」をきっかけに可視化されたのではないかという。

同年、台湾で兵役についていた若い兵士が、上官からのいじめが原因で死亡する事件が起きた。これを受けて、若者を中心に、事件の真相解明と軍の改革などを訴える運動が起こり、およそ25万人もの市民が、白いTシャツを身に着けて路上に出た。これは当時の台湾史上、最大規模のデモだった。

インターネットの普及も、呼びかけに力を貸した。電子掲示板やフェイスブックを介して、デモの趣旨に賛同する市民が集まり、大きなうねりとなった。結果、政府は一部の要求を呑まざるを得なくなった。

翌2014年には、サービス貿易協定に反対する学生らが、24日間にわたって立法院を占拠する「ひまわり学生運動」が起こる。立法院内部の様子はライブ配信され、SNS(会員制交流サイト)上でも連帯が呼びかけられた。立法院の外でも、学生を支持する人たちがデモを行うなど、「物言う市民」がますます存在感を増した。

ひまわり学生運動に呼応して開かれた抗議集会の様子(筆者撮影)
ひまわり学生運動に呼応して開かれた抗議集会の様子(筆者撮影)

台湾には長らく「物を言えない」時代があった。その時代を実際には体験していない世代にも、劉さん曰く「結局のところ、何でも政治とつながっている」という認識が共有され、社会運動に結びついた。

2015年の「子どもたちの遊ぶ権利」を訴える抗議活動も、その流れと無縁ではない。抗議活動に関わったNPO法人「還我特色公園行動連盟」の李玉華さんは言う。

「子どもの遊ぶ権利も、ひとつの人権思想。市民参画とか人権とか、そういったものは、民主主義を追求する政治につながる。文化や市民の意識が高まることで、インクルーシブという概念も一緒に育っていくんです」

公園という公共空間を、市民と行政が協力しあって育てていこうとしている台湾。日本でも称賛されている台湾の新型コロナウイルス対策も、もとをたどれば、この市民と行政のつながりに支えられているのではないだろうか。

片や日本でも、新型コロナウイルスの影響で集会を開くのが難しい中、SNSの#(ハッシュタグ)を使った、ネット上での投稿デモが広がりを見せ、「物言う市民」が存在感を示したことは記憶に新しい。コロナ禍で、「何でも政治とつながっている」ことを実感した人が多かったのかもしれない。

ごく身近な場所である公園ひとつとっても、政治と無関係ではありえないことを、台湾の例は教えてくれる。願わくば日本の公園も、私たちみんなに開かれた、みんなのための場所だと、心から感じられるような空間であってほしい。

バナー写真:黄昏時に明かりを灯す前港公園のシンボルツリー(筆者撮影)

公園 台湾 新型コロナウイルス インクルーシブ遊戯場