たった一人で私家版百科事典を編んだ男の軌跡 : 幕末の東西文化の違いを記録した『守貞漫稿』(その1)

歴史 文化

東京と関西は味の好みも、ファッションセンスも、笑いの質も明らかに異なる。交通手段のなかった時代は、今以上に、それぞれの地域独自の文化が醸成されていたことだろう。幕末に江戸と上方(京都・大阪)の違いにカルチャーショックを受け、それを膨大な記録に残した人物がいる。

江戸のトレンドは「洗い髪に兵庫結び」。髪を後ろに集めて、頂上に輪を作ってつき出し、簪(かんざし)で留めるスタイル。関西ガールに人気なのは、髷を2つ作って笄(こうがい)を刺し、余った垂れ毛を巻き上げる「両輪髷(りょうわわげ)」。東西の人気のヘアスタイルをイラスト付きで詳しく紹介――現代のファッション誌の企画を200年も前に先取りしている人物がいた。名は喜田川守貞、著書を『守貞漫稿(もりさだまんこう)』という。 

ヘアスタイルだけではない。着物の流行、民家の造り、火の見やぐら、人気の芝居、歓楽街などなどありとあらゆるものを東西比較している。東京と新大阪がのぞみで2時間半、インターネットでなんでも検索できる現代とは違い、1800年代の江戸と京坂(京都・大阪)は容易には行き来することができない遠い国であり、今以上に地域の独自性が強かった。 27年にわたって守貞が書き残した大量のイラストと文章から、当時の庶民の暮らしが生き生きとよみがえる。

「當世之美女 江戸」 「洗い髪に兵庫結び」と題されている。兵庫結びとは、髪を後ろに集め、頂上に輪を作ってつき出し、簪(かんざし)で止めたヘアスタイル。遊女の髪型だったが、江戸中期以降は庶民にも流行した 「今時京坂之婦人」 京坂の女性のヘアスタイルは「両輪髷」(りょうわわげ)。髷を二つ作って笄(こうがい)を刺し、余った垂れ毛を巻き上げる。江戸中期〜明治時代まで、京坂で流行した
左は「當世之美女 江戸」、 右「今時京坂之婦人」 。今でいうヘアアクセサリーの使い方も、東西で違いがある

浅草の古書店で発見された近世風俗史の貴重本

「余、文化七年庚午六月、浪華に生る。天保十一年九月、東武に来る。時に三十一。深川に間居し、黙して居諸を費やさんことを患へ、一書を著さんと思ひ、筆を採りて几に対す。ここにおいて、専ら民間の雑事を録して子孫に遺す。ただ古今の風俗を伝えて、質朴を失せざらんことを欲す」

『守貞漫稿』は、このような書き出しで始まる。

1840年、31歳で大坂を出て江戸に来た。深川に暮らして、詩経ばかりを読み漁る日々に虚しさを覚え、一念発起して本を書こうと考えた。テーマは民間の雑事であると語る。

雑事を掲載した本を、当時は「類書」(るいしょ)といった。現代でいうところの百科事典である。1867(慶応3)年までの27年間に巻之一〜三十と後集巻一〜五(補遺)、全35巻の膨大なシリーズが完成したが、当時は為政者である幕府も、知識人も、民衆も、その存在さえ知らなかった。ところが日本が近代国家への道を歩んでいた1901(明治34)年、浅草の古書店が著者直筆の『守貞漫稿』が書庫に埋もれているのを発見し、帝国図書館(現国会図書館)に売却する。

価格は80円。当時の1円を現在の約2万円とすると、約160万円。全35巻のうち巻二と巻七は欠本で、現在に至るまで行方は知れない。

帝国図書館に所蔵された『守貞漫稿』は、歴史学者の幸田成友(作家幸田露伴の弟)が閲覧し、「稀有の書」と称賛したという。その影響もあり、1908(明治41)年に國學院大学が『類聚近世風俗志』のタイトルで再出版。現代でも岩波文庫版『近世風俗志 守貞漫稿』(全5巻)、『守貞漫稿図版集成』(雄山閣)など再販が相次ぎ、近世日本の風俗を伝える貴重な資料と認められるに至った。

ビジネスマン、研究者、画家の才能を併せ持つ

喜田川守貞は商人だった。詳しい経歴はわかっていない。ただし、本姓は「石原」であったと『守貞漫稿』のなかで本人が述べており、商家の北川家へ養子として入り、後を継いだという。

北川家は砂糖問屋であったと、後集巻一に記されている。商売繁盛の裕福な商家だったと思われる。守貞が生きた幕末、砂糖は醤油や鰹節と並んで多くの料理に用いられ、特に醤油とブレンドした「江戸前の濃い口」に欠かせない調味料だった。

歴史作家の丹野顯氏は、守貞の人物像をこう考察する。

「第一に堅実な商人だった。しかも才気走らず、興味を持ったことの探求に愉悦と生きがいを感じる、好奇心旺盛な経済人。第二に『守貞漫稿』には、後から気づいた点をいつでも追筆できるようにページに余白を残しており、このような点に合理的な研究者の資質も見てとれます」

研究熱心で合理的は、現代人でいえば“知の巨人”立花隆。好奇心と冒険心が旺盛な経済人は、本田宗一郎。両人の特徴を兼ね備えていたのかもしれない。さらに、画才にも恵まれていた。冒頭で紹介した江戸と京坂の女性は、守貞が描いた同書の挿絵である。いずれも「中民以下ノ女」(庶民)だが、江戸と京坂では着物を含め、流行のスタイルが大きく異なっていたと、丁寧な解説文を付けている。

京都・大阪・江戸 「三都」の違いを後世に残す

『守貞漫稿』には、京坂(京都・大坂)と江戸の風俗・物事を対比して記録したページが多い。

守貞は大坂で生まれ、31歳で江戸に出たが、以降も仕事と生活の拠点は大坂にあり、たびたび商用で江戸に出張したと考えられる。生来、上方(京坂)文化のなかで暮らしてきた人であり、江戸とその文化は未知の領域だった。

徳川家康が江戸に幕府を開いた1603(慶長8)年以降、江戸は日本の首都として驚異的な発展を遂げたが、それまで政治・文化の中心は京都であり、経済の中心は大坂だった。江戸は関東の辺境に過ぎないという思いが上方にはあり、江戸時代約260年を通じて京坂と江戸の軋轢は続いた。

一例をあげよう。長さを表わす単位「間」(けん)は、一間(いっけん)の長さが江戸は約1.74m、上方は約1.91m。上方のほうが長く、尺を統一できなかった。日本の中心を自負する上方に忖度(そんたく)したものと思われる。しかも「間」をもとにした畳の大きさも、上方が「京間」(きょうま)といわれた一方、江戸は「田舎間」(いなかま)と呼ばれ違っていた。上方は、江戸をローカルと見る姿勢を崩さなかったのである。そこで江戸は、上方と異なる独自の文化を培う。下の写真はその顕著な例を守貞が描いた絵だが、京都と江戸では町並みがまったく違う。

「京坂巨戸豪之家宅之図①」 俵を積んだ場所が「上げ見世」と呼ばれる京都の商店の陳列棚。室町時代から続く京都の商店の特徴。左には木戸があり、抜けると長屋へ
「京坂巨戸豪之家宅之図①」 俵を積んだ場所が「上げ見世」と呼ばれる京都の商店の陳列棚。室町時代から続く京都の商店の特徴。左には木戸があり、抜けると長屋へ

「京坂巨戸豪之家宅之図②」 右にあるのが「番小屋」で、門戸を守る。その左隣に町家の入り口がある。間口は狭いが奥行きは長い、京町家の特徴「鰻の寝床」が見られる
「京坂巨戸豪之家宅之図②」 右にあるのが「番小屋」で、門戸を守る。その左隣に町家の入り口がある。間口は狭いが奥行きは深い、京町家の特徴「鰻の寝床」がうかがえる

「今世江戸市井之図」 道に面して商店がある(右側)。これが「表店」(おもてだな)で、主に地主が商店を営む。中央の木戸を抜けると、庶民が地主から賃貸する長屋がある
「今世江戸市井之図」 道に面して商店がある(右側)。これが「表店」(おもてだな)で、主に地主が商店を営む。中央の木戸を抜けると、庶民が地主から賃貸する長屋がある

江戸にやって来た守貞が、こうした違いにカルチャーショックを受けたことは容易に想像がつく。それだけではない。言語(方言)、風習、暮らし、衣服、食事、人々の趣味嗜好に至るまで、江戸と京坂は著しく異なっていた。だが、守貞はそれらに優劣の基準をあえて設けなかった。ひたすら、可能な限り正確に事実だけを綴り続け「子孫に遺す」、それだけが願いだった。

前出の「當世之美女」にも、「今ノ美人モ亦(また)、後世ノ美人ニハ非サルベシ」とだけ余白に書き、流行や価値観は普遍ではないと喚起し、優劣は述べていない。カルチャーは変転していく。だからこそ衝突するのではなく、互いを知り、認め合うべきという信条が、ここにある。

「守貞の8歳年上に、大坂生まれで歌舞伎狂言などの台本を書く人気作家、西沢一鳳(にしざわいっぽう)がいます。彼は守貞と同時期に江戸に1年住んで取材し、三都(京都・大坂・江戸)を比較した『皇都午睡』(こうとごすい/嘉永3年・1850刊)を書きます。守貞は江戸で一鳳と会い、彼の著作意図を知り影響を受けたのでしょう。しかし、執筆を始めたのは守貞が10年ほど早く、『皇都午睡』が文字だけのルポルタージュ風なのに対し、『守貞漫稿』は百科事典的に正確・質朴な文に図まで添えて伝えたのです」(前出・丹野顯氏)

 1867(慶応3)年、守貞は筆を折る。1853(嘉永6)年のペリー来航の影響があったと思われる。幕府と米国の間で戦争が起きることが心配だったと、守貞は綴っている。

「『守貞漫稿』では生業、雑業、食類を扱った記事などに、魚や野菜の棒手振(ぼてふり/物売り)、鮓(すし)や蕎麦(そば)などの文と絵があり、大衆の暮らしへの深い愛情を感じます。しかし、黒船来航以降、10年以上にわたって騒擾(そうじょう)が続くなか、次第に書き続けることができなくなったのでしょう」(前出・丹野顯氏)

明治という新時代に入ると、守貞が愛した江戸時代の風俗・庶民文化は、急速に西洋化の波に押し流されていった。異文化に寛容な守貞も、外国文化の侵食は受け入れ難かったのだろう。その後の守貞の消息は不明だ。

バナー写真・文中写真 / 国立国会図書館蔵
参考文献 /『近世風俗志 守貞漫稿』(岩波文庫)、『守貞漫稿図版集成』(雄山閣)
注)『守貞漫稿』は「謾稿」ともいうが、本連載では常用漢字に従い「漫稿」と表記する

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