中国語で執筆する日本人作家――新井一二三

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新井一二三氏は特殊な作家だ。日本人でありながら、主に中国語で執筆しており、中国語の著書は30冊近い。新井氏の中国語には独特の雰囲気がある。飾り気がないようできめ細やかさは失われず、刃物のように鋭く切り込んだかと思えば一方で優しさがあり、台湾では「新井文体」と呼ばれる。長年、新井氏と本を作ってきた台湾の大田出版社・荘培園氏に新井作品の魅力を聞いた。

台湾で30冊の著書を出版する日本人作家・新井一二三氏

台湾人が初めて新井一二三氏を知ったのは、90年代末、台湾四大紙のひとつ「中国時報」の文芸欄「人間副刊」連載のコラム集「三少四壮」ではないだろうか。当時の中国時報は、食品大手・旺旺グループ傘下に入る前であり、創始者である余紀忠氏が実権を握っていた。そしてインターネットは黎明(れいめい)期、読み物と言えば紙媒体がまだ絶対的王者の時代だ。中でも人間副刊の影響力は大きく、新人が人間副刊に採用されるということは、文壇への切符を手にしたも同然だった。「三少四壮」は人間副刊を代表するコーナーだ。当時の編集長の楊澤氏が30~40歳代の作家を起用して、毎週1作ずつ自由なテーマでコラムを執筆するというものである。台湾文壇界の半数が同コーナー出身と言われるほど多くの作家を輩出している。映画『あの頃、君を追いかけた』の原作者であるギデンズ・コー氏(九把刀)もその1人だ。

2018年、台北華山文創園区で台湾で27冊目の著書を出版したばかりの新井一二三氏と、人間副刊の元編集長である楊澤氏による対談が行われた。この対談で楊氏は新井氏との出会いをこう回想している。20年前、香港メディアで新井氏の文章を読んだとき、楊氏は新井氏を三少四壮の執筆陣に加えたいと考えたそうだ。楊氏は東京で暮らす新井氏に国際電話を掛け「最近お忙しいですか?」と聞いたという。ちょうど1週間前に出産したばかりだった新井氏は、電話を受けて、「忙しいも何も…」と思ったそうだ。

新井氏の執筆陣入りを巡っては、少なからぬ抵抗があったと楊氏は打ち明ける。何と言っても「三少四壮」は台湾で高い評価を得ている作家らが執筆するコーナーだ。実際に「台湾には優れた作家がいるのに、なぜ外国人に中国語でコラムを書かせるのか」と疑問視する声もあったという。だが楊氏は自身の直感を信じた。彼の決断により新井氏の台湾における執筆活動の扉が開かれたのだ。そして今では執筆活動の場は紙からウェブへと広がっている。台湾では著書30作が出版、何作もが改訂・再版され、中国大陸でも簡体字版が発行されるまでになった。

台北華山文創園区にて前・人間副刊編集長の楊澤氏と対談(2018年、 大田出版社提供)
台北華山文創園区にて前・人間副刊編集長の楊澤氏と対談(2018年、 大田出版社提供)

人生で最大の影響を与えたのは「旅行」

長年、新井氏のパートナーである大田出版社のチーフエディター荘培園氏は、「三少四壮」で初めて新井氏の文章を読んだとき「すぐに魅了されました。日本人がこんな風に書けるなんて!」と驚いたという。荘氏はすぐに「中国時報」に新井氏の連絡先を尋ね、国際電話を掛けた。その時点では、新井氏の台湾での実績はたった1本コラムを書いたというだけだった。荘氏からの電話を受け、新井氏は「私が本を執筆ということですか?」と非常に驚いていたそうだ。

新井氏の台湾における重要なパートナーである荘培園氏(荘氏提供、撮影: Jiafu Chen)
新井氏の台湾における重要なパートナーである荘培園氏(荘氏提供、撮影: Jiafu Chen)

翌春、荘氏は東京に新井氏を訪ねた。このときは、まさか2人の関係が21年も続くとは思わなかったという。当時、新井氏の息子はハイハイを始めたばかりでまだミルクを飲んでいたが、今ではすでに大学生である。

荘氏によると、新井氏は人と打ち解けるのに時間がかかる人だという。「初めて国立市に新井さんを訪ねた際、私達はカフェにコーヒーを飲みに行きました。カフェの前には桜の木があったことを覚えていますが、当時の私達は何を話したらいいか分かりませんでした。その後、毎年、新井さんに会いに来ていますが、今では2人でよくおしゃべりをして食事に行き、公園を散歩したりします。仕事の話は少ないですね。新井さんの家で彼女の旦那さんが好きな林強(リン・チャン)の歌を聞いたりもします。林強の歌は(新井さんの家の)歓迎曲なんです。新井さん一家は皆、文化に対して包容力があり、とても台湾を愛してくれています。お子さんも同じで、台湾に来ても好き嫌いをせず、客家料理だって食べるのですよ」

そして、荘氏はこう続ける。

「新井さんが書く中国語の文章はまるで物語のようです。それは、彼女の報道記者としての経験に関係があるのではないでしょうか。特に読者に早い段階でポイントを読ませるところが特徴的です。新井さんの中国語は独特の味わいがあります。気軽に読め、それでいてしっかりと情報を得ることができます。また、参考資料の理解にとても長けていると思います」

さらに、荘氏は新井氏の執筆作業は非常に規律正しく、締め切りに遅れることはほとんどないという。

「以前、ある記者が新井さんにどうやったらそんなにきちっと締め切りを守ることができるのかと尋ねたそうです。すると新井さんは逆にこう尋ねました。『出勤したときタイムカードを押しませんか? 私も同じです。フリーランスにも決まった仕事時間が必要です。今日はうまく書けなくても、とにかく書いて書いて、いつかさらにうまく書けるようになることを信じて書き続けるのです』」。この21年の間、新井氏は1年に1~2冊の著作を発表している。そのペースは一度も中断されたことがない。「彼女にとってそれが普通なのです。彼女の仕事は書くことなのですから」

新井氏の毎年の執筆量は決まっているため、彼女が他の中国語の媒体で発表した文章を編集したものや、香港で出版されたものが絶版になった後、再編集して台湾で出版したものもある。そうした仕事を積み重ね、双方の理解が深まったところではじめて新作の企画につながるのだ。

荘氏は大田出版社で企画した新井氏の最初の書き下ろし『獨立,從一個人旅行開始(独り立ちは、1人旅から / 2009年出版)』の制作のきっかけを話してくれた。

「当時、私は新井さんに『人生で最も影響を受けたことは何ですか?』と尋ねました。新井さんの答えは『旅行』でした。新井さんは若い頃からよく1人で旅に出ていたそうです。彼女の中国語は、教室ではなく、旅行中に出会った人たちとのおしゃべりで学んだものだそうです。」

そんな新井氏の経験から執筆された『獨立,從一個人旅行開始』は台湾でベストセラーとなり、中国で出版された簡体字版も大ヒットした。「新井さんと一緒に北京と上海に本の宣伝に行った際、特に若い学生が読んでくれていることが分かりました!」

中国語を用いて日本を観察する「野党」的存在

2017年に新井氏は台湾で『我和中文談戀愛(私は中国語に恋をする)』を出版した。新井氏は著書の扉に手書きでこう記している。「中文好聽,好看,好玩,好寬容(中国語は音がきれいで、見た目もよく、面白い、そしてとても寬容だ)」。以前、新井氏は、中国語を以下のように形容していた。「中国語を話すと胸が高鳴り、まるで初恋のようなときめきがある、特に美しいのは音で、聞くだけで感動するほど美しい、それはまるで歌のよう。中国語で文章を描くときは私ではない誰かになれるようなのです」

ある年、新井氏はシンガポールで中国語の普及についての講演をした。ステージの下でその様子を見ていた荘培園氏は、ふとこう思ったそうだ。「そうだった。彼女は日本人だ。日本人である彼女が中華系の人たちにどうやって中国語を愛すべきかを教えているんだ!」長年、新井氏と共に仕事をしてきた荘氏は、対面でも筆談であっても新井氏の答えがとても的確であることをよく知っている。また、電話インタビューの際には、新井氏のヒアリング力の高さをひしひしと感じているのだそうだ。

「新井さんの文章は基本的に修正する必要がありません。(日本人である)新井さんが台湾で出版することは、ウサギと亀が一緒にレースをするようなものだと思います。台湾では1~2冊の話題作であっという間にベストセラー作家となり、いつの間にか消えゆく人もいますが、新井さんはゆっくりだけど堅実に前に進む亀の方です。しかも新井さんは書くのが速い。仕事は速く、ゆっくりと進む亀ですね」

荘培園氏は、そんな新井さんのことを一般的な日本人とは違うと感じているそうだ。新井氏が中国語で日本を観察する姿は、例えるなら「野党」に近いのだという。新井氏は日本で台湾の映画をテーマにした著書を出版し、明治大学の中国語圏映画の授業も担当している。

新井一二三氏(大田出版社提供)
新井一二三氏(大田出版社提供)

技巧に走らず、爽快でハッキリとした作風

筆者が新井一二三氏を知ったのも、中国時報・人間副刊の「三少四壮」だった。初めて買った著書は2001年出版の『可愛日本人(愛すべき日本人たち)』、2冊目は台北国際ブックフェアで購入した『櫻花寓言(桜の寓話)』だ。同書は新井氏が香港で過ごした90年代を描いたエッセイなのだが、彼女が描く香港の風情には本当に夢中になった。筆者は、仕事の関係で香港に1週間滞在した際、同書に登場した北角(パコック / ノースポイント)の理髪店を訪ねたものである。そして筆者が最も好きな作品は2007年に出版された『我這一代東京人(私の世代の東京人)』だ。新井氏が描く東京は、台湾の同世代が最も憧れ最も思いをめぐらせる東京なのだ。

日本の現代文学の作家を紹介した『可愛日本人』では、向田邦子の『父の詫び状』に触れている。台湾において『父の詫び状』の翻訳本は小さな出版社から出版されたことはあったものの、広く知られるようになったのは2005年に出版された大手・城邦グループ傘下の商周出版社版だろう。翻訳版の『父の詫び状』は何度も増刷を重ね、向田邦子は台湾でもベストセラー作家であると言える。そんな向田氏のことを台湾では魯迅と並び20世紀を代表する中国語圏の女流作家・張愛玲になぞらえて「日本の張愛玲」と呼ぶことがある。実はこの呼び名は新井一二三氏が著書の中で付けたものだ。

新井氏の台湾における29冊目の著書『 我們與台灣的距離』(大田出版社提供)
新井氏の台湾における29冊目の著書『 我們與台灣的距離』(大田出版社提供)

新井氏の書く中国語には格別の魅力がある。技巧に走らず、爽快でハッキリとした描き方から感じられるのは、華麗な表現ではなく、言葉そのものが持っている力の方をより重視しているからではないだろうか。筆者が初めて人間副刊で新井氏の文章を読んだとき、ネイティブの中国語話者が日本風のペンネームで執筆しているのだと思ったものだ。20年以上前でさえ、中国語の能力はすでに非の打ちどころがないレベルに達していた。

2019年、新井氏は筑摩書房から『台湾物語:「麗しの島」の過去・現在・未来』を出版した。同書は元々、日本の読者向けに日本語で執筆されたものだったが、後に台湾の翻訳者により『我們與台灣的距離(私と台湾の距離)』として中国語版が出版された。同書は新井氏による台湾の読者への贈り物だ。日台で活躍する新井一二三氏は言わば文壇の二刀流だ。野球でいう大谷翔平選手のような存在と言えるだろう。

バナー写真=新井一二三氏(大田出版社提供)

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