価値観揺れる時代に勧善懲悪の痛快感 : 『半沢直樹』はなぜウケる?

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TBS系で放送されている日曜劇場『半沢直樹』が、前回シリーズから7年ものブランクをものともせず絶好調だ。主人公・半沢直樹を演じる堺雅人さんの好演に加えて、半沢の敵役を演じる歌舞伎役者の怪演が印象に残る。なぜ、ドラマ『半沢直樹』 は見るものの心を捉えるのか―。大学時代は人形浄瑠璃を研究、小説家としてデビュー前には歌舞伎の企画制作、演出に携わった経験を持つ時代小説作家の松井今朝子さんにお話しを聞いた。

松井 今朝子 MATSUI Kesako

1953年、京都市生まれ。南座にほど近い環境で育ち、幼少期から歌舞伎の魅力にとりつかれる。早稲田大学大学院文学研究科演劇学修士課程修了後、松竹株式会社に入社、歌舞伎の企画制作に携わる。その後、フリーとして歌舞伎の脚色・演出・評論などを手がける。97年、『東洲しゃらくさし』で小説家デビュー、同年、歌舞伎役者を主人公にした『仲蔵狂乱』で時代小説大賞、2007年『吉原手引草』で直木賞受賞。最新作は初代・市川團十郎を通じて、人の心を動かす「芸」がいかに生まれ、いかに受け継がれるかを描いた長編『江戸の夢びらき』(文藝春秋)。

コロナ流行で、外出もできずに暇だったし、歌舞伎役者がたくさん出ているというので、どんなものかしらと総集編から見始めました。

いまや斜陽産業になりかかっている銀行が、世間を揺るがす“巨悪”として描かれている設定からしてちょっと時代がずれている印象。しかも、歌舞伎役者が4人も重要な役どころで出ているので、これは近・過去の時代劇なのだというコンセンサスができて、みんなが安心して見ていられるのでしょう。

見得を切るような顔芸に加えて、セリフ回しに歌舞伎の技法を使っていたり、歌舞伎の名場面のオマージュと思わせるシーンがあったりと、世間がイメージする歌舞伎的なイメージをさらにカリカチュアライズ(戯画化)した演出になっている。何ごとも大げさで、勧善懲悪で、漫画チック。自分とは切り離された世界だからこそ、痛快さをそのまま楽しめるのです。

エンターテインメントにはならない現実の世界

リアルな世界はあまりにもややこしくて、善悪とかそういうことが非常に揺れている時代。日本だけでなく、世界中がそうだと思うのです。高度経済成長期は、経済的にどんどんよくなることが善であると思えていたし、みんなが同じ方向に進むことに迷いがなかった。でも、今の時代、経済成長を追求するだけでいいのだろうか――と多くの人が疑問を持っている。政治リーダーには不満を感じながら、次になってほしい人も思い浮かばない。

そんな先が見えない現実世界をリアルに描いてもモヤモヤするだけでエンターテインメントにはならない。だから、いっそ漫画にしてしまえという割り切りこそが、『半沢直樹』成功の理由でしょう。

半沢直樹は、やり込められ、窮地に立たされても、最後の最後には視聴者の期待通りに「倍返し」してくれる。パターン物がもたらしてくれる安心感があります。現実の世界では、もちろん、そんなにうまい話はないってことは、みんな分かっているのです。だからこそ、半沢直樹の活躍が庶民の気持ちを慰撫(いぶ)して、日曜の夜、「よし、また明日から頑張ろう」と元気にさせてくれるのです。

『半沢直樹』が歌舞伎に何をもたらすのか

歌舞伎役者がテレビや現代劇の舞台に出演することは、今に始まったことではありません。でも、歌舞伎の演技とテレビで求められる演技は全く違うもの。かつては、歌舞伎役者がテレビドラマに出る時には、「歌舞伎臭」を出すまいと必死になったものです。テレビドラマらしいリアルな演技が当たったために、逆に、歌舞伎でスケールの大きな役どころの感情を表現しきれず、演技が後退したと思われる役者もいました。

ところが、『半沢直樹』では、歌舞伎のクサい芝居を時として歌舞伎以上に仰々しく演じています。歌舞伎役者だけでなく、半沢役の堺雅人さんだって、実際にはありえないような大げさな物言いをしている。明らかにそういう演出であり、それが期待されているんでしょうね。テレビが漫画化しているのです。

歌舞伎は本当の意味の古典ではなく、「興行」として成り立っているもの。観客がいなければ成立しない。古典としての要素を持ち続けながら、精神まで古典化してしまうとつまらないので、その時代その時代の観客に楽しんでもらうために、新しいものを取り入れて、どんどん変わっていくのが前提です。そういう意味では、『半沢直樹』は、今までに一度も歌舞伎を見たことがない人に、歌舞伎に目を向けさせるきっかけになるかもしれません。

でも、『半沢直樹』の中の歌舞伎は、過剰にカリカチュアライズされた歌舞伎であって、本当の歌舞伎ではないので、そこを勘違いされたくはないという気持ちもあります。

歌舞伎にはもともと漫画的な要素があり、そこが『半沢直樹』にうまくはまったのだと思いますが、でも、漫画的である一方で、時代を経ても変わることのない人間の情や性(さが)を描く芝居であり、何代にもわたって脈々と引き継がれている芸もある。『半沢直樹』で初めて歌舞伎に興味を持った人が、歌舞伎座にやってきて、「テレビと同じだ!」と大笑いされるのは怖い。

半沢の妻・花ちゃんは日本の男のファンタジー?

大げさで、わざとらしいほどドロドロした銀行マンたちに比べると、上戸彩さん演じる妻・花は人畜無害で別世界に住んでいるように描かれている。「あぁ、日本の男は、相変わらずこういう女を求めているのか」ということがよく分かります。

花ちゃんは、半沢の仕事を深く理解しているわけではなく、対等な存在ではない。でも、かわいくて、なんだかよく分からないうちに、気が付くと半沢の役に立つ情報を仕入れてきたりする。そして、半沢は「花ちゃんよくやった!」と抱きしめる。「こんな妻がいてくれたらいいのに!」という、日本の男の願望なのです。

ヒッチコックの映画を見ると、あの時代、金髪の美人が憧れだったことが手にとるように分かる。でも、アメリカ映画もどんどん変わってきている。ヒロインは多様化して、強い女性、自分の力で生きていく女性が描かれるようになった。それに比べると、日本の男は相変わらずです。こんなに変わらない国も珍しいですよ。

女性の視聴者は、「ああ、やっぱり男はこういう女がお望みなのね、チョロイもんだわ」と笑って見ているのではないですか。将来は分かりませんが、これまでのところ、銀行員の妻という立場は、経済的には悪くない暮らしを手に入れられる。「結婚は経済行為である」と割り切れば、男が望む女を演じて、ラクして暮らすしたたかな女が花の本性なのかも。

それに気付かず、「花ちゃんみたいな奥さんがいればいいのに」と言わしめるのは、『半沢直樹』がよくできたファンタジーであるからなのでしょう。

バナー写真 : 左から香川照之さん(時事)、堺雅人さん(共同イメージズ)、片岡愛之助さん(共同イメージズ)

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