ロバート キャンベル氏、大坂なおみを語る

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自身3度目のグランドスラム制覇を飾った全米オープン。大坂なおみのマスクを使った黒人差別への抗議は、世界中の関心を集めた。こうした一連の彼女の表現方法について、日本文学研究者のロバート キャンベル氏は「米国の文化的バックグラウンドに加え、日本人的なメンタリティも感じる」と語る。その理由とは?

ロバート キャンベル Robert CAMPBELL

日本文学研究者。東京大学名誉教授。国文学研究資料館長。米ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業、ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。文学博士(日本文学専攻)。九州大学文学部講師、国文学研究資料館助教授を経て現職。テレビ番組にも多数出演。主な著書に『東京百年物語』(岩波文庫)『井上陽水英訳詞集』(講談社)など。

前例のないただならぬ勇気

大坂なおみの抗議活動は、全米オープンの前哨戦に当たる「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」から始まった。

大会中、白人警官による黒人男性の銃殺事件が起きると、彼女は準決勝の欠場を宣言。これに主催者も理解を示し、大会が一日休止された。

以前から大坂のTwitterをフォローしていたキャンベル氏は、この決断を下した時の彼女の心境を思うと「熱いものが込み上げる」と言う。

「というのも、これは今まで誰も下したことがない決断ですから。アメリカのスポーツ界では、2016年あたりから黒人差別への抗議が行なわれてきました。特にアメフトやバスケットボールで多く、試合前の国歌斉唱で片膝をつくといった抗議行動が見られました。しかしこれらは、有色人選手が多い団体スポーツでの出来事。大坂さんは白人が主流の、しかも個人競技でそれを行なった。テニス界から排除されるかもしれない、というリスクを背負っての決断。そこに私はただならぬ勇気を感じるのです」

「私は黒人女性」と言いきった理由

大坂はTwitterで、準決勝欠場を決めた心境を英語と日本語でツイートしたが、その中で「私はアスリートである前に、黒人女性です。そして、私がテニスをするのを見てもらうより、もっと大事なことがあると思っています」と述べた。

このツイートは多くの支持を集めたが、日本のネット空間では「つまりあなたは、自分は日本人ではないと考えているわけですね」といった否定的な意見も散見された。

キャンベル氏はこうした見方は、米国と日本の歴史認識の違いから来る誤解だと考えている。

「大坂さんは日本人の母を持つ、日本国籍の女性です。しかし、その一方で彼女が長く暮らす米国には、“ワンドロップルール”という人種に対する考え方があります」

米国では1865年に南北戦争が終わり、南部の多くの州で白人と黒人の「分離」、つまり「差別」を徹底するための法律がつくられたが、その中で黒人の定義が必要となった。

そこで生まれたのが“ワンドロップルール”。「一滴でも黒人の血が混じっていると、黒人と見なされる」というルールだ。

今も厳しい現実にさらされている黒人たち

もちろん、こうした法律は廃絶されることになったが、ワンドロップルールの認識自体は今も米国社会に深く根を張り、日本人には見た目が白人とほとんど変わらない人でも黒人として自認し、そのように見なされる現実がある。

そして黒人たちは今も、厳しい現実にさらされている。

仕事や住居、医療や教育といった社会資本へのアクセスが著しく制限され、そのことが新型コロナウィルスのパンデミックによってあらわになった。

「彼女に黒人女性としての自覚があるのは、ワンドロップルールの考えが根強い米国で長く暮らしているという背景もあると考えられます。彼女は自粛期間中、ジョージ・フロイドさんが射殺されたミネソタ州に足を運んでBLM(Black Lives Matter運動)のデモに参加しました。恐らく、SNSも含めて様々な人の声を聞き、多くを学んでいたと思います」 

大坂の言動にみる日本人的な感性

黒人女性であることを前面に出し、積極的に抗議活動を行なう大坂。その姿に、日本の一部の人々は違和感を抱いたかもしれない。

だがキャンベル氏は、彼女の言動にむしろ色濃い“日本”の影響を見ていた。

「日本人の母とハイチ系アメリカ人の父との間に生まれた大坂さんは、多元的な文化の持ち主であり、抗議における表現方法には日本人の表現方法や物事の考え方、ポジションの取り方を見て取ることができます」

例えば前哨戦の準決勝欠場を決めたとき、彼女は「私がプレーをしないことで何かが起きるとは思いませんが、白人が大多数のスポーツの中で会話を始めることができれば、正しい方向へ進む一歩になるのではないかと思っています」とツイートした。

「彼女は大上段に振りかぶり、尊厳や人権といった鋭利な言葉で米国社会の不平等を指弾するようなことはしない。いがみ合う社会の中で燃え上がる炎に油を注ぐようなことはせず、むしろ『語り合えるきっかけになれば』と控えめに、しかし、しっかりと訴える。そうしたところも日本的と言っていいのではないでしょうか」

分断の原因となっているマスクで抗議

全米オープンで着用した7枚のマスクも同様だ。

「実はアメリカでは、マスクを着ける、着けないということが“個人の自由”に対する考え方を意味するので、マスクによって分断が広がっているという現実があります。しかし大坂さんは、マスクによって分断を止めようとしている。マスクは私たちの口を覆うものですが、彼女はそのマスクに亡くなった人の名前を書きました。永遠に声を失った人々の名を書くことで、人々は彼らの名を知り、語り継いでいくことができる。仕事の合間や帰宅途中の信号待ちといった、ちょっとしたところで彼らのことに思いをはせ、語り合う。こうした彼女の表現方法に、日本で暮らす私たちも深い共鳴を覚えることができるのではないでしょうか」

キャンベル氏は大坂の抗議行動を考えると、日本人が大切にしてきたひとつの精神が浮かび上がるという。 “折り合い”の精神だ。

「“亡くなった人たちに思いをはせ、みんなで差別について語り合いましょう”という彼女独特の抗議には、日本文化の中に深く流れる折り合いをつけるという、ひとつの知恵や感性、経験が流れています。この精神を、もう一度思い起こす必要があるかもしれません」

大坂なおみが勇気を出して訴えた、静かなメッセージ。
日本に暮らす私たちも、もう一度耳を傾けてみたい。

バナー写真:全米オープンのシングルス準々決勝に勝利後、ジョージ・フロイドさんの名前が入ったマスクを着けてスタンドにボールを打ち込む大坂なおみ  2020年9月8日USA TODAY・ロイター 共同

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