台湾野球と日本(下):なぜ台湾選手は巨人で成功しないのか

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台湾において、台湾(中華民国)籍の王貞治選手が活躍した1960年代の頃から読売ジャイアンツ(巨人)の知名度は抜群に高い。ところが、巨人に加入した台湾のプロ野球選手――呂明賜、姜建銘、そして、陽岱鋼――のいずれも、期待された活躍を見せていない。これは単なる偶然なのか、それとも巨人だから活躍できない特別な理由があるのか。『長島茂雄 最後の日』『10・8 巨人VS中日 史上最高の決戦』などの著書があり、巨人に詳しいスポーツジャーナリスト鷲田康さんの話をもとに考えてみた。

鷲田 康 WASHIDA Yasushi

1957年埼玉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。およそ10年にわたり読売ジャイアンツ取材に携わった。2003年に独立。日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、Numberほか雑誌・新聞で活躍。プロ選手によるドリームチーム初結成となった2004年のアテネ五輪、2006年のWBC第1回大会から日本代表の全試合を現地で取材してきたスポーツジャーナリスト。最新刊は『10・8 ~巨人vs.中日 史上最高の決戦~』(文藝春秋)。他の著書に『僕のメジャー日記 松井秀喜』(文藝春秋)、『ホームラン術』(文春新書)、「長嶋茂雄最後の日」(文藝春秋)がある。

王以外は活躍続かず

日本のプロ野球で台湾出身選手が活躍する姿はもはや珍しくない。1990年代の「二郭一荘」と呼ばれた郭源治(元中日)、郭泰源(元西武)、荘勝雄(元ロッテ)の各投手。中日、阪神に籍を置いた大豊(陳大豊)はホームランバッターとして鳴らした。阪神では林威助が10年間に渡って主力打者を務めた。20年9月に米大リーグからロッテ入団したチェン(陳偉殷)の、かつての中日時代の力強い投球も印象深い。

一方、「球界の盟主」として圧倒的な人気と存在感を誇ってきた巨人では、王貞治を除いて、期待された台湾選手たちは残念ながら活躍が続かない状況だ。

現在、巨人に所属する台湾出身の陽岱鋼選手は、高校時代から日本でプレーし、2005年に日本ハムファイターズに高校生ドラフト1位で入団した。5年目からレギュラーに定着し、盗塁王を1度、ベストナインを4度獲得した。本塁打など長打力もあり、走攻守そろった、日本にはあまりいないタイプの外野手として日本ハムのスター選手となった。フリー・エージェント資格を獲得した17年、複数球団の競合の末に、5年間で15億円とも言われる大型契約を交わして巨人に加わった。

ところが、17年から19年までの3年間、成績は振るわず、一度も100安打に達していない。昨年は代打の切り札として一定の成績を残したものの、レギュラーには定着できなかった。今年もシーズン当初は1軍で先発出場する機会も多かったが、次第に控えに回り、8月から2軍、さらに一時は3軍に落とされた。

鷲田さんは、第一に、33歳とベテランの域に差し掛かっている陽岱鋼が今ぶつかっているのは「年齢の壁」だと指摘する。

「日本ハム時代の最後の頃から身体能力に衰えが見え始めていましたが、特にインコースが打てなくなりました。若い頃は、インコースでもヒットにするパワーがありましたが、いまは厳しくなっています。非常に安定していた守備力も同様です」

セ・リーグとパ・リーグの勝負スタイルの違い

年齢の問題に加えて、パ・リーグとセ・リーグとの体質の違いもある、というのが鷲田さんの見立てだ。

鷲田さんによれば、パ・リーグは基本的に力の勝負を重視するのに比べて、セ・リーグは相手の弱点をうまく突いてくる傾向がある。それは、巨人がV9を達成した川上監督時代からの伝統で、他の球団も影響を受けているという。陽岱鋼はもともとインコースが苦手。パ・リーグ時代も相手投手は内角を軸に組み立てをしてきたが、その一方で最後はやっぱりボールの力で抑え込もうというのがパ・リーグの野球。しかしセ・リーグでは最後まで内角を陽の「穴」として徹底して攻めてきている。結果として自分の打撃をできずに、調子を崩したとみられる。

「もともと台湾野球も大リーグと似ていて、いいところを伸ばしていく教育方法なので、台湾出身の陽岱鋼はパ・リーグの体質に合っていたのかもしれません」

そのインコース攻めで調子を崩してしまった台湾選手が過去、巨人にもう一人いた。

1988年代、ドラフト外で巨人に入った「アジアの大砲」呂明賜だ。現在、台湾で台北市チームの監督を務めている呂明賜のことを鮮明に覚えている日本人は多いだろう。同じ外国人選手のウォーレン・クロマティの怪我で1軍に上がって出場するや、次々とホームランを放って日本の野球ファンの度肝を抜いた。

「私は当時、巨人担当ではなかったですが、日本中が大騒ぎになりましたね。台湾出身ということもあって、王さんの後継者が現れたという期待もあった。でも、呂も欠点は内角球にあり、徹底的に内角を攻められて、最後は外角に変化球に落とされるパターンで崩された。飛ばす力は抜群でしたが、セ・リーグの弱点を狙う方法でつまずいたのでしょう」

かつての「アジアの大砲」呂明賜は、僅か短い時期だけ巨人を活躍していたが、いまでも巨人ファンの間によく話している人物。
「アジアの大砲」呂明賜が活躍したのはごく短い期間だったが、今でも巨人ファンの間で語り草となるほど鮮烈な印象を残した

適応力が求められる陽

ただ、弱点を攻められたり、年齢による衰えがあったりすることは、どの選手も遅かれ早かれ直面することであり、「大事なのはそれからです」と鷲田さんは言う。

「そうした時、適応力が問われます。プロ野球の選手は誰でも身体能力は高い。しかし、いつか衰えがくる。そんな時、どう忍耐を重ねながら順応していくかです。今年巨人で活躍している中島宏之と陽岱鋼は、いい対比になるかもしれません」

中島も、西武やオリックスで活躍し、米大リーグに挑戦したこともあった。帰国後、19年に巨人に加わったが、初年度の19年は散々な結果で、年棒は大幅カットとなった。しかし、今年は1軍でレギュラークラスの活躍をしている。

「中島は昨年の結果を受けて身体の衰えを認識し、それから無駄な動作を減らすことに取り組みました。今シーズンから打撃のスタイルが根本的に変わっています。陽岱鋼も右打ちを意識するなど、努力はしているようですが、現時点ではなかなかフィットできていません」

セ・リーグとパ・リーグで言えば、確かに、台湾選手はパ・リーグの方が合っているのかもしれない。ただ、巨人というチームの特殊な事情も、まったく関係がないわけではない。

鷲田さんは言う。

「巨人は毎年勝つことが求められるので、フロントも監督もファンも他のチームに比べて、我慢できる時間が短い。だから、結果が出ないと、すぐに2軍に落とされる。陽岱鋼は即戦力としてFAで加入しているので、なおさらそうです。選手は結果が出ている時はすべてがうまく回っていきますが、いったん逆の流れになると、まったく状況が変わります。2軍に落ちたり、出番が減ると、コーチからいろいろ言われる。自分は出してもらえれば活躍できるはずだという気持ちにもなって、精神的に追い詰められていくのです」

呂明賜はわずか4シーズンで巨人を去ったが、最後は「コーチに振り回された」「巨人というチームにつぶされた」と不満を口にしていたという。トレードで巨人に加わった大物選手が期待通りの活躍ができずに1軍の出場機会を失い、失意のうちに去っていったのは台湾選手に限ったことではない。

失意のうちに去った呂と姜

2005年巨人入団の姜 建銘(ジャン・ジェンミン)も、一同エースとして背番号17番に期待されたが、僅か3年で戦力外となった。
2005年巨人入団の姜 建銘(ジャン・ジェンミン)も、エース級の17番を与えられ、期待が高かったが、わずか3年で戦力外となった。

では、陽岱鋼はこのまま、呂明賜の二の舞のようになってしまうのだろうか。

「台湾向けの放映権など、プレー以外のところで陽岱鋼の貢献も大きかったと思いますので、総合的な判断になるとは思います。しかし、このまま今シーズンも最後まで結果が出ないようだと、若手も出てきていますから、残留は厳しくなるでしょう」というのが、鷲田さんの見方だ。

一方、巨人にいた台湾出身の投手では、姜建銘という逸材も忘れられない。最速148キロの速球にスライダーやフォークなど多彩な変化球を持ち、コントロールも良かった。大リーグの誘いも受けたとされるが、巨人に05年に入団。06年のシーズン途中からローテンションの一角を担うようになり、無四球完封勝利を挙げるなど好成績を残した。

07年は開幕から先発陣の一人に入ったものの、フォームを崩して打ちこまれることが増えて、2軍と1軍を行ったり来たりするようになり、最終的に2勝4敗の不本意な結果に終わった。08年は出場機会もなく、戦力外通告を受けた。

鷲田さんは姜建銘についてこう振り返る。

「すごい投手が出てきた、これはエース級になれるかもと期待したのですが、けががあったりして、調子を崩して2軍に落ちたあと、戻ってこれなかった。海外で活躍できる選手に共通するのはメンタルの強さです。自分というものを強く持って、しっかりと努力を続けながら現地の野球にも適応できるタイプでないと、海外では長く活躍できない。特に先ほど述べたように巨人は調子が上がるまで、長くは待ってくれないチーム。活躍の条件はより厳しいのです」

姜建銘は台湾に戻って台湾プロ野球リーグに復帰するが、2年後に引退。いったん民間企業で働いたが、12年に野手として復帰し、ナショナルチーム代表になるなど復活を遂げている。呂明賜も帰国後はしばらく選手として活躍を続けた。

台湾には才能に恵まれた選手が今も多くいる。今後も台湾選手が巨人で活躍できるかは、陽岱鋼の復活が見られるかどうかが一つの試金石になるかもしれない。陽岱鋼の躍動する走攻守が再び東京ドームで見られることを期待したい。

バナー写真:2020年6月26日、ヤクルト戦で先制ソロホームランを放ち、コーチに迎えられる巨人・陽岱鋼=神宮球場(共同通信社)

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