デジタル先進国エストニアに「IT立国」を学ぶ

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新型コロナウイルスによって露呈したのは、韓国や台湾、中国よりも電子化で後れを取っている日本の実態だ。菅政権によるデジタル庁の創設は、マスクや給付金を送付するにも気が遠くなるような日数と労力がかかっている実情に危機感を覚えた証左に違いない。日本の電子化を成功させるカギは何か。世界で一、二を争うデジタル先進国エストニアのラウル・アリキヴィ氏(日本・エストニア/EUデジタルソサエティ推進協議会理事)に話を聞いた。

ラウル アリキヴィ Raul ALLIKIVI

一般社団法人 日本・エストニアEUデジタルソサエティ推進協議会 理事 タルトゥ大学卒業。交換留学生として来日し、早稲田大学の修士課程を修了。エストニアに帰国して、2007年から12年までエストニア経済通信省で経済開発部局次長としてIT戦略・IT政策の設計などに従事。同年、エストニアの電子政府システムなどを紹介するコンサルティング会社ESTASIAを設立し、日本で起業家としての活動を開始。13年には、日本のクラフトビールを欧州へ輸入するBIIRUを設立。現在は、エストニアと日本のハイブリッドスタートアップPlanetwayのCRO(Chief Relations Officer)も務める。

給付金が振り込まれたのは申請承認から3日後

コロナ禍によって突如として迫られた「ニューノーマル」への転換。日本のデジタル化の後れを最も実感したのは、ラウル・アリキヴィ氏かもしれない。というのも同氏は日本に暮らしながら、ビジネスで祖国エストニアとの間を頻繁に行き来しているからだ。

例えば給付金一つをとっても、両国のスピード感の違いは明らかだった。

アリキヴィ氏は語る。

「エストニアの給付金は収入が3割以上減った人だけが受けられるというもの。一律10万円の日本よりも条件が複雑ですが、申請手続きは簡易で、申請が承認されてからわずか3日以内には振り込まれています」

エストニアで実施したのは月毎の休業補償の政府補助だが、給付の申請は従業員に代わって企業が行い、本来企業が支払うところを政府が各従業員に直接振り込む。作業が遅れに遅れた日本と違い、エストニアでは対象全企業の申請が開始されてからわずか2週間で給付が完了したという。

この一連の作業がスムーズに行えたのは、全国民に個人番号が割り振られる「ID制度」が導入され、国民は「e-ID(電子ID)カード」を使って、さまざまな行政サービスを受けられるからだ。

エストニアのe-IDカード
エストニアのe-IDカード brand estonia

サービスの提供に必要な情報は分散管理されているが、異なるデータベース(身分証明書DB、社会福祉給付DBなど)の情報を安全に連携して利用することができる。

「個人の勤務先のデータや銀行口座は、個人番号と紐(ひも)づけて登録されており、月々納付している税金のデータ記録を参照すれば、そこから個人ごとの給与の額が分かる。その額から給付金の受給資格の有無や支給する給付金の金額が算出できるので、速やかに所定の銀行口座に振り込むことができるのです」

だから、日本のような煩雑な書類の申請などは必要がなく、国民が面倒を強いられることがない。

オンラインでできないのは結婚、離婚、不動産登記だけ

e-IDカードの取得は国民の義務であり、行政サービスの99%がオンラインで完結する。紙で申請するのは、結婚、離婚、不動産登記の3つだけだ。e-IDカードは身分証明書、パスポート、運転免許証、健康保険証になり、このカードによって、オンラインバンキング、インターネット投票、納税申告といった、さまざまな行政・民間のサービスが受けられる。

アリキヴィ氏によると、e-IDカードをポイントカードとして使用する店も少なくないという。

「e-IDカードは見た目が身分証明書と変わりません。店で買い物をした時、自分がその店のポイントをためているかどうかを確認するために、カードを提示することもあります。自分がメンバーであることがわかると、e-IDカードを通じてポイントを付与してもらえる。手間はほとんどかかりません」

e-IDカード1枚で多くのことが済むため、財布がカードで膨れ上がることもない。また、オンラインでも多くのパスワードで混乱することもないという。

あらゆるサービスが受けられるe-IDカード。それを可能にするのが「X-Road」と呼ばれるプラットフォームだ。アリキヴィ氏が説明する。

「銀行の口座情報、国税庁の申告データ、内務省の住民登録データ、社会省の医療データ、電力会社の電気使用データといった、分散された無数のデータを連携させるプラットフォーム、それがX-Roadです。e-IDカードによってサービスを受けるのが本人だと確認できれば、個人番号とピンコード(e-IDカードを利用するための暗証番号)を通じて、その人に紐づけされた情報をいつでも取りに行くことができます。X-Roadを一つのインフラだと考えると、イメージがつかめるかと思います。さまざまなサービス、ソリューションをX-Roadに載せることで、e-IDカードを通じてそれらを利用することができるようになるのです」

エストニアの首都タリンで旧市街の散策を楽しむ人達 Renee Altrov/brand estonia
エストニアの首都タリンで旧市街の散策を楽しむ人達 Renee Altrov/brand estonia

分散管理されているさまざまなデータを、安全に連携して利用できるX-Road。その最初のモデルは2000年にエストニアで開発された。そこにはこの国特有の事情があったという。

「エストニアは九州と同じぐらいの広さの国土に、青森県の人口とほぼ変わらない132万人が暮らす、いわば過疎の国。しかも、当時は旧ソ連から独立回復して10年程度と日も浅く、予算が乏しい。そんな条件下で国を運営するには、すべてがつながるプラットフォームをつくれば、コストもかからないのでは、という議論から構想が始まりました」

「X-Roadというインフラができ、そこに紐づけされたサービスやソリューションが増えていくことで、e-IDを日常で利用する人が増えていった。コロナ禍で突然〝新しい日常〟が始まったわけですが、私たちエストニア人は20年前からその準備ができていたわけです」

率先垂範で電子化、ペーパーレス化を断行した政府

エストニアでX-Roadが開発されたころ、実は日本にもデジタル革命の波が押し寄せていた。当時の森喜朗政権は「5年以内に世界最先端のIT国家になる」という目標を掲げ、「e-Japan戦略」を立ち上げる。だが、それが掛け声倒れに終わったことは、コロナ禍の混乱を見れば明らかだ。

日本の失敗の理由について、アリキヴィ氏が理事を務めるJEEADiS(日本・エストニア/EUデジタルソサエティ推進協議会)の前田陽二代表理事が解説する。

「国が生まれたときから効率化を迫られていたエストニアは、その手始めに閣議を電子化、ペーパーレス化しました。国を電子化するんだという強い姿勢を、政治家が率先して示したわけです。一方、日本はいままで紙や手作業でなんとかできていた。ですから効率化を迫られたことはなく、e-Japan戦略にしても、各省庁がそれぞれ違う仕様のシステムを開発していたので、互いの連携性のないものができてしまった」

同じくJEEADiSの牟田学理事が補足する。

「実はマイナンバー制度の立ち上げにあたって、日本も情報のデータ交換を行う〝情報提供ネットワークシステム〟を作り、それによって各省庁や自治体が互いに持つ情報を連携できるようになっています。しかし、そこで行なわれるデータ連携の自動処理ができないため、結局人手がかかってしまう」

生徒が先生になる「IT生徒」

エストニアが世界で一、二を争う電子国家となるに至ったのは、長年にわたり、IT教育へ多額の投資を続けてきたことも大きい。たとえばすべての学校でインターネットの利用を可能にし、ほとんどの学校にコンピューターラボを設置し、子供たちは7歳からコンピュータープログラミングを学習している。

エストニアのパソコンを使った授業風景
パソコンを使ったIT授業の光景 Aivo Kallas/brand estonia

アリキヴィ氏によると、この国には他にも〝IT student(IT生徒、またはIT学生)〟というユニークな制度があるという。

「デジタル先進国といわれるエストニアでもITに精通する大人は限られていて、むしろ子どもや若者のほうが詳しかったりする。一部の学校ではそうした生徒をIT生徒と呼び、他の生徒や先生を導く役目を担ってもらっています。学校によっては、IT生徒に小遣い程度の手当を支払っているところもあるようです」

ブロックチェーンと履歴の保存義務化で国民から信頼

日本では、個人情報の漏洩(ろうえい)や、国に情報を管理されることに対する不安や懸念など、セキュリティーに不安を覚える人が多く、そのことが電子化を遅らせる一因と言われている。では、エストニアのe-IDカードはどうなのか。1枚のカードにすべてが紐づけされていると、カードを偽造、ハッキングされるようなことはないのだろうか。

「いいえ、そうした犯罪はいままでほとんど起きていません。e-IDカードには2つのピンコードがあり、1つは本人確認のため、もう1つはデジタル署名をするためのもの。これによってセキュリティーが強化されています。仮にカードを紛失しても、ピンコードは本人以外には知りえず、他人に使用されることはない。e-IDカードの使用をすぐに無効化し、新たにe-IDカードを発行してもらえば、データの安全性は保たれる」

数年前、論理的にe-IDがハッキングできる可能性があることに気づいたエストニア政府は、国民にカードのアップデートを求め、それによって安全性はさらに強固なものになったという。

e-IDのセキュリティーを担保する上で、重要な役割を果たしているのが「ブロックチェーン」というシステム。日本では個人情報を預けることへのアレルギーが強いが、エストニア人は安心してe-IDを使用している。それは1つにはブロックチェーンによって、データの改ざんができなくなっているからだ。

タリン市の旧市街の散策を愉しむカップル Rasmus Jurkatam/brand estonia
タリン市の旧市街の散策を愉しむカップル Rasmus Jurkatam/brand estonia

ブロックチェーンとは、情報をブロック単位で保存、ブロック同士を鎖のようにつなぐことで情報を保存するセキュリティ技術の1つ。暗号資産「ビットコイン」の基盤技術として知られるが、エストニアでは、「ビットコイン」とは異なる独自の「KSIブロックチェーン」と呼ばれる仕組みを採用している。

「誰かが勝手にデータを改ざんしておいて、改ざんしていないように見せる犯罪がありますが、ブロックチェーンがあることで、システム管理者でもデータを改ざんすることができません。また、誰が、いつ、どのような目的で、どのような方法で、自分の個人データを含む情報にアクセスしたのか、その履歴の保存を義務づけている。なので、誰でもその履歴を自分で調べることができる。このことによって、国家による監視社会になるおそれがなくなり、逆に国民による政府の監視を実現してくれる。だからこそ、デジタル国家(エストニア)は国民から信頼されているのです」

フィンランド、アイスランドもX-Roadを導入

2016年の調査によれば、政府を信頼しているエストニア国民は34%に過ぎないが、デジタル国家を誇りに思っている国民は76%に達する。アリキヴィ氏は日本がエストニアのような電子立国になるには、何よりも信頼できるシステムの構築がカギだと語る。

「世界の多くの人々がそうであるように、エストニア人も自国の政治家を信頼していません。彼らに個人情報を託して、正しく運用してもらえるとは思っていません。それでも私たちがe-IDカードや電子政府のサービスを安心して使っているのは、このシステムに全幅の信頼を寄せているからです。明るい場所では犯罪が起きない。システムの透明性が担保されていることは、とても重要なことだと思います」

最後に、デジタル庁構想を打ち出したばかりの日本がやるべきことは何か。アリキヴィ氏に尋ねた。

「今後、日本をどのような姿にするか、多少時間がかかっても、じっくりと話し合って、国民が政府の方針を理解し、自分達の生活の諸問題を解決できる包括的なデジタルインフラを決め、機会均等な公平さを保つこと。それが一番でしょう。20年間安全に稼働してきたX-Roadは、オープンソースなので、どこの国が使ってもいい。導入コストも安上がりです。実際にフィンランドやアイスランドも導入に動いています。現実的に考えてみる価値は十分にあると思います。我々は協力を求められれば、喜んで応じる用意はあります」

「エストニアのデジタル国家化成功要因」

  1. 徹底した透明性と実績に基づく社会的な信頼と合意
  2. 統合・整理された公的データ管理制度、使いやすい番号制度
  3. 多種多様な関係者の参加を前提とした迅速で合理的な意思決定
  4. 義務化やオプトアウト(個人情報の第三者提供に関し、個人データの第三者への提供を本人の求めに応じて停止すること)を活用したわかりやすい法制度の整備
  5. 人とコンピューターの協働が実現する業務の自動処理化
  6. X-Roadを基礎とした安心・安全・迅速な情報連携の仕組み
  7. 取得が義務化された国民IDカードによる厳格な本人確認と認証

バナー写真:enter e-estoniaの電光サインを撮影する女性 Jelena Rudi/brand estonia

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