「ロック」なアプローチで日米友好やコロナ禍の人々を支援する: 在ニューヨーク総領事館 山野内勘二大使

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在ニューヨーク(以下、NY)総領事館大使の山野内勘二さん。2020年7月の米国独立記念日には、祝賀として米国国歌を伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスに影響を受けて演奏した動画をFacebookで発信し、現地をはじめ国際社会でも瞬く間に話題となった。また新型コロナのパンデミックで演奏の機会を失った地元の音楽家・芸術家の支援イベントを大使公邸で開催するなど、さまざまな試みに挑戦している。それらの活動が日米友好に果たす役割とは何か、話を聞いた。

山野内 勘二 YAMANOUCHI Kanji

在ニューヨーク総領事・大使。1984年外務省入省。内閣官房副長官秘書官、北米一課長、内閣総理大臣秘書官、アジア太平洋局参事官、在米日本大使館公使、外務省経済局長などを務め、TPP交渉などで日米関係の発展に尽力。2018年10月より現職。

日の丸と星条旗の間に立ち、赤の蝶ネクタイを着けた山野内勘二大使が愛用のエレキギター、ストラトキャスターを奏でている。楽曲は米国国歌『The Star-Spangled Banner(星条旗)』。しかも「伝説」の一部として人々の記憶に今も生き続けるジミ・ヘンドリックスのスタイルだ。

在NY総領事館が7月4日の米国独立記念日を祝うため、公式Facebook上でその演奏動画をアップしたところ、再生回数は同6日時点で約26万回を記録した。

寄せられたコメントは、”Impressive! ”(お見事)、”So awesome!!! We love you Japan!!!!” (すげえカッコイイ。私たちは日本が大好きだ)、”Sir, you are a superb musician! You give me hope in this dark world.” (暗いご時世に希望を与えてくれた、素晴らしいミュージシャンだ)など、ポジティブなものばかり。そして「日本の大使がこんな素晴らしい祝賀をくれたよ」と、瞬(またた)く間に世界中に拡散された。

前例のない革新的なアイデアは、いったいどこから生まれたのか?

聞けば、総領事館の広報センターの現地スタッフのアイデアから始まったという。広報センターは日々米国社会への情報発信に尽力し、さまざまな提案を行っている。独立記念日が迫ったある日、「国歌演奏でお祝いのメッセージを伝えてはどうか?」と山野内さんのもとに相談があったという。

主な趣旨は独立記念日にこの国への敬意と感謝を伝えること。そして他にもう2つ、重要なメッセージがあった。今年は日本とNYの交流が始まって160年(※1)という節目の年にあたる。

総領事館としても記念になる発信をしたかった。またコロナ禍において、医療従事者やエッセンシャルワーカーに感謝と敬意の気持ちを伝えるとともに、パンデミックで打撃を受けた人々を元気づけたいという目的もあった。

「このような3つの趣旨でメッセージを送るからには普通に演奏してもつまらない。せっかくだったら個性を発揮でき、アメリカの友人の心に響くものにしたい」。山野内さんの頭に浮かんだのがジミ・ヘンドリックスだった。

音楽は幼少時から身近なものだった

「ジャンルにかかわらず音楽はずっと好きでした」と、山野内さん。母親が音楽好きで、実家には昔からギターやオルガンなどの楽器があった。中学生になると深夜放送の影響で洋楽に目覚め、高校生になってからはバンドを組み、文化祭などで演奏を始めた。「自分が独立記念日の国歌を演奏するなら、ジミ・ヘンドリックスのようにやる」と直感したというわけだ。

それは1969年、NY州サリバン郡で行われたウッドストック・フェスティバルでジミ・ヘンドリックスがエレキギターで米国国歌を披露した、伝説のライブ演奏のことだった。常識を打ち破ったこのデフォルメ・バージョンは当時、聴衆に驚きと興奮を与えたが、一方で当時としては斬新すぎたため、保守層からは反発を受けるなど賛否両論があった。しかし半世紀という時の流れの中で音楽ファンに語り継がれ、今ではそれに異議を唱える人はもういない。

「自由と多様性を尊重する、実に米国らしいストーリーですよね」

一方で、国を代表する大使が前衛的な演奏をすることに対し、総領事館の中では慎重論もあり、山野内さん自身にも懸念がなかった訳ではない。だからこそ「米国への敬意と感謝という真意が伝わるようにきちんとした服装で演奏しよう。そしてギターを弾くだけではなく、冒頭部分で演奏の趣旨をきちんと言葉で伝えよう」と、十全の準備を行って、実行に移した。

蓋を開けてみれば、現地のみならず世界中から反響が沸き起こった。これには山野内さん自身が驚いたという。中にはジョセフ・M・ヤング駐日米国臨時代理大使、デーブ・スペクター氏、ロバート・キャンベル氏など、さまざまな著名人からもSNS上で賛辞が上がり、ニューヨーク・ポスト紙でも報道された。

「予想を越えていろんな方にポジティブに受け止めていただき、本当に嬉しかったです。率直な感想を気軽に伝えてくれるという米国の人々の優しい一面も感じました。中でも、ジュネーブに駐在している米国のデニス・シェ―・ジュネーブ代表部大使がWTO(世界貿易機関)の貿易政策に関する国別レビュー会合において、この演奏を評価する発言をして下さったのは、非常に光栄でした」

日米友好の架け橋である外交官として、山野内さんはこれまでも「音楽」と共に歩んできた。在米日本大使館時代も、同僚と商社勤務の駐在員と合同でバンドを組み、毎年恒例の「桜祭り」や「敬老会」で演奏を披露。今年は新型コロナの影響で活動を自粛中だが、NYでもバンドを組み、日本文化を紹介する大イベント「ジャパンデー」などで演奏してきた。

「2000年から03年までの韓国のソウル駐在中も、余暇にバンド活動をしていましたが、韓国の人にもすごくウケました。歴史教科書等をめぐる問題で日韓関係が非常に緊張していた時代でしたが、オフに演奏をすると地元の人が聴きに来てくれました。私からすれば音楽が好きで常に自分の一部だからそのような活動をしていたのですが、現地の人からすると日本の外交官がバンドをやっているというのが新鮮だったようで、好感を持ってくれました。両国の緊張緩和に少しでも役立ったのであれば嬉しいです」

新型コロナで厳しい状況に置かれているアーティストを支援

在NY総領事館では最近、新型コロナウイルスの影響で演奏の機会をなかなか得られないNY在住の日本人ミュージシャンを支援する新たな試みも始めた。音楽家が演奏できる機会を作るため、毎月第3金曜日の夜に大使公邸で開くようになった「フライデー・ナイト・ライブ」だ。

「経済再開後も一番被害が大きいのが飲食業界とエンタメ業界です。才能豊かな人がこの街にはたくさん住んでいらっしゃるのに、発表の機会が非常に少なくなってしまったのです。どうにか支援をできないかと夏ごろからアイデアを練っていました。音響など技術面の準備や東京との調整でやっと10月に開始できました」

初回の10月はジャズトリオ「Jazz Triangle 65-77」、11月は箏・三味線とチェロの「デュオ夢乃」が演奏。12月18日はピアニスト、木川貴幸さんのライブが行われた。 

新型コロナ感染対策を十分にとるため、招待客は10人以下に制限しているが、出演したミュージシャンからは、たとえ10人でも観客の前でライブ演奏をできるのは素晴らしいとの声が上がっている。更に、この演奏会は総領事館のFacebookを通じてオンラインで発信している。

「公邸でコンサートを主催しても収容人数は100人程度ですが、これをオンラインで発信すると、あっという間に1000、2000人に達する。オンラインでの発信は芸術家支援と同時に日本の文化・ソフトパワーの発信という意味でもとても効果的だと実感しています」

支援は音楽家に限らない。日本クラブ主催のWEB公募美術展「Forward Together!」に協力し、入選作品の中から7点を「大使賞」として公邸に展示中だ。

「公邸に招待される賓客が日本の現代アートを直接鑑賞する良い機会ですし、少しでも芸術家のお手伝いができれば嬉しいです」

在NYのアーティストによる受賞作品を展示し、来客が鑑賞できるようにしている(2020年11月、大使公邸にて)  © Kasumi Abe
在NYのアーティストによる受賞作品を展示し、来客が鑑賞できるようにしている(2020年11月、大使公邸にて) © Kasumi Abe

日米の変革期に感じること

このように総領事館では、日ごろからさまざまな形で米国および国際社会に対して発信を続け、困った人に手を差し伸べている。パンデミックにより外出制限下となった2020年3月以降は、総領事館管轄地域の州知事や市長の記者会見の内容をまとめた上で、総領事館の領事メール及びSNS等で発信。HPにも情報を掲載し、在留邦人から「日本語で最新情報を把握でき、安心できる」と大変好評だ。

「総領事館の役目とは当館管轄地域で生活している約10万人の日本人の最後の砦(とりで)としてしっかり支えること。それが我々の使命です」

 東京の霞が関で働いている時も、「国民のため」に働いていることに違いはない。しかし総領事館で仕事をしている今、国民と距離が近いところで仕事をしている実感があるという。「外交官としての役割を果たすためなら苦労を厭(いと)わない」ときっぱり語る。

20年は日本の首相が安倍氏から菅氏に変わり、米国も大統領選が行われるなど、日米共にトランジション(変革)の時期だ。変革期という点では、世界の日本に対する眼差しの変化をこの30年で感じてきたそうだ。

「1990年、世界のGDP(国内総生産)に占める日本の比率は15%でしたが、30年後の現在は5%です。また90年に時価総額で世界トップ50に入っている日本企業は34社、トップ10には7社が入っていましたが、今年トップ50に入っている日本企業はトヨタ1社のみ。時価総額だけが企業の尺度を測るものではないが、日本にとっては経済面で大きなチャレンジの時代になっています」

世界のGDPに占めるG7全体の割合も、当時は7割を占めていたが、今は5割を切っている状況であり、世界のバランス自体が変革していることも感じるという。それでも、日本は世界第3位の経済大国であり、TPP等の国際的な自由貿易体制を牽引し、途上国支援や保健衛生分野で大きな役割を果たしている。

ただし昨今の米国でのニュースで、中国や北朝鮮に比べて日本が大きく報じられることはほとんどなくなった。今年日本が米紙に大きく報じられたのは「カルロス・ゴーン逃亡事件」「ダイヤモンド・プリンセス」「安倍前首相辞任」のニュースくらいだ。

「以前、日本が大きく報じられたのは日米貿易摩擦の時、二国間関係が非常に緊張をはらんでいた時代でした。例えば、世界中の主要空港では飛行機がわずか数分間隔で離着陸しており、これは人間の英知を集約した素晴らしいシステムですが、ほとんどニュースにはなりません。しかし、ひとたび事故が発生すれば大ニュースになります。悪い出来事の方が大きく報じられるというのがジャーナリズムの特質かもしれません。故に、一面に掲載されたからリスペクトされているかというと、それはまた別の話です」

「激動の国際情勢の中で、米国の外交・安全保障の専門家の間では、日米関係の戦略的重要性は広く共有されており、日本に対する米国のリスペクトは格段に上がっていると日々感じます。日本への多角的な関心を喚起していくことは我々外交官の重要な任務だと思います」

「日本へのリスペクト」とは?

米国から向けられる日本へのリスペクトで山野内さんが感じるものは、外交・安全保障から経済・ビジネス、そして文化面や日本食などのソフトパワーの面まで多岐にわたる。例えば、NYタイムズの「100 Notable Books of 2020(今年注目の本100冊)」が2020年11月に発表されたが、日本人や日本にゆかりのある作家が4人も入っている(川上未映子、村田沙耶香、恩田陸、柳美里)。「はやぶさ2」の成功も日本の科学技術力を世界に知らしめた。ノーベル賞の受賞者は21世紀になって毎年のように日本人が選ばれるようになった。

「母国語が日本語でありながらの快挙で、これらは世界に誇るべき素晴らしいことです。日本食にしても米国のみならず世界中で認知され、もはやブームを通り越し、定着していますよね。そのようなソフトパワーの面で各国からリスペクトが日本へ寄せられていて、そのような中で仕事をする大きな意義を実感します」

同盟国であり、外交上、日本にとって最も重要なパートナーである米国との関係を重層的に強化していくことは、日本の外交政策の基軸だ。その上で日米が協力し、「自由で開かれたインド太平洋」を実現していくことが大きな課題となっている。

「厳しさを増す国際情勢の下、日本の平和・安定・繁栄を確保する上で、日米関係は政治・安全保障、経済、文化、グラスルーツの交流等、それぞれが極めて重要です。ここニューヨークにあって、日米友好のために今後も我々が取り組んでいくこと、果たしていくべきことはまだたくさんあります」

【Facebook】https://www.facebook.com/JapanConsNY

バナー写真:在ニューヨーク日本総領事館大使の山野内勘二さん(2020年11月、大使公邸にて) © Kasumi Abe

(※1) ^ 江戸幕府から派遣された外国奉行である新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき)を首席全権とした万延元年遣米使節団は1860年、日米修好通商条約の批准書(ひじゅんしょ)を交換するため、米海軍の軍艦ポーハタン号に乗って横浜港を出発。ポーハタン号の護衛及び訓練を行う名目で同行した咸臨丸(かんりんまる)と共に、途中でホノルルに寄港し、太平洋を横断してサンフランシスコに到着(咸臨丸の艦長は勝海舟が務めた)。その後、同使節団は日本へ戻る咸臨丸と別れて再びポーハタン号に乗船し、パナマ、ワシントンD.C.などを経由し、NYに到着。

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