史上最強アーモンドアイは、いかにして日本競馬界に授けられたのか

アーモンドアイの強さの秘密を具体的に考える

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これまでは日本競馬界が史上最強牝馬アーモンドアイを輩出するまでの歴史的背景について論じてきたが、本稿ではアーモンドアイは牝馬でありながらなぜあれほどの無類の強さを発揮できたのか。その強さの秘密について具体的に検証していく。

「アーモンドアイの出現が必然となるまでの1981-2020日本競馬史」(上)はこちら

「アーモンドアイの出現が必然となるまでの1981-2020日本競馬史」(下)はこちら

アーモンドアイの母フサイチパンドラはSS産駒

アーモンドアイは2015年3月10日、北海道安平町のノーザンファームで生まれた。

社台グループの牧場のひとつであるノーザンファームは1994年、旧・社台ファームの分割により誕生した。その後はアドマイヤベガやディープインパクトといったサンデーサイレンス(SS)産駒の活躍を強力なエンジンとして、牧場の規模は拡大の一途を辿(たど)る。生産馬は大レースを席巻し続け、2004年から2020年の17年間で15度のJRA生産者ランキング1位を獲得。まさに「一強」状態を続けている。

アーモンドアイの母フサイチパンドラもSS産駒で、2003年、第6回セレクトセールにおいて牝馬としてはその年の最高額となる8700万円(税別)で取引された。

その母ロッタレースは、欧州の名馬にして名種牡馬であるトライマイベストやエルグランセニョールの妹という良血の米国産馬だが、レースは走らないまま引退し、繁殖牝馬としてノーザンファームに購入されて日本へやって来た。

サンデーサイレンスのような世界レベルの種牡馬の導入によって、外国産の競走馬の輸入は減った。そしてその代わりに増えたのが、こうした外国産の繁殖牝馬の輸入だった。これらの繁殖牝馬にサンデーサイレンスを種付けして生産した馬は、ディープインパクトに代表されるノーザンファームの、ひいては日本競馬の「主力商品」となっていく。「強い馬づくり」の、ひとつの形ができたのだ。

フサイチパンドラは期待に応え、G1オークスで2着、G1エリザベス女王杯の優勝など活躍し、ノーザンファームに戻って繁殖牝馬となった。そのフサイチパンドラに種付けされたのが、ロードカナロアだった。

ロードカナロアが持っていたSSとの親和性と世界を制する力

ロードカナロアはSS産駒ではないが、その父であるキングカメハメハが日本の馬産に果たした貢献は、ある意味、サンデーサイレンスと同じくらい大きい。

端的にいえば、日本競馬に溢れかえったSS産駒の優秀な牝馬に、次はどんな種牡馬を付ければいいのかという問いに対する、強力な解答として機能したのだ。

5代以上遡らないと、サンデーサイレンスと重なる祖先を持たないという血統構成は、そうなった理由のひとつには違いなかった。だが実際のところ、馬産の世界で「ニックス」と呼ばれるこうした「相性」の発見は、いつだって結果論として表に現れる。

いずれにせよ、父にキングカメハメハ、母の父にサンデーサイレンスという組み合わせは絶大な威力を発揮した。ドゥラメンテ、ローズキングダム、ベルシャザール、トゥザグローリー。多くの名馬がこの形から誕生している。そしてそれは、日本競馬が輸入に頼ることなく「強い馬づくり」が可能になったことを示してもいた。

ちなみにキングカメハメハはディープインパクトの1年前のダービー馬で、ディープインパクトと同様、この馬もセレクトセールで取引された。購入したのは、同じ金子真人氏。前回、田澤聡氏による「アーモンドアイの出現が必然となるまでの1981-2020日本競馬史」(下)において、「第1回セレクトセールの上場番号1番はサンデーサイレンスを父に持つ当歳牡馬だった。落札したのは後に日本ダービー4勝など伝説的オーナーと呼ばれることになる金子真人氏」と紹介された人物だ。

そんなキングカメハメハの代表産駒にして後継種牡馬であるロードカナロアは、日本競馬史上、最も効果的な形で「日本馬の強さ」を世界に示した馬の1頭だった。

日本馬が海外のレースを勝つ光景は、もはやそう珍しくはない。しかしロードカナロアが2012、2013年に香港のG1香港スプリントを連覇した際の走りが与えた衝撃を超えるものは、いまもそう見られるものではない。長らく香港競馬の短距離路線は世界の最高レベルにあり、欧州、米国、豪州などからのチャレンジャーを跳ね返し続けてきた。そんな「短距離王国」を蹂躙(じゅうりん)した能力、特に2013年に演じた5馬身差の圧勝劇は、世界中のホースマンに強烈なインパクトを与えた。

キングカメハメハの武器のひとつは、父にサンデーサイレンスを持つ繁殖牝馬との相性の良さだった。1代を経たが、同じようにロードカナロア(その母父はアメリカの種牡馬ストームキャット)も、母父サンデーサイレンスと合わないわけがなかった。

父にキングカメハメハを持つ種牡馬ロードカナロアと、父にサンデーサイレンスを持つ繁殖牝馬フサイチパンドラの組み合わせ。それは日本競馬が追い求めてきた「強い馬づくり」が2010年代中盤に辿り着いた、最新の解のひとつなのだった。

クラブ法人+育成牧場+外国人騎手が最新勝利の方程式

生まれたアーモンドアイがセレクトセールに上場されず、ノーザンファームを母体とするクラブ法人、シルクホースクラブの募集馬となったことは、偶然ではあるが象徴的だ。

大まかに1990年代終盤から日本競馬を牽引したのがセレクトセールの取引馬ならば、それと並ぶように2000年代後半から存在感を増していったのが、クラブ法人の馬だった。キングカメハメハ(01年生)やフサイチパンドラ(03年生)は前者、ロードホースクラブの所属馬ロードカナロア(08年生)やアーモンドアイ(15年生)は後者になる。

といっても、両者の馬の供給元は同じだ。違いは、前者は「生産者が馬主に売った馬」で、後者は「生産者がファンに売った馬」と言い換えることができる。ただし、クラブ法人とその出資者の関係上、生産者の発言力は、後者のほうがより大きくなる。

生産者の発言力の増大が導く具体的な変化のひとつが、田澤聡氏の「検証①」で触れられていた「生産者の自前のトレーニング施設の活用」だ。アーモンドアイが使ったのは、福島県のノーザンファーム天栄だった。

アーモンドアイが所属する国枝栄厩舎がある茨城県の美浦トレーニングセンターからは、車で2時間半ほど。馬運車でも3時間半から4時間で着くノーザンファーム天栄では、リラックスできる広さと環境、最新の施設を使ったトレーニングやケアが同時に手に入る。

ここでギリギリまで過ごし、最短ならレースの10日前に美浦トレセンに入厩して、最後の仕上げだけを行ってレースに臨む。終われば、数日後にはもうトレセンを出て天栄へ。大レース前のトライアルや叩き台などと呼ばれる足慣らしのレースは使わない。いつだって一戦入魂、全力を出せる状態にもっていく。それが叶うのがノーザンファーム天栄だった。

例えば2019年春、ノーザンファームの生産馬はJRAの平地G1を7連勝という記録的な活躍を見せた。うち4頭が牧場母体のクラブ法人の所属馬で、残る3頭はセレクトセールに上場されて取引された馬だった。そして7頭中、桜花賞を中15週という最長間隔優勝記録で制したグランアレグリア、中13週の天皇賞・春をいきなり勝ったフィエールマン、やはり中8週と長い間隔で臨んだヴィクトリアマイルを優勝したノームコアの3頭が、ノーザンファーム天栄を使って仕上げた、美浦トレセンの馬だったのだ。

そしてもう一つ、アーモンドアイが大きな恩恵を受けた日本競馬の「進化」がある。外国人のクリストフ・ルメール騎手が主戦騎手として全15戦中、14戦に騎乗できたことだ。

それまで、外国人は年間3カ月を上限とする短期騎手免許で騎乗するスポット的な「助っ人」でしかなかった。しかし、そうした中から日本競馬への理解とコミットメントを深める者が現れ、ついにルメール騎手とミルコ・デムーロが試験に合格し、同時に通年のJRA騎手免許を取得。海外の一流ホースマンが日本を目指すようになったという事実は、これもまた「強い馬づくり」がもたらしたもののひとつとして数えられていいはずだ。

ちなみにJRAの通年騎手免許を取得して「日本の騎手クリストフ・ルメール」が誕生したのは2015年春。アーモンドアイが生まれたのと、ほぼ同時だった。

「牝馬が強い時代」到来で2kgの負担重量差の行方

2018年秋、牝馬三冠制覇を達成したアーモンドアイは、その次走のジャパンカップで初めて古馬と対戦し、2着のキセキに1馬身3/4差で完勝した。2分20秒6のタイムは、それまでの日本レコードを1秒5も更新、芝2400mの世界レコードという凄まじいものだった。

2018年のジャパンカップで驚異的なタイムで優勝したアーモンドアイとルメール騎手 JRAフォト
2018年のジャパンカップで驚異的なタイムで優勝したアーモンドアイとルメール騎手 JRAフォト

これ以降、アーモンドアイの出走レースで牝馬限定戦だったのは2020年のヴィクトリアマイルのみ。4馬身差の圧勝を収めたそのレース以外はすべて牡馬と混合の、しかもG1ばかりを走り、圧倒的な勝利を重ねていく。

こうして牝馬が牡馬を破るシーンは2000年代後半、ウオッカの2007年ダービー制覇あたりから急速に増えていった。それまでは1987年ジャパンカップで3着に健闘したダイナアクトレス、1997年天皇賞(秋)で17年ぶりに牝馬として優勝したエアグルーヴなどが「女傑」と呼ばれたが、それらはあくまで、ごく稀に出現するイレギュラーな存在だった。

しかし、ウオッカ以降の牝馬は違う。ウオッカと同期のダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、マリアライト、リスグラシュー、そしてクロノジェネシス。中長距離路線におけるそれらの牝馬の活躍は、明らかにひとつの大きな流れの中にある。

不思議なことに、この牝馬の台頭は世界でも同時に起こっていた。

米国ではゼニヤッタが2009年ブリーダーズCクラシックで牝馬として史上初の優勝を飾った。同馬はデビュー19連勝など多くの記録を作り、牡牝の枠を超えた名馬となった。

欧州でも2008年にザルカヴァが凱旋門賞を制すると、2011年からは4年連続で牝馬が優勝する事態に。その後もエネイブルが連覇を達成するなど、牝馬優勢の傾向が続いている。

この現象の理由は、実ははっきりとは分かっていない。調教やケアの技術の進歩が、牡馬以上に牝馬に効いたのか。それとも、以前があまりにも牝馬が軽んじられていただけで、人間側の意識が変わったことでようやく競走馬として力を発揮し始めただけなのか。

JRA競走馬総合研究所によれば、データや統計からは、実は牝馬が強くなった痕跡はないという。成績も走行スピードも、特に距離が延びるほど、牝馬は牡馬に劣る。それでも、トップクラスにおいては牡馬を負かす牝馬が多く出るようになったことは事実で、いまだその理由は解明されていないという。

牝馬は、同じ年齢の牡馬よりも負担重量が2kg軽く設定されている。「セックス・アローワンス」と呼ばれるこの差は世界中でほぼ共通だ。アーモンドアイほどの馬でも例外ではなく、牡馬より2kg軽い状態で走っている。

2018年に英レーシング・ポスト紙に掲載された「Girls On Top In The ARC」(凱旋門賞で優勝する牝馬たち)によると、マイケル・キネーンやジョン・ムルタといった往年の名騎手たちは、この牝馬の台頭を喜ばしいことだと歓迎している。そして同時に、強いからといってすぐに2kgのアローワンスを見直すことも、すべきではないと語っている。その根底には、目の前のレースで勝利した馬への、そして競馬そのものへの、岩のように確かなリスペクトを感じることができる。

2020年12月19日に行われたアーモンドアイの引退式 JRAフォト
2020年12月19日に行われたアーモンドアイの引退式 JRAフォト

アーモンドアイの強さは、日本競馬が長い時間をかけ、あらゆる面から進めてきた「強い馬づくり」の成果の、ひとつの頂点だった。

その成果は、しかしすでに次のステップの礎となろうとしている。アーモンドアイから生まれる次の「成果」は果たしてどんな馬で、僕たちにどんな走りを見せてくれるのだろうか。

バナー写真:2018年のジャパンカップを制し、観衆の歓呼に応えるルメール騎手とアーモンドアイ JRAフォト

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