進むインド人ITエンジニア採用(後編):就職先としては珍しい日本を選んだ理由

経済・ビジネス

日本でITエンジニアの不足が指摘される中で、即戦力と期待されるインド人エンジニア。彼らは日本での仕事や生活などについてどう思っているのだろうか。インド人の青年に話を聞いた。

アニメが好きで、行ってみたかった日本

白い歯と笑い顔が印象的なインド人のステファン・バンズさんは23歳で、2019年10月から、東京・新宿にある結婚を目的としたマッチングサポート事業を展開する日本企業「IBJ」で働いている。取材に応じるバンズさんは日本語で話し、コミュニケーションにまったく支障はなかった。「日本語が上手ですね」とお世辞抜きで言うと、「まだ敬語の使い方がよく分かりません」と笑いながら答えるが、バンズさんの日本語はとても丁寧に聞こえた。

ステファン・バンズさん
ステファン・バンズさん

バンズさんの出身はインドの南西部に位置するカルナータカ州で、その州都がインドのハイテク産業の中心地であるベンガルールである。地元のニュー・ホライゾン・カレッジ・オブ・エンジニアリング(NEW HORIZON COLLEGE OF ENGINEERING)でITを専攻した。この大学を選んだ理由は何だったのか。

「インドでは大学に入る前の17歳からの2年間は専門的なことを学びますが、私はコンピュータを選択しました。よくゲームをやっていて興味があったからで、そのときにはプログラミングの腕を競うコンピュータの大会で入賞もしたりして面白くなり、さらに勉強したいと思って大学でもITを勉強しました」

日本で働くことを決めたのは、「地元でいい仕事が見つからなかったから」だったが、「大学に入ってから日本のアニメのファンになり、日本に行ってみたかった」のも大きな理由だったという。ちなみに、特に好きなアニメは『銀魂』(ぎんたま、原作は『週刊少年ジャンプ』などに連載された空知英秋氏の同名作品)だそうだ。

来日前の最大の心配事は日本語

大学ではバンズさんと同学年の卒業生は400人ほどいたという。大半はインド国内で就職しているが、海外で就職するケースもある。それでも「英語が通じるアメリカやオーストラリアを希望する人が多くて、日本を希望するのはとても珍しい」(バンズさん)という。

そんなレア・ケースのバンズさんにとって来日前の最大の心配事は、なんといっても日本語だった。日本のアニメは好きでも、日本語を勉強していたわけではない。勉強を始めたのは、2018年12月にIBJから内定をもらって、指定された日本語の講座に通うようになってからのことだった。

「自宅から大学まで往復するバスの中でも、ノートを見ながら日本語の勉強をしました。片道2時間かかるので、いい勉強の時間でした」(バンズさん)

片道2時間といえば、かなり遠い距離のように想像してしまうが、距離にすれば10キロほどしかないそうだ。それでもそんなに時間がかかるのは車が込み合うせいで、日本では想像できないほどの渋滞になるのだという。

インド人にとって日本語は理解しやすい

初めての日本語は難しかったのではないかと思ってしまうが、バンズさんは「学習しやすかった」と即答する。彼によれば、日本語とインドの言葉は文法的に似ているところもあって理解しやすいのだそうだ。さらには、インド人特有の「能力」も影響している。バンズさんが続けた。

「私はインドに住んでいる時は3つの言語を使い分けてました。インドの連邦公用語であるヒンディー語、州の言語であるカンナダ語、それに家ではキリスト教徒だけが使う言葉で話していました。それに英語は小学校1年生のときから習いますから、普通に使えます」

インドには多くの言語があるが、その違いは日本の方言どころではなく、外国語ほどの違いがあるという。だから「3つの言語を話せる」と言えば、3つの外国語を使いこなすに等しいそうだ。そこに英語が加わるのだから、バンズさんはすでに4つの言語をマスターしていることになる。インド人にすれば、特別なことではないそうだ。

漢字の勉強で子ども向けの本を買ったつもりが大失敗

そんなバンズさんにとっても、難しいのは「漢字」だという。そのための勉強法は、「とにかく辞書で調べる」しかないという。そして、こんな失敗談を明かしてくれた。

『めぐみ園の夏』(新潮文庫)の書影
『めぐみ園の夏』(新潮文庫)の書影

「日本に来てしばらくして、品川駅(東京)で友だちと待ち合わせをしていて時間があったので本屋に入ったんです。そこで日本語の勉強のために本を買ったんですが、それが『めぐみ園の夏』(新潮社)でした。本の内容も作者も知らなかったけど、表紙に男の子が描かれていたので子どものための本かなと思って買いました。ところが読み始めてみると、子どもの本ではなくて、分からない漢字が1ページに20個もあったりしました」

ちなみに同書は、日本がまだ貧しかった1950年の夏に両親に捨てられた11歳の亮平が、孤児たちが暮らす施設「めぐみ園」での生活を描いた作品で、経済小説の巨匠である高杉良氏の自伝的小説である。子ども向けではなかったが、バンズさんは「せっかく買ったので、少しずつ読んでいます」と笑いながら話した。分からない漢字は飛ばしながら読んで話の大筋をつかみ、あとで漢字を調べながら再読するのだそうだ。

優しい日本人を職場で実感

日本での仕事に困ることはないのだろうか。それには、「問題ない」との答えが戻ってきた。そして次のようにバンズさんは語った。

「私の日本語が間違っていたとしても、日本人は理解しようとしてくれます。仕事で分からないことがあって誰かに聞くと、丁寧に教えてくれます。同じことを何度質問しても、同じように丁寧に教えてくれます。インド人の場合は、質問すると『自分で調べろ』と怒られてしまいます。同じことを繰り返し聞くなんて、想像もできません。だから、日本人の親切なのには驚きました」

そうしたインドの“常識”に慣れていたので、最初は質問することにためらいがあったそうだ。「それでも、私が困った顔をしているのを見ると、わざわざ日本人の先輩社員が私のところにやってきて教えてくれました」(バンズさん)。

同僚らと机を並べて働くバンズさん(左奥)
同僚らと机を並べて働くバンズさん(左奥)

いまでは、重要な仕事を1人で任されるようになってきているという。例えば、IBJの加盟店である結婚相談所のシステムとIBJのシステム本体と統合する場合にプログラムの仕様変更が必要になるが、その1つをバンズさんは1人でやっている。入社して1年が過ぎたが、まさに「即戦力」である。しかも、しっかり将来も見据えている。

「いまのサーバーサイドエンジニアの仕事を5年はしっかりやって、その後は会社でも取り組みが始まっているAI(人工知能)の仕事をしたいと思っています。上司にも相談しながら、少しずつですが勉強も始めています」

サーバーサイドエンジニアとは、サービスを提供する側のコンピュータであるサーバー側で動作するプログラムの開発やデータ処理などを行うエンジニアのことだ。

1人暮らしを始め、日本の生活を満喫中

生活面も充実しているそうで、来日してからは会社が手配してくれたシェアハウスで暮らしていたが、最近、自分で部屋を探して引っ越した。

「会社のある新宿の近くで探しましたが家賃が高いので、自然もあって気に入ったので多摩方面にしました。友だちを呼んでバーベキューもやろうと思っています。部屋探しはウェブを使って1人でやりました」

収入面でも、「満足しています」と言う。そして、「インドで就職した友人のなかには、毎月のように転職しているケースも多い」らしく、収入的にもインド国内の就職事情は厳しいようだ。

「貯金もしていましたが、引っ越しもあったし、新しいパソコンも買ったので、残り少なくなってしまいました。それでもインドの家には、1年間で40万円の仕送りをしました」

だが、日本で食べるカレーは、やはり口に合わないようで、来日の際に大量に持参した香辛料を使って自炊している。職場に持参して同僚たちに振る舞ったりもしているという。お気に入りの日本料理は「親子丼」。「シンプルな料理法なのに深い味わいがある」からだそうだ。

バンズさんは日本での仕事、生活の様子を、インドの友だちに知らせている。「私の話を聞いて、日本で働きたいと日本語を勉強し始めた友人もいます」と言って、笑った。

日本で働きたいインド人ITエンジニアと、彼らを雇いたい日本企業とのマッチングは、今後本格化していくのだろうか。

取材・文:前屋 毅、POWER NEWS編集部
写真撮影:伊ケ崎 忍

バナー写真:東京・新宿の職場で働くステファン・バンズさん

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