日本人史上最年少、20歳でF1デビューする角田裕毅の可能性

スポーツ

3月26日にバーレーンで開幕する2021年のF1グランプリに、弱冠20歳の角田裕毅がアルファタウリ・ホンダからデビューする。日本人として過去最高の実績を引っさげ最高峰に挑む若武者の素顔とは——。

ひょっとしたら、この男が日本のF1史を変えるかもしれない。

今シーズン、イタリア・ファエンツァに本拠を置くアルファタウリ・ホンダチームから角田裕毅がF1にデビューする。

小林可夢偉(かむい)以来7年ぶりの日本人F1ドライバーとなる角田。だが、日本のF1関係者が彼に大きな期待を寄せるのは、従来の日本人にはない大きな可能性を感じているからだ。

そのひとつが年齢だ。

低年齢化が進むスポーツ界において、F1も例外ではない。昨年の王者で、F1史上最多勝記録を持つルイス・ハミルトン(メルセデス)がF1にデビューしたのは22歳。現在、そのハミルトンの最大のライバルと言われるマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)は、F1史上最年少の17歳でデビューしている。

従来のF1でシートを得てきたのは、多くの場合、チャンスをつかんだ富裕層の若者だった。しかし、ビッグビジネスとなった近年のF1では、自動車メーカーやチームが自前でドライバーを育成し、最も優れた者にチャンスを与えるという構図に変わってきた。そのことがドライバーの低年齢化に拍車をかけている。

20年のシーズンオフに、イタリアのイモラサーキットで初めてとなるF1マシンのテスト走行に挑んだ角田 写真:熱田護(CHRONO GRAPHICS)
20年のシーズンオフに、イタリアのイモラサーキットで初めてとなるF1マシンのテスト走行に挑んだ角田 写真:熱田護(CHRONO GRAPHICS)

トップチームに認められた実力

日本人として史上最年少の20歳でデビューする角田も、チャンスを得た者のひとりだ。

「4歳でカートを始めたころは、もっと速くなりたいと思って走っていただけで、次のステップに進むことしか考えてなくて、F1なんて遠い世界だった」

そんな角田の才能を見出したのは、のべ30シーズンF1を戦ってきたホンダだ。子会社が運営する鈴鹿サーキットレーシングスクールを卒業した角田を育て、世界で羽ばたくチャンスを与えた。

角田に次のステージを与えたのはレッドブル。2005年からF1に参戦している世界的飲料メーカーだ。角田は19年からレッドブルのドライバー育成システムである「レッドブル・ジュニアチーム」に加入し、戦いの舞台をヨーロッパに移す。しかし、期待が大きくなればなるほど、評価も厳しくなる。

「レッドブル・ジュニアチームは金銭的な支援は手厚かったですが、その反面、いい成績が残せないとすぐに育成プログラムは終了となる」(角田)

結果だけがものを言う世界で角田は生き残り、20年からはF1直下のカテゴリーとなるF2選手権へステップアップ。ルーキーながらポールポジションを4回獲得し、レースでは3度優勝。年間総合順位でも3位となってホンダとレッドブルの期待に応え、ついにF1のシートを手にした。

F2選手権3位は、前身となるGP2シリーズと国際F3000選手権を含めても日本人として過去最高の成績。しかも、参戦1年目で成し遂げたという事実が高い評価につながっている。

角田は昨年、国際自動車連盟(FIA)が主催するFIAルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出された。この賞はF1を含む全カテゴリーで最も優れたドライバーに与えられる。日本人が受賞したのは、角田が初めてだった。

現役王者ハミルトンにも通じる適応能力

ドライバーとしての角田の武器は、マシンや環境に対する適応力の高さ。それはF1でも大きなアドバンテージになる。

F1は他のカテゴリーとは異なり、毎年変わるレギュレーションに合わせて新車が製作される。さらにレースごとに新しいパーツが投入され、マシンは日々進化する。進化に対する適応力の根源にあるのは、才能を一層研ぎ澄まそうとする向上心だ。

海外でのキャリアはすでに2年以上の角田。エンジニアとのコミュニケーションも難なくこなしている 写真:熱田護(CHRONO GRAPHICS)
海外でのキャリアはすでに2年以上の角田。エンジニアとのコミュニケーションも難なくこなしている 写真:熱田護(CHRONO GRAPHICS)

現役最強のハミルトンの強さを語るとき、メルセデスのスタッフの誰もが「ルイスほど、目に見えない部分で努力するドライバーはいない」と評価する。

角田の真価もそこにある。

ホンダF1のマネージングディレクターとして角田の成長を見守っている山本雅史は、角田がコース以外の場所で努力する姿を見続けてきた。

「良いときも悪いときも毎戦必ず反省し、学んだことを次のレースできっちりと生かす。ドライバーとしてだけでなく、人間としても一戦ごとに成長していたのが印象的でした」

F1のレースにおける日本人の最高成績は3位。90年に鈴木亜久里、04年に佐藤琢磨、12年には小林可夢偉が表彰台に上がった。年間総合成績では04年の佐藤琢磨の8位が最高位だ。もちろん、角田の夢は遥か先にある。

「もし、30年までF1に残ることができていたら、この世界で実力を示して、何度か優勝しているということでしょうね。自分としては35年ぐらいまで乗り続けたい。(昨年)ハミルトンが(ミハエル・)シューマッハに並ぶ通算7回目のタイトルを取りました。それを抜けたらいいなと思っています」(角田)

アブダビで行なわれた2回目のF1テスト走行でも、角田は着実に成果を上げた 写真:熱田護(CHRONO GRAPHICS)
アブダビで行なわれた2回目のF1テスト走行でも、角田は着実に成果を上げた 写真:熱田護(CHRONO GRAPHICS)

角田の活躍を特別な思いで見守るのは、ホンダだ。角田がデビューする21年は、ホンダにとってF1参戦ラストイヤーでもあるからだ。角田の双肩にかかる期待は大きいが、すでに覚悟はできている。

「僕がF1でレースをすることは、日本で応援してくれるファンの皆さんの夢を背負って戦うことでもある。皆さんと一緒にさらなる夢を叶えられるよう、これからも全力で戦っていきます」

21年のF1は3月28日決勝のバーレーンGPで開幕する。日本人として過去最高の実績と期待感をひっさげ、角田がいよいよ最高峰のレースに挑む。

角田裕毅(つのだ・ゆうき)プロフィール

2000年5月11日生まれ。神奈川県出身。ジムカーナ競技をしていた父の影響で、4歳の頃カート競技を始める。16年に鈴鹿サーキットレーシングスクールに入校し、卒業後の17年からFIA−F4選手権に参戦して18年にシリーズチャンピオンを獲得。19年にレッドブル・ジュニアチームに加入し、ヨーロッパを舞台にFIA−F3選手権を転戦。20年はFIA−F2選手権に参戦して総合3位の成績を収め、21年はアルファタウリ・ホンダからF1参戦を果たす。

バナー写真:2020年12月15日、アブダビで2回目のF1テスト走行に挑んだ角田(熱田護/CHRONO GRAPHICS)

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