魔除けで溢れる台湾と日本――爆竹とアマビエ

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古来、人々は病気や自然災害などが人格をもった存在によって引き起こされると考え、それを遠ざける力を持つとされる物や儀式を生活の中に取り入れてきた。日本のしめ飾り、豆まき、台湾の爆竹や春聯などはその典型だ。2012年から台湾で暮らす筆者が、体験を交えて日台の魔除けの比較を試みた。

悪鬼も逃げ出す爆発音

毎年陰暦3月ごろ(陽暦3−5月)になると、台湾では「大甲媽祖遶境進香」といわれる盛大な道教の祭典が催される(2021年は4月に開催)。女神・媽祖(まそ)の像を載せた神輿(みこし)を先頭に、何十万人という信徒が、台中市の大甲鎮瀾宮と170キロ離れた嘉義県の新港奉天宮の間を9日間かけて往復するものだ。

筆者も台湾に暮らし始めたばかりの頃、往路の行程を歩いて参加したことがある。道中至るところで耳をつんざく爆竹の音が鳴り響くので、ティッシュを耳に詰めて、赤い燃えかすを踏みしめて進んだものだ。

爆竹の燃えかすを踏みしめて進む媽祖の信徒たち(筆者提供)
爆竹の燃えかすを踏みしめて進む媽祖の信徒たち(筆者提供)

このとき人生で一番度肝を抜かれる音を聞いた。深夜に鎮瀾宮から神輿が出発する直前、「起馬炮」と呼ばれる3つ並んだバケツ大の筒が立て続けに爆発し、廟(びょう)も揺れるかと思う爆音がとどろき、視界はしばらく土色の煙で完全に覆われた。これには魔除けの意味があると聞いた。

「起馬炮」が放たれ、辺り一帯が煙に包まれた(筆者提供)
「起馬炮」が放たれ、辺り一帯が煙に包まれた(筆者提供)

古来、人間は病気や自然災害などの災厄が、しばしば人格をもった邪(よこしま)なる存在によって引き起こされるものと考えた。漢字圏では「魔」「鬼」「煞」などの文字で表す。それを防ぐ力を持つとされる自然物、絵、文字などを身近に置き、暦の節目に儀式を行うことで、無病息災を願ってきた。今日私たちが何の気なしに行なっている年中行事や、日頃よく目にする物品の中にも、魔除けの意味を持っているもの、あるいは本来持っていたものが、少なからずある。

台湾で長年暮らす間、さまざまな魔除けを見てきた。日本の習慣と重なるものもあり、興味が尽きない。端午の節句に菖蒲(しょうぶ)の葉を門口に掛けたり、古民家の屋根に沖縄のシーサーに似た獅子が鎮座していたり。道教の寺院でもらえる「平安符」という御札の入った赤い布袋は、神社のお守りにそっくりだ。

新年に神を迎える日本、魔物を追い出す台湾

新しい年を安らかに、かつ清らかな気持ちで迎えたいという心情は、万国共通だろう。日本の家庭では、年末に大掃除をし、門松やしめ飾りを門前に飾ったり、鏡餅や破魔矢を屋内に飾ったりする。

正月のしめ飾り(筆者提供)
正月のしめ飾り(筆者提供)

日本の民間信仰では、正月になると山から「年神様」という神様が家にやってくると考えられてきた。大掃除、門松、鏡餅は、いずれも年神様を丁重にお迎えするためのもので、魔除けとは関連が薄い。魔除けの役割を担うのはしめ飾りや破魔矢である。

一方、中国や台湾には、大みそかに「年獣」という四つ足の魔物が人里を襲うという伝説がある。年獣は赤いもの、光、大きな音を苦手としており、正月の儀式にはこれと関連するものが多い。

日本の正月のしきたりが、謹んで神様をお迎えする意味合いが強いのに対し、中華圏では怪物を撃退することに関連しているのが面白い。

例えば、春聯(しゅんれん)。おめでたい言葉を書いた赤い紙で、門の左右上方に貼り付ける。日本のしめ飾りは1月7日に取り外すが、春聯はそのままにしておくのが習わしだ。筆者が以前台湾で蕎麦屋を営んでいた頃、日本製の立派なしめ飾りを掛けたはよいが、後日取り外そうとすると「こんなにきれいなものをもったいない」と周囲の者から反対され、不本意ながら一年中飾ったままにしていたこともあった。

台南の古民家に貼られた破邪物「春聯」(筆者提供)
台南の古民家に貼られた破邪物「春聯」(筆者提供)

台湾の新年に欠かせないもう一つの破邪物は、爆竹である。大昔には実際に竹を使っていたそうだ。竹を火であぶると、節の中の空気が膨張して爆発を起こす。6世紀ごろに中国で書かれた《荊楚歳時記》には、元日の鶏が鳴く時分に庭先で爆竹を鳴らし、「山臊」という悪鬼を追い払うとの記述が見られる。

爆竹は正月に限らず、道教の祭典や、結婚式などの祝いの場でもよく鳴らされる。ただ田舎では鶏が驚いて卵を産まなくなり、都会では近所迷惑になるということで、近年は行政が自粛を求めている。

爆竹を別にしても、正月の台湾は、騒がしい。家庭でもレストランでも親族同士が大声で会食し、テレビからも絶え間なく笑い声が聞こえてくる。実はこれも魔除けの一つなのだ。年獣は音を苦手とするのである。ここは、社会全体が静謐(せいひつ)な空気に包まれる日本と対照的なところだ。

「赤」がもつ二面性

赤い色が悪いものを遠ざける呪力を持つと昔から考えられてきた点は、日本も同じだ。台湾ほどではないが、今も年中行事や食べ物の中にその思想を反映したものがある。

お祝いの膳に欠かせない赤飯がその一例だ。その原型は小豆を入れた粥(かゆ)で、平安時代の宮中では邪気を払うために正月15日に食べる習慣があった。10世紀の書物『土佐日記』や『枕草子』にも言及されている。当時は赤米という、赤みを帯びた米が一般的だった。時は下って江戸時代、麻疹(はしか)が大流行した年に描かれた「麻疹送出しの図」にも、人々が赤い鏡餅を麻疹の神に供え、棒で担いで送り出す様子が描かれている。

「麻疹送出しの図」(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
「麻疹送出しの図」(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)

興味深いのは、日本において、赤は「鬼」の典型的な肌の色でもあることだ。「桃太郎」の絵本などでもおなじみだろう。他にも青鬼、黄鬼、緑鬼、黒鬼などがおり、これらはそれぞれ仏教思想における煩悩を象徴しているとするのが定説だ。赤は欲望、青は憎悪、黄色は執着、緑は怠惰、黒は疑いを表す。

日本の節分(立春の前日)の豆まきも魔除けの儀式だ。子どもの頃は「鬼は外、福は内!」と豆をまき、後日、部屋の隅に落ちている豆を見付けては、ほこりを払って食べるがひそかな楽しみだった。

豆まきの起源も古い。15世紀に書かれた瑞渓周鳳という僧の日記『臥雲日件録』にも「家毎散敖豆、因唱鬼外福内」という記載がある。日本人には大変なじみ深い風習だが、鬼すなわち煩悩と考えると、これは自らの心を浄化させるための儀式だとも解釈できるだろう。

創作される守り神

新型コロナウイルスの流行からほどなくして、日本では「アマビエ」という名の妖怪のイラストが大流行した。出所は1846年の瓦版で、長髪でとがった口元、菱形の目、うろこに覆われた身体、ヒレのような下半身を持つユーモラスな妖怪が、人々に疫病の流行を預言し、自分の姿を紙に写して厄除けとするよう勧めたとされる。

「肥後国海中の怪(アマビエの図)」(京都大学附属図書館所蔵 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/)
「肥後国海中の怪(アマビエの図)」(京都大学附属図書館所蔵

やがて厚生労働省のツイッターにもこのイラストが掲げられ、SNS上では原画を改変した「創作アマビエ」の画像が続々投稿されるようになった。イラストのほか人形、陶芸、お菓子、コスプレなど、表現方法も多岐にわたっており、どれもつい微笑みたくなるほど可愛らしい。

守り神の創作は、沖縄では昔から行われてきた。土産物屋に入ればかわいらしいものから厳めしいものまでバラエティ豊かなシーサーが並んでいるし、民家の塀や屋根の上にも、粘土や漆喰(しっくい)や瓦を使って手作りされたシーサーを見ることができる。

筆者が暮らす台南市でも以前、地元の陶芸家・呉其錚氏が発起人となって「風獅爺復育計画」というプロジェクトが進められた。沖縄のシーサーにもどこか似ている風獅爺は主に金門島で信仰される獅子の姿をした守り神だ。筆者も一度かの地へ行き、表情も体つきもさまざまな何十尊もの風獅爺を探して回ったことがある。台南の港町・安平には金門からの移民が多く、昔は屋根の上に多くの風獅爺が見られたが、時代の流れとともにその数は減っていった。そこで、絶滅寸前の風獅爺を新たに増やしていこうと、有志を募ってユニークな風獅爺を制作したのだ。安平の赤レンガと赤瓦で造られた古民家が並ぶエリアでは、この時作られたたくさんの創作風獅爺を見ることができる。筆者が制作した渦巻きをモチーフにした風獅爺は、三霊殿という廟の前にある古民家の屋根に置かれている。

金門島に祀られている風獅爺(筆者提供)
金門島に祀られている風獅爺(筆者提供)

「神様」の創作活動に共通するのは、大衆の遊び心である。「こんな神様がいたら面白い」と自由に発想を巡らせ、具象化し、コミュニティの中で共有する。その姿は個性的かつユーモラスで、見る人をほがらかな気持ちにする。

呪術から祝祭へ

昔の人々が対処する術のない脅威に直面したとき、どれほど恐れおののいたかを、私たちは新型コロナウイルスの流行を経て、いくらかでも想像することができるようになった。魔除けは常に人間の生活の一部だった。どれほど科学が発達しても、人はアマビエのような存在を必要としている。

かつては人身御供のように残酷な形をとるものも多くあった。しかし大きな犠牲を伴うものは歴史のどこかの時点で廃止され、あるいは改変されてきた。爆竹は竹を使わなくなり、赤飯も現代では祝祭の意味が強くなっている。豆まきは家庭の愉快なイベントとなり、シーサーは沖縄を代表するマスコットとして多様な創作がされている。

最初はある種の呪術として生じたものでも、長い年月を経て、いつしか日常生活に取り入れられ、私たちの暮らしを豊かにしてくれるものに変容する。ここで紹介したものは、ほんの一例にすぎず、私たちはいにしえの人たちの魔除けを生活習慣やしきたりとして受け継いでいるのである。

バナー=台南・安平の破邪物「剣獅」。17世紀この地に駐留していた鄭成功の軍隊の盾に由来するという(筆者提供)

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