「もっとうまくなりたい」: ラグビー韓国代表の父を持つ具智元が、国籍を変えてまで日本代表としてプレーする理由

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ラグビーW杯2019に日本代表のスクラムの要として出場した具智元(26歳、ホンダヒート)は、韓国ラグビー界の英雄を父に持つ選手だ。W杯でのジャパン躍進に貢献した後、日本国籍を取得。両国関係を考えれば異例の出来事だが、根底にあるのはラグビープレーヤーとしての純粋な思いだった。

例えば、ある団体スポーツにおいて、国際大会に出場したチームの対戦相手が、政治・歴史的に因縁浅からぬ隣国だったとする。その歴史的な“ダービー”の勝利に大きく貢献した名プレーヤーの息子が、父の背中を追うようにその競技を始め、やがて、父がかつて破ったその隣国の代表選手となる——。

地球規模で見回しても、極めて稀有(けう)な事例ではないだろうか。そんな超レアな背景を持つ選手が、ラグビー日本代表の一員に名を連ねている。少なくとも、サッカーや野球では考えられない。宿敵“イルボン”を倒したチームの英雄の息子が、日の丸を背負って戦うなんて……。

その選手の名は、具智元(グ・ジウォン)。1994年、韓国の首都ソウル生まれ。小6からラグビーを始め、ポジションはスクラムの屋台骨を支える3番プロップ。日本開催となった2019年ワールドカップでは、日本代表史上初となる大会ベスト8に進出に貢献。身長183センチ・体重118キロ、その雄大な体格に似つかわしくないチャーミングな笑顔と屈託のない性格から、ファンの間では「ぐーくん」の愛称で親しまれている。

彼の父は、具東春(グ・ドンチュン)。1963年、韓国の南東部、軍港都市で知られる鎮海(チネ)生まれ。中学からラグビーを始め、ポジションは1番プロップ。名門・延世大学時代に韓国代表に選出され、12年間にわたり代表選手としてプレー。88年11月には、香港で行なわれたアジア大会で、格上の日本に対してスクラムで圧倒。17−13で勝利し、アジア王者に輝いた。ちなみに、当時の日本代表の指揮官・日比野弘は、この敗戦の責任を取って監督を辞任している。

より良いラグビー環境を求めて

ではなぜ、智元は母国の韓国ではなく、日本を選んだのか。

智元には2歳上の兄・智允(ジユン)がいて、智元が12歳のとき同じタイミングでラグビーを始めた。父・東春は、「どうせやるなら、より環境の良い本場で」という親心で、兄弟にラグビー王国ニュージーランドへの留学を命じる。首都ウェリントンでのホームステイ滞在約1年半を経て、具兄弟が次に目指したのが日本だった。

父・東春が言う。

「韓国におけるラグビーは、あまりにマイナーなスポーツです。サッカーや野球には到底およびません。息子たちをニュージーランドに送って、その後もラグビーを続けるなら、選択肢は日本しかない。韓国より日本のほうが格段にラグビー環境がいいのは、私も身をもって分かっていましたから」

東春は選手として1991年から5年間、現在息子たちが所属するホンダヒートの前身、本田技研鈴鹿でプレーしていた。

「ラグビーの練習試合にお客さんがいる。韓国ではとても考えられないことです」

具兄弟がそろって日本へ渡ろうとした時、ある問題に直面する。「韓国からのラグビー留学生」を受け入れる体制が整っている学校が、ほとんどなかったのだ。父・東春はつてを頼りに頼り、行きついたのが何の所縁もない大分だった。

具兄弟は寮生活を始め、佐伯市の鶴谷中、日本文理大学附属高へと進み、大学は東京・八王子の拓殖大を選んだ。中・高・大ともに、チームは全国大会レベルで目立った成績を残していない。しかし、弟・智元は高校、U20とユースカテゴリーの日本代表に選ばれ、「とんでもなく強いプロップがいる」と、知る人ぞ知る有望株として、ひそかに注目される存在となった。

智元が十代の頃を回想する。

「日本に来てすぐの頃は日本語もできなくて、生活面で困ったことがあっても、周りの人たちが本当に優しくて、いつでも助けてくれました。皆さんに支えられながら好きなラグビーに専念できて本当にうれしかったし、ラグビーするのが楽しくてしょうがなかった。日本に来てすぐ、いつかトップリーグでプレーしたいと思ったし、日本代表になりたいと思うようになりました」

韓国人の智元がなぜ日本代表を目指せるのか、疑問を持つ人もいるかもしれない。そこにはラグビーならではのルールがある。国際競技連盟「ワールドラグビー」は、選手の代表選出資格を、以下3点のいずれかを満たせばよいと規定している。

① 当該国で出生している。

② 両親、または祖父母の1人が当該国で出生している。

③ プレーする時点の直前の36カ月間継続して当該国を居住地としている(2021年12月31日以降は「60カ月間」に改正予定)。

智元は2017年に拓殖大を卒業してホンダヒートに入団。11月にはフランスのトゥールーズで行なわれたトンガ戦で代表デビュー。夢は現実となった。けがに悩まされた時期もあったが、その後も着実に代表で出場機会を重ね、指揮官ジェイミー・ジョセフの信頼も勝ち取って、2019年自国開催のワールドカップメンバーに選出。すべてのラガーマンが憧れる夢の舞台で、ロシア、アイルランド、サモア、スコットランド、そして南アフリカとの5試合を戦った。

「高校で代表に選ばれた頃から絶対に出たいと思っていた大会に出られて、しかも、4勝も挙げられたことでたくさんの人から応援されて……一生忘れないと思います。ラグビーの注目度も高まって、敗退した後も、たくさんの人から『応援してます! これからも頑張ってください!』と言われて、本当に夢みたいな気分でした」

2019ラグビーW杯でベスト8進出を決め、ヴァルアサエリ愛(右)と笑顔で観客に応える具智元(左)  2019年10月13日、横浜国際総合競技場  AFP/アフロ
2019ラグビーW杯でベスト8進出を決め、ヴァルアサエリ愛(右)と笑顔で観客に応える具智元(左)  2019年10月13日、横浜国際総合競技場  AFP/アフロ

W杯後に迎えた人生最大の転機

夢のようなワールドカップが幕を閉じ、テレビにCMに取材にとメディア対応に忙殺されていた最中、智元に人生の大きな転機が訪れた。最後の試合となった準々決勝・南アフリカ戦からわずか2カ月後の12月のことだ。

日本国籍取得である。

「日本に来てからずっと周りの皆さんに支えていただいたのが本当にありがたくて、大学を卒業して社会人になった頃から、日本国籍取得を考えるようになりました。何より、ラグビーにもっと集中したいという思いが強くて、日本の国籍でワールドカップに出場したいと意識するようになりました」

帰化の動機を智元はこのように語っている。

帰化手続きは申請から認可まで通常1年以上を要するといわれるが、智元の場合は申請からわずか半年で認可という異例のスピードだった。ワールドカップでの活躍がスピード認可の“後押し”をしたのかもしれない。

韓国人から日本人へ——これは智元自身が下した決断である。ポイントは、やはり「ラグビーにもっと集中したいという思い」にある。

韓国生まれの智元が、日韓関係の“ゆがみ”に無自覚なわけがない。いくらマイナースポーツとはいえ、ラグビー韓国代表を父に持つ自分が“日本人”となれば、母国から批判が上がることは想像に難くない。事実、「裏切り者」扱いする報道もあった。

しかし、日本国籍取得を非とする声は、すべて的外れである。

ラグビーがしたい。そう思ったら、父は自分を本場ニュージーランドに送ってくれた。もっとラグビーがうまくなりたい。そう思ったら、かつて父も暮らした日本に渡ることになった。もっとスクラムが強くなりたい。そう思ったら、父がいつも手取り足取り教えてくれた。

その先にたどり着いたのが、日本代表という憧れの場所だった。そこで出会ったのは、自分と同じように、「もっとラグビーがうまくなりたい」という向上心を胸に、母国を離れ、日本へ渡ることを決断した先輩ばかりだった。

世界に誇るべき“カラフル”な日本代表

2019年ラグビー日本代表メンバー31人のうち、キャプテンのリーチマイケルを筆頭に8人の日本国籍取得者がいる。31人を出身国で分けると、日本(15人)、ニュージーランド(5人)、トンガ(5人)、南アフリカ(3人)、豪州、サモア、そして韓国(各1人)の計7カ国と、ラグビーはもちろん、団体スポーツの範疇(はんちゅう)においても、これほど“カラフル”な代表チームは世界中を見渡しても他にない。

ラグビーの代表合宿が始まれば、2週間以上におよぶ長期となるケースが多い。海外遠征となれば選手たちは1カ月近く共同生活を送る。当然、ラグビーだけをするのではない。寝食をともにし、時に遊び、時に笑い、仲間たちの絆を深めていくこともチーム力を高めていくうえで重要な要素である。

2017年11月の代表デビューからそこに身を置き続け、智元が「ラグビーにもっと集中するために」下した決断が、日本国籍取得だったのだ。

息子の思いを聞いた父・東春は、こう告げたという。

「お前が日本国籍を取ることでラグビーする環境がよくなるなら、そうすればいい」

日本国籍を取得したことで、より純粋に、大好きなラグビーに全力で取り組めるようになった。ワールドカップの戦いを終えた直後、智元は満面の笑みを浮かべながらこうも言っていた。

「次のワールドカップも、絶対に出たいです」

次回のワールドカップは2023年、フランスを舞台に開催される。大会を2年後に控えたこの時期、本来なら代表強化が進んでいるはずだが、あいにくのコロナ禍である。今年6月12日、静岡での強化試合(対戦相手未定)を皮切りに日本代表は再始動する予定だが、その先行きは不透明なところが多い。しかし2年後、28歳を数える具智元がフォワードの主力であり続けることは間違いないだろう。

冒頭で触れた、父・東春が日本を破って優勝したアジア大会は、「アジアラグビーチャンピオンシップ」と名称を変えて存続しているが、智元はまだ大会に出場していない。

ここ数年、韓国では有志によるラグビー強化が日に日に進んでいるという。トップリーグでプレーする韓国出身選手は増加傾向にあり、東京五輪に出場する7人制ラグビー代表チームは南アフリカ人コーチを招聘して強化を推進している。

コロナも落ち着いて、いつの日かラグビー日韓戦が実現したら、と夢想する。

ジャパン不動の3番プロップ、具智元がピッチに立てば何を思うのか。

息子の勇姿を見守る具東春は何を思うのか——。

そのときが訪れたら、国境と国籍を越え、ラグビーに人生のすべてを捧げる父子の言葉をあらためて聞きたい。

バナー写真:2019年9月28日、19−12で勝利したアイルランド戦に先発出場し、ボールを持って突進する具。静岡・エコパスタジアム 時事

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