栄光と挫折――アメフト日大フェニックスQB・林大希の4年間

スポーツ

「悪質タックル」事件以来の因縁の対戦となった2020年12月13日の甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権決勝)で、日本大学は関西学院大学に24−42で敗れ、大学王座を逃した。事件前年の17年、1年生QBの林大希は日大を27年ぶりの大学日本一に導いて将来を嘱望されたが、事件後は下部リーグ降格の試練に晒(さら)され、最終学年で晴れ舞台に戻ったもののけがの影響で満足に力を発揮できなかった。理不尽ばかりに見える大学生活で、林は何を得たのか。

思わず感情が爆発した。

「黙れっ!」

日大アメフト部のエースQB(クォーターバック)、林大希はそう言って監督の橋詰功をにらみつけた。選手が監督に吐く言葉としては度を超えていた。

この春、新社会人となった林は、人懐っこく、そして、今もどこかにやんちゃ坊主の面影を残している。林は照れくさそうに振り返った。

「練習中、相手ディフェンスに僕がボールを取られてしまったとき、追いかけて行って『もういいよ(プレーを中断しよう)』という意味で背中を押したんです。そうしたら、その選手が吹っ飛んでしまった。すぐ『すいません』って謝った。それで済んだと思ったんです。なのに、橋詰さんにみんなの前で『やり過ぎだろ!』って怒鳴られた。何がやり過ぎなのかもわからなかったし、そこまで積もりに積もっていたものもあって、反射的に言い返してしまったんです」

2018年秋、日大はどん底にあった。日大アメフト部のグラウンドは東京都世田谷区にある。人工芝が敷き詰められた約110m×49mの空間には常に不穏な空気が漂っていた。

きっかけになったのは、およそ4カ月前、日大と関西学院大との間で行われた定期戦で起きたあるプレーだった。

関西学院大のQBがパスを投げ終え、完全に脱力している状態のところへ、日大の選手が背後から猛然とタックルした。予期せぬ衝撃を受けたQBは、まるで糸の切れた操り人形のようにグラウンドに叩きつけられた。あまりに衝撃的な映像に世間は騒然となり、日大は猛バッシングにさらされた。世に言う「日大悪質タックル問題」である。

日大はその年の公式戦への出場を禁じられ、復帰後も、下位リーグからスタートすることになった。監督とコーチは退任し、大学側は新スタッフを公募。自薦他薦を含め69名の中から選ばれたのが橋詰だった。

日大のイメージは「気合と、ど根性」

元立命館大学のコーチで、アメリカへコーチ留学した経験もあった。面接で橋詰はアメリカ仕込みの合理的な指導理念を語った。部外者だけで構成された選考委員はそこを最も高く評価した。橋詰は現役時代も、コーチ時代も、日大と試合をした記憶はほとんどなかった。ただ、関東の雄として全国にその名を轟かしていた日大の「うわさ」は頻繁に耳にしていた。

自主性を重んじたチーム改革で日大を復活に導いた橋詰監督だが、本人の続投希望にもかかわらず8月で退任となる 写真=渕貴之
自主性を重んじたチーム改革で日大を復活に導いた橋詰監督だが、本人の続投希望にもかかわらず8月で退任となる 写真=渕貴之

「アメフト関係者の中での一般的なイメージは、気合と、ど根性のチーム。6時間、7時間くらいは平気で練習して、殴られ、蹴られ、這いつくばってがんばっているみたいな印象がありました。なので、特殊な人間が育っているのかと思いましたが、実際はそうでもなかった。普通の学生たちでしたね」

橋詰はそんな旧来的なスタイルを180度方向転換した。まず、練習は2時間までとする。練習メニューも選手たちに考えさせた。「量」から「質」へ、「強制」から「自発」へ。

成功体験を捨て、ゼロからのリスタート

ただ、林らはその前年の2017年、前監督が「量」と「強制」を復活させ、27年ぶりに大学日本一の座をつかんでいた。林は1年生としては史上初めて甲子園ボウルMVPと年間最優秀選手賞の両方を手にする。選手にとって、成功メソッドは一種の信仰だ。それを簡単に捨て去ることなどできなかった。林が言う。

「自分たちがこれまで正しいと信じてきたことの真逆をやられた。それまでは朝から晩まで、12時間ぐらいやることも普通にあったので。その上、メンバー中心の練習だったのが、全員均等に練習するようになった。1人あたりの練習時間が極端に減って、選手としては当然、不安になりますよね。何度も言いに行きましたよ。もっと練習量を増やしてほしい、と。それでも橋詰さんは『ダメだ。このやり方でしかやらへん』って。なので、半年間ぐらい、ぜんぜん気持ちが入りませんでしたね」

悪質タックルが明るみになったとき、非難の的になった指導者とは対照的に、選手たちは監督の意のままに動くロボットだったのだと、ある意味、同情を誘った。林はそんな風向きに関しては、こう抗(あらが)った。

「非難されるより、かわいそうみたいに言われる方がキツかったですね。したくてやっていたんで。誇りを持ってやっていたので」

実際、「(指導者たちには)どんなことがあっても反論できない感情の装置を埋め込まれていた」と振り返る。しかし、にもかかわらず、林は「おもしろかった」と話す。

「完全な実力社会だった。うまくならないと人権がなくなる。でも、その危機感がチームを強くしていたし、うまくなればチーム内での発言力も強くなる。やりがいはムチャクチャあったんです。あと、監督とコーチが怖いんで、選手同士が手をつなぎ合う。チームワークはものすごくよかった」

2017年12月17日、27年ぶりに甲子園ボウルを制し、日大は大学王座を獲得。10番の林は年間最優秀選手に選出された 時事
2017年12月17日、27年ぶりに甲子園ボウルを制し、日大は大学王座を獲得。10番の林は年間最優秀選手に選出された 時事

「悪質タックル事件」の本質

しかし、当時の論調では、そうした環境が悪質タックルを生む温床になったのだと断罪された。林はこう反論する。

「ぜんぜん別の話だと思います。小さな食い違いがいろいろあって、それが最後の最後、ドーンと出てしまっただけだと思う」

ただ、橋詰は、そのあたりのことも理解しつつ、しかし、まったく無関係だったとは見ていなかった。

「タイミングというか、いろいろなことが重なり合ったんでしょうね。私の就任が決まったばかりの頃、私が練習に行けなかった日に『1時間くらいファンダメンタル(基礎練習)をやっといて』と指示を出した。そのあと、選手に様子を聞いたら『1時間はしんどかったです』と言うから、驚いたんです。それはないやろ、と。理由を聞いたら、同じメニューをずっとやっていたらしいんです。そらしんどいやろと思いましたね」

橋詰の目には、日大の選手たちは指導者の言葉を咀嚼(そしゃく)し、そこに自分の判断を加える習慣が欠けているように映った。ただ、橋詰はそんな日大を変えようとしたわけではない。

「変えよう、ではなくて、自分のやり方をやっただけ。それしかできないので。特殊な選手ばっかりだったらどうしようかなとは思っていたんですけど、そんなことはありませんでしたから。そもそも自分はカリスマ監督みたいなキャラクターではない。選手に監督と呼ばれるのも嫌なので、『橋詰さん』でいいと言いました」

林の橋詰に対する不信感が解けたのは、じつに些細(ささい)なことといえばそうだった。

「橋詰さんは自分のこと、どう思ってるんやろうって、ずっと思っていたんです。でも、コーチに『橋詰さんはおまえのことを信頼しているんだぞ』と言ってもらって。3年の4月ですかね。あの言葉で、橋詰さんについていこうと覚悟を決めました。まあ、単に、すねていただけだったのかもしれませんね」

根が素直な林は、わだかまりが解けると、橋詰の方針に100パーセント従った。すると、同じ風景が、今までとはまったく違って見えてきた。

「反発していたときはデメリットしか見えなかったんですけど、受け入れたらメリットしか見えなくなった。練習時間が短いので、体がすごく休まるし、ケガが少なくなる。橋詰さんが何も言わないので、自分たちで考えてやるようになって、練習の質も上がった。物足りなさは、ぜんぜんなくなりましたね。それと、自主性をうたってるからこそ、勝たなければと思いました。それで負けたら、遊んでるだけやん、って言われるので」

最後の晴れ舞台で林を襲った試練

選手と監督の足並みがそろった日大は、事件が起きた翌年、19年秋に関東1部下位リーグを7戦全勝で優勝し、上位リーグ復帰を決めた。そして林らの代のラストシーズンとなった20年秋は3年振りに1部リーグ優勝を果たし、大学日本一を決める年末の甲子園ボウルに舞い戻って来た。

ところが、最後に試練が待っていた。林はリーグ優勝決定戦の桜美林大戦でタックルを受けて転倒し、右肩鎖関節のじん帯を断裂してしまった。それから甲子園ボウルまでの約2週間、まったく練習はできなかった。どう考えても投げられるような状態ではなかったものの、「腕が使えなくなってもぜんぜんいいと思いました」と3年ぶりの大一番に強行出場。だが、本来の出来にはほど遠く、宿敵である関西学院に24―42で敗れた。

振り返れば、ジェットコースターのような4年間だった。甲子園ボウルMVPと年間最優秀選手賞のダブル受賞、公式戦出場停止および下位リーグへ降格、新監督との確執、そして、再び檜舞台へ。いちアスリートとして考えたら、失ったものは計り知れない。

「事件のないまま4年間過ごせていたら、社会人の中でも強豪と言われるようなチームでプレーを続けていたかもしれない」

だが、今の自分に後悔があるわけではない。

「4年間、やり切った。腐ったことも、それが逆に生きた。結局、意味のないことなんてない。どれも、話のネタになりますしね。けっこう自分から話に行きますから。そうすると、ああ、あのタックル事件の時の、ってなる。それはそれでおもしろい人生じゃないですか」

屈託のない笑顔を見せる林。けがはまだ完治に至らず、右腕は胸の高さまでしか上がらない 写真=渕貴之
屈託のない笑顔を見せる林。けがはまだ完治に至らず、右腕は胸の高さまでしか上がらない 写真=渕貴之

林はこの春、富士ゼロックスへ入社した。同社はアメフトチームを持っているが、今のところ、林がプレーするか否かは未定だ。

「少しでも早く社会人として勝負したいっていう思いが強いんです。アメフトは、まだ故障も癒えていないし、もう一度、腹の底からやりたいという感情が湧き上がってきたらやるかもしれません。そのあたりは、まだ、どうなるかはわからないです」

今日、「ブラック部活」などと呼ばれることさえある日本の学生スポーツ界は、大きな岐路に立たされている。かつての日大流か、今の日大流か――。

両極端な指導環境を体験した林は、次のような結論に行き着いた。

「どちらのやり方も正しいと思いますね。選手たちが、それを受け止めて、覚悟を持てば、どんな練習方法でも正解だと思う。アメフトと言うより、人生ってそうなんじゃないですか。どの道を選ぶかより、与えられた道で、どう生きるか。そっちの方が大事やと思います」

環境は有限だ。しかし、生き方は無限である。

バナー写真:アメリカンフットボールの甲子園ボウル・ 関西学院大学ファイターズ-日本大学フェニックスで、懸命にパスを出す日大のQB林大希 2020年12月13日、甲子園球場 時事

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