今、ミャンマーから伝えたいこと(上)

国際 政治・外交

ミャンマーで2月1日、国軍によるクーデターが起きてから、3カ月。これまでに多くの市民が犠牲になり、日本人ジャーナリストが拘束されるなど、緊迫の度合いは増すばかりだ。通信が遮断され、情報が統制される中、同国の最大都市ヤンゴンに約3年間駐在し、現地の人々や在留邦人と今も交流を続ける土井森啓助さん(仮名)が自身のネットワークを生かし、ミャンマーの今を2回に分けて伝えてくれた。前編ではミャンマー人の声を届ける。

非道な国軍と恐怖の日々

アウン・サン・ウーさん(仮名)は、かつて学生暴動に参加し、これまでに2回の軍事クーデターを経験した。今回のクーデターで軍隊と警察は平和的なデモ参加者に銃を向け、実弾を使用し、彼の目の前で2人が撃たれて亡くなったと知らせてくれた。国軍の目に余る行為に、同じミャンマー人として行き場のない怒りを覚えている。

「平和的なデモ行進を排除するため、税金で賄った機関銃に実弾を込め、手りゅう弾で自国民を殺す、深夜に兵士が家に押し入り住民を拘束、その家族を翌日に呼び出して死体を引き取らせるなんて話は、世の中で聞いたことがありません。兵隊は市民を守るどころか、人道に反する罪を犯しています。逮捕された人を釈放するために、デモ参加者1人につき20万チャット(約1万5000円)以上支払わなければなりません。これではまるで、身代金目当ての誘拐です」

悲痛な叫びは続く。

「兵隊がヤンゴン中心部の寺院シュエダゴン・パゴダの仏塔から人々の寄付金を持ち去りました。味を占めた彼らは、今度はその尖塔から貴重な宝石を剥がそうと、竹製の足場を架設しています。同じ仏教徒として恥ずべきことで、悲しくなります。この国では今、耳を疑うような現実が次々と起きているのです」

ユーチューブで、平和的なデモ参加者を殴ったり、蹴ったり、暴力で弾圧したりする動画を数多く見ることができる。

「私たちミャンマー人は毎日、悪魔にドアをノックされることを恐れています。1988年に人生で初めてクーデターを経験して以来、私はこうした恐怖の中で大人になりました」

私たちを助けてください

「国連は加盟国の一員ミャンマーを無視することができないので、非難声明を出しているものの、われわれはすでに700人を超える民間人の命を失っています。国連は私たちを助けるために他の手段を見つけることが必要です」 

「ミャンマーを長年支援してくれた日本政府には多大なる感謝をしています。ミャンマーの正義のために、普遍的な真理のために戦っている私たちには、さらに支援が必要です。どうか 私たちを助けてください」

帰省先に忍び寄る危険

日々刻々と募る危険を伝えてくれたのは、ヤンゴンで仕事をする傍ら、故郷で家族と一緒に飲食店や宿泊施設を運営しているタ・リン・チーさん(仮名)。

ヤンゴンの自宅でくつろいでいた時のことだった。大規模なデモが始まり、住民は毎晩、抗議の鍋をたたくなど、あらがう姿勢を鮮明にしていった。タ・リン・チーさんは早めに故郷に帰るつもりだったが、抗議活動に参加するため帰省を先延ばしにし、住民と一緒に毎晩、自宅から鍋をたたいた。そのうち、軍による弾圧がタ・リン・チーさんの自宅付近でも目撃されるようになった。

「ある日、自宅前の通りにデモ隊の若者たちが逃げ込んで来ると、後ろから治安部隊とは名ばかりの暴力的なテロ集団が催涙弾を発射し、私の住む6階まで煙が流れてきました。その後、近くで頻繁に銃声が鳴り響くようになり、身の危険を感じた一人暮らしの私は、ヤンゴン郊外に住む友人の家に避難することにしました。ところが何日もしないうちに、今度はそこでも激しい弾圧が始まり、1日で100人近くの住民が自称・治安部隊に殺されてしまったのです。夜、激しい銃声や火事で燃え盛る炎を間近に見て、激しい怒りと悲しさを感じました」

ヤンゴンの通りで、炎をよけるミャンマーのデモ隊(ミャンマー・ヤンゴン)2021年03月16日 AFP=時事
ヤンゴンの通りで、炎をよけるミャンマーのデモ隊(ミャンマー・ヤンゴン)2021年03月16日 AFP=時事

ヤンゴンからの脱出

身を寄せていた家がある地区の出入り口は、治安部隊が陣取っていて危険なため、タ・リン・チーさんは何日も町を出ることができなかった。やっと安全が確認でき、念願だった実家に帰る準備を始めた。国内線の飛行機は運航しておらず、ミニバンの長距離バスを使うことにしたが、バスターミナルで身の危険を感じる場面があった。

「バスの担当者は、見たことのないくらい人相の悪い男で、バスの中にはこれまた怪しげな表情の男が数人いるだけ。ちょっと普通じゃないと感じて、その場を離れようとしましが、しつこく乗るように言ってきます。とっさに向こうから来たタクシーに乗り込み、無事に逃げることができました」

その後、タ・リン・チーさんは、再びしばらく友人家族の家でお世話になっていたが、国内線の運航再開の情報があり、朝、空港へ向かった。国軍が慣れない搭乗手続きを行っていたため、空港には長い行列ができていたという。何とか出発時刻に間に合って搭乗でき、無事に故郷の空港に到着し実家に帰れた。

静かな町も通信手段は制限

タ・リン・チーさんの実家のある町でも、中心部では一時期、大規模なデモはあったが、暴力的な弾圧は起きていなかった。軍人や公務員が多く住む町なので、行動を起こすことが難しかったのだろう。デモや鍋たたききは、ほとんど行われていないが、近くの大きな町では治安部隊による虐殺で10人以上の死者が出たという。

「わが家が経営する宿泊施設に泊まるお客さんは、ほとんどいません。新型コロナの影響で大きい都市からの往来が制限され続けているためです。飲食店には時々、地元の常連さんが足を運んでくれることがあります。店は町の中心から少し離れていて、まだインターネットが使えるため、ネットを目当てに来るお客さんも多いようです。故郷でも携帯電話を利用したインターネットサービスは遮断されたままです」

皆さんに伝えたいこと

タ・リン・チーさんは今、伝えたいこととして、次のメッセージを寄せてくれた。

「まず、ミャンマーの状況に関心を持って私たち国民を応援してくれる方々に対する感謝の気持ちです。最近はインターネット規制が厳しく、外部の情報が得にくくなっていますが、海外からのさまざまな応援の声は、私たちに届いています」

「この闘いはミャンマー国民だけでなく、民主主義を求める人類共通の問題だと思います。海外のより多くの人が、身近な問題として捉えて状況の解決に向けて考え、行動していただけたらうれしいです」

「自由を奪い、武器による理不尽な暴力で国民をコントロールしようとする、時代遅れの汚れた軍隊は、早く地球から消え去るべきです。そして全民族、全国民が平等に安全で安心な暮らしができるようにならなければなりません。世界中の皆さまのご協力をお願いします」。

バナー写真:ミャンマー北西部モンユワで行われた反軍政のデモ(フェイスブックより)2021年04月01日(AFP=時事)

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