今、ミャンマーから伝えたいこと(下)

国際 政治・外交

ミャンマーの最大都市ヤンゴンに約3年間駐在し、現地の人や在留邦人と今も交流を続ける土井森啓助さん(仮名)が自身のネットワークを生かして情勢を伝える後編。クーデター後もミャンマーにとどまる日本人の「今」を届ける。

土井森さんのメッセージ

ミャンマーでは治安部隊の発砲により、市民にも被害が及んでいる。日本人の中には、現地の市民グループと協力し、負傷者の応急処置などの救護活動に当たっている人もいる。私は多少なりとも縁があった日本人として、何ができるか考えた。連絡が取れた在留邦人の声を世界に届けたいと思う。

工場で働く青木さん

衣料品の製造工場で働く青木常幸さん(仮名)は現在、ホテルに避難している。単身赴任で初めての海外生活を送ることになり、大勢のミャンマー人に支えられたことに感謝しながら、どんな恩返しができるのかを考えている。

「私は工場で、製造方法から販売、資金の調達と運用など、知っていることは全てオープンにして教えてきました。そこでの経験を基に、自分で工場を立ち上げて私たちのライバルになった人、技術を身に付けて他の会社に移った人もいます。自立の道を選び、歩きだした人たちが職を失い、恐怖におののいています」

青木さんによると、地方に避難する人が増えており、出稼ぎ労働者も大勢、帰郷したそうだ。

「避難できない人は、息を殺して身を守っています。こんな生活をいつまで続けなければならないのかとつぶやく人が多く、私もその一人です」

不安を隠さない青木さんだが、一方で若い人たちの体を張った行動に頼もしさも感じている。

「国の行く末を案じ、若い人たちは現状を変えようとしています。国軍の情報遮断によって難しくなっていますが、ミャンマーの現実を外に知らせようと、危険を冒して情報を送っています。これからの人たちには夢や希望が必要です。若い力は国を動かし、世界を動かすことも可能なのです。ミャンマーに関心を持ち続け、決して無関心にならないことが大切だと感じています」

会社を経営する松山さん

松山太郎さん(仮名)は、会社を経営している。ホテルに避難しているが、クーデター当日から、刻々と緊張感が高まるヤンゴン市内の様子を詳細に伝えてくれた。松山さんがクーデターを知ったのは、早朝にかかってきた同じホテルに滞在する知人からの内線電話だった。アウン・サン・スー・チー氏が拘束されたことを聞き、頭を金づちで打たれたような衝撃を受けたという。

「すぐにパソコンを立ち上げましたが、インターネット回線どころか、通話用の電話回線も遮断されていました。この瞬間、ミャンマーは世界から隔離され、『陸の孤島』と化してしまったことを思い知らされました」

再び軍事政権に後戻りする可能性は0.1%もないだろうと、高をくくっていただけに、クーデターという現実に、驚きを隠せない様子だった。

松山さんは、2007年に起きた僧侶を中心とした反政府デモ(サフラン革命)を目の当たりにしている。

「当時は、日本人ジャーナリストが殺害されたので、かなり緊張していましたが、今回はそこまでではありませんでした。クーデターの後、全土で広がった大規模なデモは、老若男女が人差し指と中指、薬指の3本指を立て、民主化奪回を叫びながらシュプレヒコールを上げていました。時折笑顔も見せる平和的なデモだったので、事態はそれほど深刻化しないのではないかと思い始めていました」

経営者としての苦悩

しかし、3月に事態が一変する。首都ネピドーで、軍がゴム弾で女子学生を殺害したのを発端に、その後は催涙弾、実弾さらにはマシンガンからロケットランチャーという戦地で使われる武器が、ヤンゴンでもごく普通に使われるようになった。それとともに死者も増え、すでに700人を超える市民が死亡している。

「さすがに市民は疲労困憊(こんぱい)かと思いきや、最新のIT技術を駆使して、世界各国に散らばる同胞たちと連携しながら、民主化奪回のために命懸けでデモしているのです。その姿を見ると、本当に心が痛む毎日です。完全武装した軍に対し、丸腰の市民では勝ち目がないのは明らかです。それでも果敢に応戦するミャンマー人に対し、普段は見られない気迫を感じ、根底にこうした情熱を持つ国民なのだと思い知らされます。外国人のわれわれに、できることは限られています。しかし、ミャンマー人を雇用する立場として、彼らがデモに参加したいと言えば、それを止める権利があるわけではないので、ただただ無事を祈るしかないと思っています」

松山さんのような経営者は、大企業のように帰国命令が出るわけではないため、帰国するかどうかは自分で判断するしかない。クーデター前に約3000人いた邦人も、5月には1000人を割ると予想されている。

「長年の海外生活で培った自分の感性を信じ、危険だと判断すれば退避することを考えていますが、その日が来ることを望んではいません。再び民主化という名の朝日が昇ることを期待しつつ、『明けない夜はない』という言葉を信じ、今は目の前の仕事に全力集中するのみです!」

ミャンマーのヤンゴンで、治安部隊の銃撃で負傷した男性を運ぶ抗議デモ参加者(2021年03月17日)AFP=時事
ミャンマーのヤンゴンで、治安部隊の銃撃で負傷した男性を運ぶ抗議デモ参加者(2021年03月17日)AFP=時事

子育て中の鳥居さん

鳥居一郎(仮名)さんは、子育て中のサラリーマン。ヤンゴンの繁華街、サンチャウン地区に住んでいたが、デモ隊と治安部隊の衝突を受け、3月中旬に中心部にある長期滞在者向けのホテルに、家族と移り住んだ。

サンチャウンでは、警察による住民の連行が相次ぎ、何度も発砲音が聞こえ、夜になると住民の鍋打ち音が絶えない物騒な場所だったという。鳥居さんも松山さんと同様に、外国人だから標的ではないと安心していた。しかし、ヤンゴン市内で無差別に銃口を向ける治安部隊の動画をインターネットで見るたびに、その考えは通用しないと思うようになっていった。ある昼下がり、鳥居さんが街に出ると住民は一人も見かけず、警官隊しかいない状況に出くわした。

「職務質問を受けて連行されないか、誤発砲されないかなど、疑心暗鬼になりながら歩きました。この街は本当に危ないのだと改めて考え直し、現在のホテルに移ることを決断しました。ホテルに着くと、緊張感が少し和らぎ、ほっとしたことをよく覚えています」

サンチャウンは、集結していた数百人のデモ隊が一つの区画に封じ込められた。デモ参加者は、拘束されたり区域外に脱出したりして、3月下旬までには治安部隊にほぼ制圧され、バリケードも撤去された。しかし、今でもタイヤを燃やすなど、住民による抗議行動が時折みられるようだ。

失われる幼い命

ミャンマーの学校の多くは、コロナの影響でオンライン授業か休校が続いていたので、クーデター以降も変わっていない。しかし、親にとって子どもの安全に対する危機感は強い。

ミャンマーの中央にあるマンダレーで、デモ隊を追った治安部隊が民家に押し入り、父親の膝に座っていた7歳の女の子を撃った死亡事件があった。また、自宅の前でデモを見ていた男の子が撃たれて死亡したり、家の中にいたにもかかわらず流れ弾に当たって亡くなったり、幼い子どもたちが次々と犠牲になっている。国連児童基金(ユニセフ)は、国軍による教育施設の占拠などによって、500人以上の子どもが恣意(しい)的に拘束され、少なくとも5人が死亡したと報告した。

すぐに国外に退避できない事情を抱える鳥居さん。身近で幼い命が奪われる現実に憤りを感じている。

「もはや子どもであっても、見境なく標的になっているのではないかと思います。本当ならアフリカのテロ組織がやるような行為です。今は細心の注意を払いながら、わが子を守ることしかできない日々です」

ミャンマーへの想い

この記事の編集に協力してくれた土井森さんの言葉で締めくくろう。

「ミャンマーは、東南アジア最後のフロンティアとして注目を集めています。世界最貧国と言われながらも、喜捨の精神が豊かなのがミャンマー人です」

「私は、2011年の東日本大震災直後から2カ月間、被災地の復興に従事した際に、自衛隊の方々のたくましい動きに感動を覚えました。在ミャンマー時代に感じた『この国の軍隊の銃口は外敵ではなく、いつも内なる国民に向けられている』とのやり切れないような思いがよみがえります。ミャンマーのために何かできることがあれば。その想いでいっぱいです」。

バナー写真:ヤンゴンのサンチャウン郡区で行われた軍事クーデターに対し、抗議を意味する3本指を立てるデモ隊(2021年04月27日)AFP=時事

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