仕事でも、友達でもなく…自然体で大谷翔平の二刀流覚醒を支える専属通訳、水原一平氏の素顔

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日本球界を飛び出し、米大リーグ(MLB)ロサンゼルス・エンゼルスの一員となって4年目。右肘靱帯(じんたい)の損傷などのけがを乗り越え、大谷翔平は今季ついに“二刀流”として開花した。その歩みを常に支えてきたのが、専属通訳の水原一平氏だ。単なる通訳にとどまらず、公私にわたって献身的なサポートを続ける水原氏の素顔に迫る。

ホームランダービーに参加した初の日本人通訳

二刀流は、一人の力では成し遂げられない。ロサンゼルス・エンゼルス大谷翔平(27)の飛躍の陰には、水原一平通訳の存在がある。

メジャーで手術や故障を繰り返してきた大谷の間近で、水原氏は地道な努力を見届け、サポートしてきた。自身にも今まで以上にスポットライトが当たる。今年のオールスターでは、日本人として初めてホームランダービーに出場した大谷から、捕手役として指名された。野球経験のない水原さんの捕手姿を球団は公式インスタグラムに投稿。大谷だけでなく、水原氏もファンの注目の的となった。

大谷も厚い信頼を寄せる。

「5年間一緒にファイターズでやってきて、信頼もしてますし、そういう方に(通訳を)やってもらえるのは僕にとっては心強いと思います」

水原氏は、メジャー初年度に向け、2018年2月1日に大谷とともに渡米。それ以降、米メディアの質疑応答をはじめ、監督やコーチとの意思疎通、チームメートとの会話、さらに練習のパートナーとして投打のフォームの動画撮影やルーティンのチェックなど、縁の下の力持ちで幅広くサポートを続けている。

「第一には、野球に集中してもらえるような環境を整える。まずはそこですね。普段はゲームとかも一緒にしますし、友達感覚じゃないですけど、(関係を)言葉にするのは難しいですね」

これが、水原氏の心掛ける通訳としての立ち位置や距離感だ。プライベートではアナハイム近郊の焼き肉店などに食事に出かけ、18年7月の球宴休み期間中にはアミューズメントパークのユニバーサル・スタジオを訪れて英気を養った。野球では周囲とのコミュニケーションを明確かつスムーズに行い、仕事を全うすると同時に、オフモードとなれば和やかな雰囲気を作り出す。そんな絶妙なバランスが、二人を“ベストパートナー”としてつないでいる。

ダッグアウトでは大谷の隣が水原氏の指定席。球場では常に行動を共にする(2018年5月31日、デトロイト・コメリカパーク) AFP=時事
ダッグアウトでは大谷の隣が水原氏の指定席。球場では常に行動を共にする(2018年5月31日、デトロイト・コメリカパーク) AFP=時事

チームに欠かせぬ愛されキャラ

水原氏は13年に外国人選手の通訳として北海道日本ハムファイターズに所属。その後、大谷が日本ハム入りし、以来5年間、チームを共にした。北海道の苫小牧市出身で、父親の仕事の関係で渡米し、ロサンゼルス郊外の高校と大学を卒業。10年には当時ボストン・レッドソックスでプレーしていた岡島秀樹氏の通訳も務めた。実はメジャーで仕事をするのは、エンゼルスが二度目となる。

ベーブ・ルース以来100年ぶりの二刀流・大谷が話題となるにつれ、いつもそばにいる水原通訳の人気も自然と高まっていった。球団のインスタグラムにもたびたび登場し、いまやチームに欠かせない、愛される存在となっている。

本拠地エンゼルスタジアムで大谷の新人王授賞式が行われた、19年4月30日のこと。記念の式典をベンチで見守り、大谷の顔写真がプリントされたTシャツを着用していた水原通訳は、翌日こう語っていた。

「遊ばれてます。昨日も、変なTシャツを着せられて。目立ちたがり屋みたいになっちゃうので、ちょっと嫌でした(笑)」

18年に新人王を獲得した際、大谷は水原氏の右腕を左手でつかんで高く掲げ、笑顔でポーズをとった。まるで、二人で取った新人王のように。水原氏は照れながら言った。

「なんで?みたいな。あたかも自分が取ったかのようで。恥ずかしかったですね。面白いからやったという可能性が高いと思います(笑)」

実際には感謝の気持ちだったに違いない。堅苦しくなく、和やかに、イタズラっぽく伝えるのも大谷流なのかもしれない。それを水原氏は自然に受け入れる。

今でこそ順風満帆な二刀流ロードを歩んでいるが、新型コロナウイルスの影響を受けた昨季は特に、生活リズムに狂いが生じた。カリフォルニア州では3月中旬から外出禁止が発令され、練習時間や場所も制限された。

「本当に外に出ずに、ほぼ家にいて。練習の時に一緒に行動してって感じでした。球場周辺を一緒に自転車でこいで有酸素運動することがありましたけど、大谷には全然追いつけない。めちゃくちゃ速いです」

コロナ下では球場の駐車場でキャッチボールを行うこともあった。世界的なパンデミックの状態でも「不安とか、そういうのはお互いなかったと思いますね」と振り返る。18年に結婚したが、大谷と過ごす時間は、家族よりも長かったという。

通訳だけでなく、時に練習のパートナー、私生活のパートナーとしても大谷を支える水原氏(2020年9月15日、アナハイム・エンゼルスタジアム) AFP=時事
通訳だけでなく、時に練習のパートナー、私生活のパートナーとしても大谷を支える水原氏(2020年9月15日、アナハイム・エンゼルスタジアム) AFP=時事

常に前向きな大谷に救われる

何事も経験と捉え、ポジティブ思考で前進を続ける二刀流・大谷。水原氏は「そんなに常に自信満々っていうわけではなくて、謙虚なところはありますけど、弱音は聞いたことはないですね」と明かす。最も近くでサポートする存在だからこそつらい時もあったが、大谷の前向きさに救われたこともあった。それは1年目の18年9月5日、大谷が右肘のトミー・ジョン手術を勧告されたときのことだ。

「僕が先に(当時のエプラーGMから)電話越しに聞いたので、やっぱり落ち込みますよね。打者で出ながら、肘のリハビリをしてきてやっと復帰できたので、その直後でやっぱりショックでした。だけど、本人はケロッとしていたので、こっちがどんよりしていたらいけないと思って。それなのに試合でめちゃくちゃ活躍して、やっぱりすげぇなって。そういう悲しみも吹っ飛びましたね」

同年6月上旬に右肘靱帯損傷が発覚し、約3カ月のリハビリを経て復帰登板を果たした直後の手術勧告だった。懸命に前を向いて進んでいた大谷の姿を知っているからこそ、自分のことのように落ち込んだ。そんな中、通告後の試合で4安打2本塁打と打者で大暴れした大谷に逆に励まされた。

大谷は18年オフにトミー・ジョン手術を行なった。さらに19年には左膝を手術。「手術前の状態に、またそれ以上になって欲しいというのが第一でした」という水原氏の願い通り、二度の手術から順調に回復し、今季は大谷は二刀流で完全復活を遂げ、過去最高の活躍を見せている。

打者としての大谷は、本塁打数では、一時の独走状態より差は縮まったが、依然として首位をキープ、盗塁も23個まで伸ばしている(9月5日時点)。投手でも2桁勝利に王手をかけており、MVP獲得もいよいよ現実味を帯びてきた。それは大谷だけの力ではなく、水原氏を含めた周囲のサポートがあるからだ。

今季、大谷との日々の会話を特に重視しているマドン監督は、「こういう状況ではイッペイが非常に重要なんだ。訳す時に、ニュアンスも伝えてくれる。だから私は、ショウヘイが(状態を)どう感じているか正確につかめていると思う」と話し、意思疎通の点で水原通訳の存在を絶賛する。

とはいえ、まずは水原氏と大谷の間で信頼がなくては、細かなニュアンスを十分に理解できない。まして第三者に気持ちや感情を伝えることは難しい。マドン監督からの賛辞は、どこか波長が合う、水原氏と大谷の関係性に贈られたものでもある。だがかつて、水原氏は謙虚にこう言ったことがある。

「支えてるっていうか、どうなんですかね。誰がやっても正直、あんまり変わらないと思いますけど」

ことさらに信頼関係を強調するわけでもない。あくまで自然体で付き合い、サポートする水原氏。米メディアの質疑応答では、大谷の答えをうっかり忘れてしまうこともある。そして横で笑う大谷。和やかな空気感は、信頼し合う二人にしか生み出せない。

バナー写真:メジャーリーグ、オールスターゲームのホームランダービーで、大谷の打席の捕手を務めた水原一平氏(2021年7月12日、米コロラド州デンバー) USA TODAY・ロイター=共同

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