完全なる暗闇で覚醒するイベント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」体験記

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完全なる闇を体験するイベントが注目を集めている。ドイツに端を発する「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇の対話)」は、日本国内では23万人以上が体験、600社以上の企業が社員研修として利用するなど、評価が高まっている。目が見えなくなることで呼び起こされる新たな感覚とは何なのか。視覚障害者のガイドに導かれ、体験してみた。

扉の向こうは、完全なる暗闇だった。

一切の光が見えない中を、恐る恐る歩いていく。入口で渡された白杖(はくじょう)で足元を探るが、なんとも不安で、心もとない。足がすくむ。

参加者はこの白杖を持って暗闇の世界に入っていく 撮影筆者
参加者はこの白杖を持って暗闇の世界に入っていく 撮影筆者

そんな空間を案内するのは「アテンド」と呼ばれる視覚障害者だ。気配から察するに、闇の中をすいすいと歩き回っているらしい。彼らにとっては、この暗闇が日常なのだ。

アテンドから掛けられる声や励ましを頼りに、一歩一歩進んでいく。段差を乗り越え、ドアをくぐり、手探りで椅子を探す。耳を澄まして雑踏や虫の声を聴く。靴を脱いで、畳の感触に安心感を覚えたりもする。

ここでは誰もが視覚以外の感覚でものごとを捉えることになる。そのフラットな関係の中で、参加者とアテンドはさまざまな「対話」をしていく。

1万人をアテンドした暗闇の案内人

光を遮断した空間の中を視覚障害者と共に歩き、コミュニケーションを楽しむ暗闇のエンターテインメント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下、ダイアログ)。もともとは1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケによって始められたものだ。いまでは50カ国以上、900万人を超える人々が体験したが、日本に上陸したのは1999年のこと。現在は東京・竹芝にある。

世界各国の「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」はドイツ本国の統一されたフォーマットをある程度踏襲しているが、日本の場合は暗闇内部のコンテンツを変えられることが特徴だ。豊かな四季を反映させる意味で、例えば敷き詰めた落ち葉の感触だとか、書き初めの墨の香りなど、視覚以外を刺激する「和」の感覚をふんだんに取り入れている。

そんな暗闇体験で、檜山(ひやま)晃さんは19年にわたってアテンドとして活躍してきた。参加者やスタッフからは「ひやまっち」と呼ばれており、飄々(ひょうひょう)とした語り口がなんとも親しみやすい。

「僕は生まれつき全盲で、盲学校を出た後に筑波技術短期大学(現在の筑波技術大学)に進学しました。視覚障害者や聴覚障害者の高等教育をする学校でコンピュータ関連の勉強をしていました」

「檜山さんは安心感とドキドキのある先輩」と語るアテンドのマリーナさん(右) 筆者撮影
「檜山さんは安心感とドキドキのある先輩」と語るアテンドのマリーナさん(右) 筆者撮影

ところが、大学卒業後に同期の仲間から紹介され「ダイアログ」の世界を知ると、「これはおもしろいな」と思った。

「僕にとっては、(入場口の)カーテン一枚めくって中に入るだけ。何も変わらないんです。でも、目の見える参加者たちが、暗いというだけでこんなにも動けなくなるものかと驚きました」

それでも参加者たちは、暗闇に少しずつ適応していく。お互いに声を掛け合って不安をやわらげ、闇に溶け込んでいるさまざまなものを実際に手で触って確認する。敷きつめられた落ち葉の上に寝ころがってみる人もいれば、落ち葉を口にしてみて「本物だ」と知覚する子供もいたそうだ。

「見えない中で、一つ一つ手に取ったり、赤ちゃんのように物を口にして確認してみたり。視覚以外の感覚を使って慣れていく、短い時間でも成長していく。参加者のそんな姿を知ることも意外な発見でした」

「ダイアログ」はアテンドも参加者も、いわばお互いに違う角度から物を見る体験なのだ。

その世界に魅せられた檜山さんは、「これで飯を食っていこう」と決意し、以降の19年間でおよそ1万人を暗闇の世界に案内した。

「音」で楽しんだ東京五輪・パラリンピック

この夏、たくさんの物語を生んだ東京2020五輪・パラリンピックだが、実は檜山さんは5年前から関わっていた。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックの閉会式に参加しているのだ。東京五輪にパラリンピックの旗を引き継ぐ「フラッグハンドオーバーセレモニー」でパフォーマーを務めた。

そこから予期せぬ延期の1年を含め5年後に開かれた東京五輪は、檜山さんにとって「違う角度からものを見る」、良い機会だったようだ。

「コロナ禍のために試合は無観客で行われることになりました。だったら、もしかして競技の音は普段の大会よりもよく聞き取れるんじゃないかと思って、ネット配信でもいろいろとチェックしていました」

ひたすらに「音」を楽しむ。そこから、スポーツのダイナミックさを捉える。

「ヘッドフォンをつけて聞いていたのですが、例えば卓球だと、“あ、いま力を込めたな”って、打球音の力強さで伝わってくる。選手の息づかいも聞こえてくる。水球がこれほどに激しい水音をたてる競技だと知って驚いたり」

音の迫力から、新しいスポーツを知ることもある。オリンピックではスケートボードが大きな注目を浴びたが、檜山さんはその滑走音を聞いて想像を巡らせた。こういう音の時はどんな動きをしているんだろう、どんな展開なんだろう。音からそんなことを考え、新しいスポーツと出会い、知っていく。見えないからこその楽しみ方があるのだ。

もともと、檜山さんの趣味はスポーツ観戦だ。とくに野球が好きで、阪神タイガースのファンでもある。漢字は違うけれど、同じ名前の選手に親近感を持ち、応援をするようになった。

「小学生の頃でしたが、阪神に桧山(進次郎、野手。2013年に引退)という選手がいるのを知ったことがきっかけです」

「グランドソフトボール」という視覚障害者の野球も始めた。ソフトボールの球を勢いよく転がし、それをバットで打つ日本生まれのスポーツだ。ストライクゾーンや走塁方向の指示は、キャッチャーやコーチが手を叩く音だ。聴覚を研ぎ澄ませて、全身を躍動させるこの競技を檜山さんは続けてきた。だから野球の動きや展開は身体で分かっている。

他にも音が鳴るボールを交互に投球してゴールを奪い合うゴールボールなど、実際に自分でも経験があり、イメージしやすい競技を中心に、音で東京五輪を堪能した。

「ゴールボールの選手には男子にも女子にも、盲学校の後輩たちがいるんです」

そのゴールボール、男子は準々決勝で敗退したが、女子は銅メダルを獲得した。

パラリンピックでは22の競技が行われたが、そのうち視覚障害のある選手は柔道やブラインドサッカー、トライアスロンといった激しいものも含め9つの競技に参加。日本選手も数多くのメダルに輝いた。

「パラリンピックを通して、同じ障害を持つ人がこんな競技をがんばってるんだって、知ってもらうきっかけになればいいですよね」

檜山さんはそんなことも話す。

「目が見えない」という巨大で深い文化

檜山さんはいま、コロナ禍を機にオンラインイベントに力を入れている。「ダイアログ」も人数制限をしながらの開催となっており、昨年の緊急事態宣言の際、営業自粛もした。対面ではない体験も求められている。

「こんなときだからこそ、何かできることはないかと思って」始めてみたものの一つが“感覚マップ”だ。ネットを介して参加した人たちが、視覚以外の感覚を使って自分のお気に入りの場所の地図を作っていく。

レストランから漂ってくる匂い、横断歩道の音響式信号機、足の裏で感じる道路の起伏、コンビニから漂う冷風……そんな情報を基にした地図をつくり、オンラインで集まった参加者たちと共有し、想像してもらう。ふだん自分が歩き慣れた道に、耳や鼻や手足で分かる“ランドマーク”がどれだけあるのか、あるいはないのか、意外な発見があって楽しい」

「ダイアログって、未知と遭遇することでもあると思うんです。そのためには暗闇の箱がなければと、はじめは思っていました。でも、オンラインでだって、暗闇と比較はできないまでも、ちょっとした遭遇や発見はあるものです」

コロナ禍でも、違う方向から物事を見て、新しいことに挑戦していく。そんなガッツはもしかしたら、普段から視覚以外のさまざまな感覚を駆使している檜山さんならでは、なのかもしれない。

「ダイアログ」の旅を終え、参加者たちが濃密な闇を出た時の反応も、けっこう楽しいと檜山さんは言う。

「小説を読んでいるみたいだった、と言う人もいるし、海外旅行から帰ってきたみたいだって人もいます。お子さんが明かりを見て『あー、懐かしい』と話したことも印象に残っています」

僕は「目が見えない」という巨大で深い文化があるのだ、と知った。目が見えないからこそ知覚できる世界があり、ものの観方がある。その広大な世界に、僕たちも少しお邪魔させてもらう。そんな感覚なのかもしれない。

「ダイアログ」は単に「かわいそうな視覚障害者の立場になってみる」というものではない。人それぞれに「違う角度からものを見る」という考え方を与えてくれる体験なのだと思った。

「ダイアログ」の体験は企業研修などにも取り入れられている 筆者撮影
「ダイアログ」の体験は企業研修などにも取り入れられている 筆者撮影

<参考>
ダイアログ・イン・ザ・ダーク https://did.dialogue.or.jp/

バナー写真:「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」でアテンドを務める檜山晃さん 筆者撮影

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