神戸のユダヤ人たち(上):肉親奪ったホロコースト、ユダヤ教ラビ、一族の壮絶な過去

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【神戸新聞】第2次世界大戦の嵐が欧州を吹き荒れる1940~41年、神戸の街にナチス・ドイツの迫害を逃れる人々が押し寄せた。駐リトアニア領事代理・杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を手に、一時滞在したユダヤ人難民。その数は4千人以上といわれる。

外国人の多い神戸には、1912年ごろ既に、ユダヤ人のコミュニティーが形成され、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)が設立された。国内でユダヤ教組織があるのは現在も東京と神戸だけだ。

その「関西ユダヤ教団」のシナゴーグ(神戸市中央区北野町4)を訪ねると、ラビ(指導者)のシュムエル・ヴィシェドスキーさん(36)が迎えてくれた。

ニューヨーク出身でイスラエルで学び、2014年に来神。神戸とユダヤ人の関係を語る上でも避けられない戦争の話を巡り、ヴィシェドスキーさんは「日本の人に知ってもらいたい」と、これまで公にしてこなかった一族の壮絶な過去に触れた。

「私の祖母は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で家族を殺されたんです」

祖母のリブカさんは1941年、ソ連のレニングラード(現サンクトペテルブルク)で、兄の家族と暮らしていた。

同年6月、ナチス・ドイツ軍がソ連に侵攻。レニングラードは包囲され、解放までに飢えや寒さで命を落とした人は、約100万人ともいわれる。

「軍人だった兄の助けで、祖母たちは包囲戦の前に脱出できたが、兄は飢餓作戦の犠牲となった」

だが、リブカさんたちが逃れた故郷の小さな村も、既に安全な場所ではなくなっていた。「ナチが『特別行動部隊』を設置していたのです」

特別行動部隊(アインザッツグルッペン)は、前線後方の占領地域でユダヤ人や共産党員ら「敵性分子」を銃殺する任務を負って、組織された。

「村のユダヤ人は大きな穴を掘らされ、その穴は銃殺されたユダヤ人の死体で埋め尽くされました」

両親と7人きょうだいの家族のうち、生き延びることができたのは、リブカさんともう一人だけだった。

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記事・写真 杉山雅崇
バナー写真:シナゴーグのラビ、シュムエル・ヴィシェドスキーさん
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