麻生幾 特別寄稿エッセイ:「公安調査庁」 史上最大の対北朝鮮ミッション

政治・外交

拉致問題、核開発、ミサイル開発と発射実験……、日本にとって北朝鮮ほど監視の必要な国はない。しかし、独裁国家故にその情報ルートは鉄のカーテンで固く閉ざされている。公安調査庁は東アジアで最も難しいミッションの一つであるこの北朝鮮内の情報収集を様々な手段を使って遂行し、赫々(かくかく)たる成果を挙げている。

把握されていた万景峰号の動静

「どうして、その船の動きがそんなにリアルタイムに分かるんだ? 北朝鮮の港の近くで見たわけでもあるまいに」

総理官邸の5階にある一室で政府高官がそう言って失笑した。

その発言の直前、対面に座る公安調査庁長官は、北朝鮮の貨客船「万景峰(マンギョンボン)号」(正式には万景峰92号)の、乗船者の氏名の一部、出港準備の様子、実際の出港状況や航跡まで、刻一刻と変化する動きのクロノロジー(時系列)を縷々(るる)報告していた。

2006年7月、北朝鮮が日本海に向けて1日で7発ものミサイル発射実験を行ったことで日本政府は万景峰号に対し、半年間の入港禁止措置を発動した。しかし、万景峰号は新潟への寄港を主張し、日本政府は緊迫に包まれていた。

総理官邸からは、関係省庁に対して「本当に来るのかどうか」、「来るとしたらどんな幹部が乗っているのか」という「情報関心」が何度も頻繁に発信。そんな只中、「正確な情報をお伝えします」として長官がそこに座っていたのだった。

政府高官の言葉に対して長官が即答した。

「いえ、実際に万景峰号を見た上での情報です」

「実際に見た?」

と、政府高官がけげんな表情で尋ねた。

「はい。協力者が自分の目で見た情報です」

長官が応えた。

「協力者? どこの、どういった人物かね?」

「恐縮ですが、それにつきましては機微な事柄故、お答えしかねます」

無表情のまま長官がそう口にした。

監視の網をすり抜けて構築されたネットワーク

長官はインテリジェンスのルールに乗っ取って、その時明らかにしなかったが、公安調査庁は出港地にいる万景峰号を目視でき、すべての状況を把握し、航路も知ることができる、北朝鮮居住の「協力者A」を獲得することに成功していた。しかし、「協力者A」とは直接、通信ができない。北朝鮮当局の監視が厳しいからだ。

そのため公安調査庁はあるネットワークを構築した。公安調査庁は北朝鮮と中国との通信であれば、北朝鮮当局の通信監視は緩(ゆる)いことをつかみ、中国国内に「協力者B」を育成。その「協力者B」が「協力者A」からもたらされる“万景峰号の動向情報”を仲介して公安調査庁に送るスピード感を持ったネットワークがそれだった。

ネットワーク構築には少なからぬ資金が投じられた。だからこそ「ほぼリアルタイム」で、日本にいながらにして公安調査庁は万景峰号に関する情報を得ることができたのだった。

公安調査庁の主要任務は、創設された1952年から1980年代後半頃までは、破壊活動防止法で団体の規制や解散を請求するための「立証」と呼ばれる項目に疎明(そめい)情報を埋めるための情報収集──それが常に前提だった。

左翼系過激派ならびに外国機関の影響下にある組織や人物の活動が国民の安全を脅かし、国益を阻害する危険性の排除が当時、優先されたからだ。

ゆえに当時、公安調査庁の英語名「PSIA」の「I」は現在の「intelligence」ではなく、「investigation」と表示。“調査機関”という認識だった。

1980年代後半から激変した任務

しかし、1980年代後半から日本を取り巻く安全保障環境が激変。周辺国の軍事的脅威やスパイ工作が急増したことで任務が大幅に変わってゆく。

だが、北朝鮮の情報収集だけは創設当初から、多くの調査官と分析官たちの膨大なエネルギーが注ぎ込まれてきた。

公安調査庁による北朝鮮情報収集活動は、綿密かつ大規模に継続されてきた。北朝鮮に合法的に入国できる人物を国内外で多数リクルート。それぞれに“任務”を与えて北朝鮮に送り込む──その連続だった。

北朝鮮指導部の幹部に会える協力者からは、幹部の発言を詳細に聴取。そこから北朝鮮が日本から原子力専門家を招聘(しょうへい)している情報を得、日本で原子力情報や人材を収集しているシンジゲートを解明し、政府内に警報を出すこともあった。

北朝鮮が最初の核開発を寧辺(ニョンビョン)で開始したことが発覚した1994年、公安調査庁は特別なオペレーションを開始した。協力者を寧辺周辺エリアに送り込んだのだ。

ただ、協力者に与えたミッションは奇妙なものだった。寧辺近くの家屋の外壁を雑巾でなでてくれるだけでいいと。

公安調査庁の狙いは、空気中に漂って家屋に付着した化学物質を解析することで、寧辺の核開発施設の進捗(しんちょく)レベルを計測するためだった。

拉致問題を最終解決するプロジェクト

数多くの北朝鮮に対するオペレーションの中でも、2005年から10年の5年間にわたって行われた「プロジェクト」は従来と比べて最大規模のものだった。そのプロジェクトの目的は、北朝鮮による拉致事件を最終解決する、そのために開始された。

小泉純一郎総理(当時)の2回の訪朝により、5人の拉致被害者の救出に成功したが、それ以外の被害者の帰国について、北朝鮮との協議は膠着(こうちゃく)状態に陥っていた。

その突破口として開始されたのがそのプロジェクトだった。

公安調査庁が目を付けたのが、北朝鮮からの脱北者が中国を経由し、はるか1000キロを踏破してモンゴルに大量に押し寄せている、という外国機関からシェアされた情報だった。北朝鮮とモンゴルとは国交があり、長年の友好国でもあるので、脱北者は安寧(あんねい)の地として目指したのだった。

プロジェクトが予算化され、特別チームが編成された直後、モンゴルの情報機関「GIA」(国家総合情報庁)の協力を得て、「JOOPE」(ジョイントオペレーション=共同作戦)としてすべてがスタートした。

プロジェクト名は「モンゴル・ルート」と命名された。

モンゴルに送り込まれた特別チームは、脱北者を片っ端からインタビュー。尋ねる事項は拉致被害者に関することに特化させた。

日本人らしき人物を見たことはないか? 「招待所」と呼ばれる外国人が生活するエリアで何か見たものはないか? 北朝鮮にいる日本人についての噂を聞いたことはないか?

特別チームが得たビッグニュース

5年間にわたって何度も特別チームがモンゴルに飛んだ。新しい脱北者なら何かを知っているかもしれない──その可能性をひたすら追求した。

2008年頃、特別チームはビッグニュースを得ることとなった。

脱北者の一人が、拉致被害者の「横田めぐみさん」の特徴と酷似し、日本人のように思えた女性が平壌(ピョンヤン)で暮らしている、という衝撃的な証言だった。証言は極めてリアルでしかも詳細。証言した人物も心理分析から信用度が高いと判断された。

その証言を裏付けるために新たなチームが編成された。すでにインタビューしていた脱北者からもその証言を元にして再聴取が始まった。

また、背後に公安調査庁の存在があることを隠し、GIAに動いてもらい、北朝鮮国内の日本人拉致被害者に結びつくような情報収集も行った。人員だけでなく、多くの資金も投入された。

もし、信頼に値する確度の高い情報との認定ができて、暮らしている場所までの詳細な情報もあれば、公安調査庁長官の裁可を受けた上で、総理に報告。横田めぐみさん救出のため、各省庁が組織横断的に関わるタスクフォース(緊急性の高い、特定の課題に取り組むために設置される特別チーム)を編成する計画を公安調査庁の幹部たちはイメージするまでに至った。

月日をかけて脱北者からの傍証を得るための努力が行われた。だが、残念ながら官邸まで報告することはできなかった。

しかし「モンゴル・ルート」は、完全に消えたわけではない。別の国の情報機関とのJOOPEとして密かに継続されている。

公安調査庁の文書管理は極めて厳格だ。内部に限ったものでも、ある情報についての報告書の末尾は「そういうムキもある」と断定調に書かない場合が多い。理由は、万が一その文書が洩れた時、核心的な情報源が存在することを悟られないためだ。

だが、入手した情報が画像であれば加工はできない。ゆえに、1990年代初頭、「万景峰92号」が新造されるにあたって、公安調査庁はその設計図を入手したが、それはそのまま報告書に添付された。

バナー写真:軍事パレード観閲を終え、拍手する金正恩氏(右)と退席する金正日総書記=2010年10月、平壌(共同) 画像加工:nippon.com

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