検証アベノミクス:経済政策として不十分だった真因

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安倍晋三政権に始まり、菅義偉政権へと継承されていた「アベノミクス」。しかし、「新しい資本主義」を標榜(ひょうぼう)する岸田文雄首相の登場により、その看板が下ろされようとしている。そこで、アベノミクスとは何だったのか、日本経済にどんな影響を与えたのか、安倍氏は所期の目標を達成したと言えるのか、経済評論家の加谷珪一氏が総括する。

岸田政権は所得の再分配を重視する「新しい資本主義」を掲げている。岸田氏は自民党総裁選の段階から「小泉改革以来の新自由主義的政策を転換する」と発言しており、安倍政権や菅政権の経済政策とは一線を画す方向性を明確にしてきた。だが、アベノミクスとは、そもそもどのような経済政策だったのか、この部分をはっきりさせなければ、岸田政権の新しい資本主義についても正しく評価することはできないだろう。

初期に打ち出された「3本の矢」の意味

安倍政権の経済政策であるアベノミクスの評価は真っ二つに分かれている。安倍政権は在任期間中、経済政策を大きく変更しており、終始一貫したものだったとは言い難い。政策の内容が変わっているにもかかわらず、アベノミクスという名称だけが一人歩きしており、これが政策の評価を難しくしている。

安倍政権発足当初、安倍氏が全面的に打ち出したのは「3本の矢」というキャッチフレーズだった。1本目は「大胆な金融政策」で、これは日本銀行による量的緩和策のことを指している。2本目は「機動的な財政政策」で、大規模な公共事業が想定されていた。そして3本目が「成長戦略」である。

現在も継続している量的緩和策は、日銀が積極的に国債を購入することでマネーを大量供給し、市場にインフレ期待(物価が上昇すると皆が考えること)を生じさせる政策である。期待インフレ率が高くなると、理論上、実質金利(名目金利から期待インフレ率を引いたもの)が低下するため、設備投資が拡大すると期待された。日本経済は長期デフレと低金利が続いており、名目上の金利をこれ以上下げることは難しい。このため、逆に物価を上げて、実質的に金利を下げようというのが量的緩和策の狙いである。

しかしながら、物価が上がる見通しがついただけでは、経済が成長軌道に乗るとは限らない。持続的な経済成長を実現するためには、日本経済の体質を根本的に変える必要があると当時の安倍氏は考えており、そのための方策が3本目の矢=成長戦略だった。

安倍氏は小泉純一郎元首相に見出された人材であり、小泉氏が掲げる構造改革路線を強く支持していた。このため、当初のアベノミクスでは、硬直化した日本経済の仕組みを変革することこそが成長のエンジンになるという認識だった。

もっとも、一連の改革を実施すると、労働者が転職を余儀なくされたり、各種補助金が打ち切られたりするなど、多くの痛みを伴うことになる。構造改革が一定の成果を上げるまでには相応の時間が必要となるため、その間の緩和措置として掲げられたのが2本目の財政出動であった。

整理すると、初期のアベノミクスというのは、金融政策でデフレからの脱却を試み、財政出動で当面の景気を維持しつつ、その間に痛みを伴う構造改革を実施し、経済を成長軌道に乗せるという流れだったことが分かる。

つまり、量的緩和策や財政出動はあくまでも一時的な対症療法であり、構造改革こそが成長を実現する本丸という位置付けだった(少なくとも当時の安倍氏はそう認識していたと思われる)。この政策パッケージに関する賛否はともかく、持続的な成長を実現するためのロジックは明確だったといってよいだろう。

政策を変質させた構造改革の消滅

ところが、実際に安倍政権がスタートとすると、アベノミクスの内容が徐々に変わり始めた。最も大きな変化は、成長戦略の本丸だったはずの構造改革が事実上、消滅してしまったことである。当初、安倍氏は何度も構造改革について言及していたが、支持率を気にしたのか、やがてこの言葉を一切に口にしなくなった。成長戦略として提示される内容は、各種の補助金や企業支援など、重要ではあるものの経済の根本を変える施策ではなくなっていた。

3本の矢は、構造改革という痛みを伴う施策が大前提であり、これが消えてしまうと量的緩和策と財政出動の位置付けが不明瞭になってしまう。現実問題として日本政府は財政難が続いており、財政当局は基本的に大型の財政出動に消極的だ。

結果としてアベノミクスは量的緩和策だけに頼る「一本足打法」となってしまった。明確に時期を区切るのは難しいが、中後期のアベノミクスは量的緩和策そのものだったと考えてよいだろう。

先ほど、アベノミクスの評価は二分されていると述べたが、アベノミクス=量的緩和策として捉えるならば、経済政策としての成果は不十分だったという見解に軍配が上がる。

アベノミクスのスタート直後は、為替市場や株式市場でインフレ期待が発生し、株高と円安が進んだ。政権発足直後の2013年1月時点において消費者物価指数(総合)はマイナスだったが、14年5月には1.7%まで上昇している。その後、物価は再びマイナスに転落し、18年に再び1.5%まで上昇したものの、政権末期にはコロナ危機も手伝って、やはりマイナスに陥っている。

学術的に見れば、市場でインフレ期待が発生し、実質金利が下がったので効果があったと評価することも可能だが、経済政策というのは実体経済が変わらなければ意味がない。現実的な政策として見た場合、デフレ脱却は失敗だったと言わざるを得ない。

GDP成長率で最低を記録した安倍政権

ちなみに安倍首相在任期間中の平均GDP(国内総生産)成長率を計算すると、実質でわずか0.9%しかない(2020年はコロナ危機があるので除外してある)。小泉政権は1.0%、民主党政権は1.5%、大型公共事業を連発した橋本・小渕政権は0.9%と、安倍政権は同率で最下位となっている(四半期ベースの実質GDPを基に年率換算)。しかも安倍政権下の個人消費は何とマイナスだった。

アベノミクスについては、失業率の低下や輸出の増加について評価すべきという声もあるが、もともと日本は失業率が低いままで推移しており、失業が社会的問題になっていたわけではない。輸出についても金額ベースでは増加したものの、数量ベースではほとんど増えておらず、円安で見かけ上の輸出金額が増加しただけであることは明白だ。

そもそも構造改革は初期段階で放棄しているので、アベノミクスによって日本企業の輸出競争力が劇的に変化するとは考えにくい。日本ではむしろ低賃金の方が問題視されている現実を考えると、失業率と輸出を評価すべきというのは、論点がズレた議論と言ってよいだろう。

客観的に分析すれば、アベノミクスはうまくいかなかったという結論にならざるを得ないわけだが、筆者は殊更にアベノミクスを低く評価するつもりはない。数字では最下位かもしれないが、どの政権も低成長であり、十分な成長を実現できなかったという点では同じだからである。ただ、全ての政権において十分な成長を実現できなかったという事実は、経済学的に見て非常に興味深いと筆者は考えている。

橋本・小渕政権は大型公共事業を中心とした政策だったので、典型的なケインズ政策と捉えることができる。一方、結果的に量的緩和策の一本足打法となったアベノミクスは金融政策そのものであり、小泉構造改革は明確な経済理論とは言い難いが、あえて分類すれば、1980年代の米国で採用されたサプライサイド(供給サイド)の経済政策と見なせるだろう。

目立った政策がなかった民主党政権時代を除き、需要に働き掛ける「ケインズ政策」や、供給サイドを強化する「サプライサイドの経済政策」、そして「金融政策」という経済学の教科書に載っている全ての政策を実施しても、経済を成長軌道に乗せることはできなかった。これは一体何を意味しているのだろうか。

根底にある消費者の不安心理

実はアベノミクスがスタートした当初、硬直化した日本経済の体質を変えないと、金融政策は効果を発揮しないとの指摘が多くの専門家から出されていた。一連の指摘は熱狂的にアベノミクスを支持する声にかき消され、顧みられることはなかったが、この議論は公共事業についても当てはまる。橋本・小渕政権では大型の公共事業が繰り返し行われ、日本の政府債務は一気に増加したが、十分な乗数効果は発揮されなかった。

財政出動の効果を検証する際には、乗数効果という概念を用いるが、理論上、乗数効果は消費性向に依存する。多くの国民が消費に対して消極的、つまり消費性向が低い状態では、財政出動の効果は限りなく小さくなってしまう。日本は消費者の不安心理が大きく、消費が拡大しにくい状況となっており、これが各種政策の効果を限定的なものにした可能性が高い。この話は金融政策で期待された設備投資の拡大についても同じことが言えるだろう。

ケインズ経済学では、人々は所得の一定割合を消費に回すと仮定している。だが、ケインズ自身は消費について主観的要因も大きいと述べており、「予想される将来の所得と必要との関係」(『雇用、利子および貨幣の一般理論』)次第で、人々は「所得からの支出を手控えようと」(同書)する。つまり、消費マインドの低迷という現状を打開しない限り、各種経済政策は十分な効果を発揮しないのだ。

日本社会における不安心理の根底に、年金や医療など社会保障問題があることは間違いなく、一連の制度改革が実施されなければこの不安は拭えない。各政権に共通しているのは、社会保障制度に関する抜本的な改革に手を付けていないことであり、これこそが日本経済を低迷させている最大の要因であると筆者は考えている。

バナー写真:アベノミクスに関する学術会議後の歓迎式典のあいさつで「三本の矢」を指で示す安倍晋三首相=2013年05月30日(東京都港区) 時事

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