欧州とロシアのはざま-ソ連崩壊から30年後の現状を見る

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欧州との統合を目指しながら道半ばのウクライナと、ルカシェンコ大統領による権威主義体制が際立つベラルーシ。ソ連崩壊から30年たっても、ロシアとその周辺国の関係は揺れ続けている。

ウクライナとベラルーシ、そしてロシア

ロシアと欧州のはざまに位置する2つのスラブ国家、ウクライナとベラルーシをめぐる情勢について述べたい。

ウクライナはこの30年、国が東西に割れて揺れてきた。最近では、ロシアによるクリミア併合で世界から注目された。2014年2月、当時のヤヌコビッチ大統領がロシアと欧州連合(EU)をてんびんにかけてロシアを選んだことに、反ロシアのナショナリストが抗議して政変が起った。

今、キエフ市民はそれを「ユーロ・マイダン革命」と呼んでいる(「マイダン」はウクライナ語で「広場」の意)。ロシア軍によるクリミア併合は、そのさなかに遂げられた。以来、この国はロシアに背を向けて、欧州との統合を目指している。

ウクライナの北、ヨーロッパ平原の真ん中に位置するのがベラルーシである。ここでは20年8月の大統領選挙後、「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ大統領が、国民による退陣要求デモを力で抑え、メディアを激しく弾圧した。

これに対し、21年夏にEUが基幹産業への経済制裁に踏み切ると、その後ベラルーシを経由して、西のポーランドや北のリトアニアなどEU加盟国へ向かうイラクやシリア、アフリカなどからの移民や難民が急増した。EU側は、ルカシェンコ政権が意図的に彼らを送りこんで嫌がらせをしていると非難。ベラルーシは関与を否定し、逆に移民や難民の受け入れを拒むEU側の対応を批判している。

ともにソ連崩壊によって独立したロシアの兄弟国で、両国の首都キエフとミンスクは、モスクワからそれぞれ750キロ、670キロと近い。国境までは400キロと離れていない。クレムリンが両国の動向に片時も目を離さない理由である。

ロシアはウクライナへ侵攻しない

米国の情報機関の見解では、ロシア軍が早ければ2022年はじめにもウクライナに軍事攻撃をしかける可能性が高いという。米国とEUは、ロシアがウクライナに侵攻すれば「前例のない強力な制裁を科す」と警告している。

しかし、ロシアが10万人規模の大部隊をウクライナ国境付近に集結させたからといって、それでいったい何ができるというのだろう。ウクライナの国土は、西ヨーロッパで最大のフランスよりもずっと広いし、またそこには4000万以上の人々が住んでいる(クリミアを除く)。10万人程度の部隊で制圧できるような小国ではそもそもない。

それにロシアには、いまさらウクライナに侵攻しなければならい理由などないはずだ。東部ウクライナにおけるキエフ政権軍と親ロシア派武装勢力の戦闘は、14年の秋以来、7年間にわたって行われ、現在も続いている。この間、ドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)の一部は親ロシア派によって実効支配されている。

驚くべきことに、ドンバスのロシア・ウクライナ国境は開いたままで、人や物、資金は自由に往来できる。15年2月にフランス、ドイツ、ロシア、ウクライナで「ミンスク合意」が署名された。それに従えば、まずウクライナ憲法を改正して親ロシア派支配地域に自治権を与える、次に首長選挙を実施する、そして最後に国境の管理権をウクライナ政府へ引き渡す(つまり国境を閉鎖する)という手順になる。

言いかえると、親ロシア派は潜在的にロシア軍とつながり、背後に「無限の補給路」を擁している。ロシアにとっては、戦わずとも、すでに勝敗は決している。

おまけにウクライナの政治は迷走し、若いゼレンスキー政権のもとでオリガルヒ(新興財閥)の支配が戻り、行政の腐敗や汚職もなくならず、EUにとっても厄介なお荷物になっているのが実情だ。経済の再建もおぼつかず、相変わらずIMF(国際通貨基金)に頼っている。ロシアが大きな犠牲を払ってまでも軍事進攻する意味はない。

国境の森に落ちるロシアの影

ヨーロッパ平原の中央、ポーランドとベラルーシの国境地帯には、「欧州最古の原生林」といわれるビャウォヴィエジャの森が広がる。

2021年秋、この深い森を行くクルド人やシリア人、アフリカやアフガニスタンから渡ってきた移民たちが後を絶たなかったという。彼らは皆、旅行会社の手配で観光ビザを取得して空路ベラルーシへ入り、ミンスクから西のポーランド国境をめざした。詳しくはフリージャーナリストの村山祐介氏の現地レポート(※1)に譲るとして、事態の背後にロシアの協力があるとみる向きは少なくない。

そもそも、彼らが合法的に入国したのだとしても、ベラルーシ当局はなぜ簡単にビザを発給するようになったのか?そして、なぜその時期に、イスタンブールに仲介業者がタイミングよく現れて、ベラルーシのツアー広告がネット上をにぎわすことになったのか。村山氏も言うように、これらのすべてが自然発生したとは考えにくい。なんらかの政治的な意図があるとみるのが普通だろう。

15年に未曽有の数の難民が、中東やアフリカから地中海やエーゲ海をボートで渡って欧州を目指した。その受け入れをめぐってEUが割れた出来事は、いまだ記憶に新しい。ブレグジット(英国のEU離脱)の引き金となったのもそれだった。EUにとって、難民への対応は自らの一体性を問われかねないデリケートな問題だ。クレムリンはそこを突いて分断を狙う。

ちなみに現在は、ミンスク行きの航空機にチェックが入って流入ルートも限られているようだし、ベラルーシ側もポーランド国境で押し戻されて帰国を希望する移民の送還に乗り出すなどして、事態は小康状態にあるとも伝えられる。

20年夏の大統領選挙後に国民が大規模な抗議デモを行った際、ロシアはベラルーシが“第二のウクライナ”になる事態を恐れた。プーチン大統領はルカシェンコ支持を表明し、ベラルーシに金融支援をおこなって救済した。この冬、ウクライナはロシア産ガスを欧州経由で百万BTU(英熱量単位)あたり34ドルで購入している。かたやロシア国営ガスプロムはベラルーシに対し、国内向けとほぼ同じ3~4ドルで供給している。クレムリンは、ベラルーシを再びロシアへ統合したいと考えている。

ロシアの領土が内包する特殊性

近代になり、英国やオランダなどの国々が、海をわたって植民地を増やしていったのに対し、ロマノフ朝のロシアは陸続きの領域で領土を広げた。前者にとり、その後にはじまる植民地の独立は、本国自身の安全保障上の直接的な脅威になることはなかった。

しかし、ロシアの場合は違った。ロシア本国と植民地が、はじめから陸つづきで、境界そのものが定め難く、むしろロシア領域が民族や文化の境を越えて一体的に広がった。拡大した境域の長い外縁は、新たに獲得した領土を守るための緩衝地帯でもあった。

ロシアの領土の特殊性はひとえにこの点にあり、現在のロシアとその隣接国が宿すこの地政学的な特殊性を抜きにして、ソ連崩壊後のユーラシアに生じた(あるいは、この先の未来に生じ得る)さまざまな出来事の意味を理解することはできないだろう。

「ロシア軍は近い将来、大規模な地域紛争が起こり得ること、それが世界規模の戦争につながる恐れもあると想定している。この春、ウクライナ国境へロシア軍が終結したが、それは軍を大規模、かつ速やかに展開できることを西側に示すこと、軍のいわば『筋肉』を見せることがねらいで、通常兵器を使った抑止策の一つとして行われた」。2021年9月、ZOOMでのインタビューで、ノーヴァヤ・ガゼータ紙のP. フェリゲンガウェル軍事評論員はこう語った。

ウクライナ領内には現在、米英両軍による「訓練センター」や「演習場」が9カ所ある。西部のリヴォフ近郊には数百人の米軍教官が駐在してもいる。他方、ロシアは21年9月にベラルーシと合同軍事演習を行ったが、ロシアは演習終了後も戦闘部隊の一部を残留させている。「共同訓練センター」が設置され、空軍の部隊と戦闘機が領空パトロールをしている。

ウクライナの人々にとり、欧州への統合はこれからも遠い道であり続けるに違いない。そしてEUの国々は、境域の森の向こうにクレムリンの影を見続けることだろう。いま必要なのは、大国同士が対立と分断の溝を深めるのではなく、対話と共存の道を絶えず探ること以外にない。なぜなら、ソ連崩壊後のゴールはまだ見えていないのだから。

(2021年12月25日 記)

バナー写真:ベラルーシ西部ブルズギで、難民らを前に演説するルカシェンコ大統領=2021年11月26日(タス=共同)

(※1) ^ 朝日新聞GLOBE、2021年12月17日

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