ロコ・ソラーレ:常呂町カーリングの父の遺志を胸に挑む2度目の大舞台【北京五輪を彩る主役たち】

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平昌五輪では3位と、日本カーリング界として史上初のメダル獲得を果たしたロコ・ソラーレ。一大旋風を巻き起こしたチーム誕生の背景には、ある人物の情熱があった。カーリングの聖地・常呂(ところ)町の歴史と誇りを胸に、彼女たちは「世界一」だけを見据えて北京の氷上に立つ。 

「カーリングの聖地」が輩出した国内最強のチーム

2021年12月の世界最終予選で2位となり、北京大会の出場権を獲得したカーリング女子日本代表のロコ・ソラーレ。北海道北見市常呂町を拠点として活動する同チームのメンバーを見ると、興味深いことに気づく。20年に加入した石崎琴美(旭川市出身)を除き、全員が北見市出身であることだ。しかもサードの吉田知那美とリードの夕梨花の姉妹、セカンドの鈴木夕湖(ゆうみ)の3人は、小学生時代から北見市常呂町の同じチームでプレーしていた仲間である。

この常呂町は「カーリングの聖地」と呼ばれる町である。2006年に周辺3市町との合併により北見市の一部となったが、町内には数十のチームが活動し、これまでに数多くの五輪代表選手を輩出するなどして日本カーリング界を支えてきた。

オホーツク海に面する地形を生かした、ホタテ養殖をはじめとする漁業と農業を主な産業とし、現在の人口は5000人に満たない小さな町が聖地となった背景には、一人の人物の情熱があった。

その人物とは、常呂カーリング協会初代会長の小栗祐治氏(故人)。1980年、初めてカーリングという競技に触れた小栗氏はその面白さに虜(とりこ)になると、「カーリングを広めたい」と一念発起。郷里である常呂町に野外リンクをつくり、町内大会を開催した。それをきっかけに一緒にプレーする仲間を誘い、普及を図った。

カーリングの魅力に町民たちは「はまった」。やがて世代を問わず多くのチームが生まれ、リーグ戦が催され、身近なスポーツとなっていった。

常呂町から世界へ

小栗氏の情熱はとどまることを知らなかった。

「この小さな町からオリンピックに出る選手を育てたい」

その一心で子供たちを積極的に勧誘し、自ら教えた。基礎体力作りをはじめ、その指導は厳しかったが優しさもあった。子供たちからは「小栗のおじさん」と親しまれた。

その中に吉田姉妹や鈴木がいて、ロコ・ソラーレの創設者であり平昌五輪のメンバー、本橋麻里がいた。

チームの恩人にして常呂町のカーリングの父ともいえる小栗氏は、平昌五輪の開幕を待たず、2017年5月に88歳で亡くなった。平昌で銅メダルを獲得したあと、本橋は感謝を捧げている。

「小栗さんがいなければ、私はカーリングをしていませんでした」

本橋は平昌五輪ののち氷上を離れ、社団法人化したチームの代表理事を務めながら、小栗氏の遺志を継ぐかのように、若い選手の育成や普及に力を注いでいる。

すでに「小栗のおじさん」の夢を叶えたロコ・ソラーレが北京で狙うのは、平昌とは違う色のメダルだ。オホーツクの小さな町が生んだ国内最強チームは、世界一を懸けて再び氷上の熱戦に挑む。

バナー写真:カーリング北京五輪最終予選、プレーオフで韓国を相手に戦ったロコ・ソラーレ。左から吉田夕梨花、藤澤五月、鈴木夕湖(2021年12月17日、オランダ・レーワルデン)時事

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