羽生結弦:前人未到の4回転アクセルに挑み、3度目の五輪金メダルを狙う“永遠の挑戦者”【北京五輪アスリートの肖像】

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五輪2連覇を果たすなど、男子フィギュアスケートの絶対的王者として君臨してきた羽生結弦(はにゅう・ゆづる)。北京を目指す過程ではけがの回復が懸念されたが、昨年12月の全日本選手権で鮮やかな優勝を遂げ、王者健在をアピールした。3度目の五輪では最高難度の4回転アクセルに挑み、3度目の金メダルを目指す。

氷上の王者の華麗なる足跡

まさに世界のフィギュアスケート界をリードしてきた。リーダーとして氷上に立ち、スーパースターと呼ぶにふさわしい活躍も見せてきた。

いま、3度目のオリンピックを迎えた羽生結弦は、五輪チャンピオンでありつつも「挑戦者」として北京大会に挑む。

挑戦の理由を語る前に、あらためてその足跡をたどってみたい。

羽生は2010-2011シーズン、高校1年生でジュニアのカテゴリーからシニアに上がると、四大陸選手権で2位になるなど瞬く間に頭角を現した。成績もさることながら、4回転トウループを成功させトリプルアクセルも得意とするジャンプ力、男子では珍しい「イナバウアー」を交えるなど人を惹きつける演技力を備えていたことから、将来を嘱望される存在となった。

翌シーズン、早くもグランプリシリーズの一つ、ロシア大会で優勝するなどし、世界選手権代表に初めて選出された。大会では堂々の3位表彰台に上がる。しかもフリーの技術点では、同選手権出場選手中トップの得点を挙げた。

初出場の世界選手権で銅メダルを獲得した羽生の演技。この時17歳(2012年3月31日、フランス・ニース)共同
初出場の世界選手権で銅メダルを獲得した羽生の演技。この時17歳(2012年3月31日、フランス・ニース)共同

その原動力となったのは、「もっとうまくなりたい、すべての面が武器だと言われるスケーターになりたい」という志だった。

むろん、他の選手も同じように考えるに違いない。ただ羽生が異なっていたのは、その思いの強さだった。少年期を指導していた都築章一郎コーチは、彼が教える生徒の中でもできるまでやろうとする姿勢が飛び抜けていたと振り返る。

シニアに上がってからは先輩たちを手本に学び、追いつき追い越そうと努めた。強烈な負けず嫌いで、なにより自分に負けるのが許せなかった。先述の世界選手権銅メダルのときはショートプログラムで負傷し、一時はフリーの棄権を検討するほどだった。でもそれでは代表としての責任を果たせなくなるという責任感と、欠場は自分に敗れることになるという思いから出場を決意しての表彰台であった。

奇跡の五輪連覇

その後も数々の国際大会で好成績をおさめ、世界のトップを争うスケーターとなった羽生の最初のオリンピックが2014年のソチ大会であった。団体戦ショートプログラムの1位を経て出場した個人戦では、ショートプログラムで史上初の100点超えで1位。フリーでもジャンプの転倒などがあったものの1位。ライバルを寄せ付けない強さで、見事、金メダルを獲得した。

18年の平昌五輪では五輪連覇を果たしたが、大会までの経緯を考えれば、劇的な金メダルだった。

このシーズンの11月、羽生はNHK杯の公式練習中に転倒し、右足首を負傷。その後の大会はすべて欠場を余儀なくされるほど深刻なけがだった。13年から4連覇していたグランプリファイナル進出もかなわず、平昌五輪が復帰戦とならざるを得なかった。

しかし大会本番では、他を圧倒する演技を見せて金メダルを獲得。試合を終えて羽生が明かしたのは、まだけがが完治せず、本来の練習ができない中で大会を迎えたという事実だった。いくら第一人者とはいえ、奇跡的としか言いようのない連覇であった。

平昌五輪ではけがが完治しない中、ぶっつけ本番とも言える演技で金メダルを獲得した(2018年2月17日、韓国・江陵)AFP=時事
平昌五輪ではけがが完治しない中、ぶっつけ本番とも言える演技で金メダルを獲得した(2018年2月17日、韓国・江陵)AFP=時事

足早に足跡をたどったが、トップスケーターとしての地位を築き、圧倒的な存在感をもたらしているのは、これらの輝かしい成績だけが理由ではない。

2016-2017シーズン、羽生は国際スケート連盟公認大会では史上初めて4回転ループを成功させた。2017-2018シーズンには、過去にブランドン・ムロズが1度成功させたきりという4回転ルッツでも成功をおさめた。

そこにうかがえるのは、今いるところに安住することなく、常に成長を志す姿勢だ。フィギュアスケートの新たな可能性を見い出そうとする姿こそが、称賛を浴びてきたのである。

絶対王者が4回転アクセルに挑む理由

3度目の北京五輪にもまた、これまでのように挑戦者として挑む。平昌五輪後目指してきた4回転アクセルに挑むからだ。これまで一人として成功したことのない、最高難度のジャンプを成功させることこそ、平昌五輪後の羽生の最大のモチベーションであった。

むろん、誰もが困難だと認めるジャンプを成功させるのは生易しいことではない。羽生自身、練習に取り組みつつ、試合で披露するまでには時間を要した。だが、ついにプログラムの中に組み入れて挑んだ2021年12月末の全日本選手権で見せたそれは、成功の可能性を十分感じさせるレベルに達していた。

本大会で挑むリスクは高い。失敗すれば大きく減点され、金メダル争いから脱落する可能性をはらむ。それでも、挑戦をやめるつもりはない。その挑戦は、平昌五輪で連覇を果たしたあとの競技生活を送る上で、まさに原動力であったからだ。

昨年12月の日本選手権で4回転アクセルに挑み、着氷する羽生。回転不足で技は認定されなかった(2021年12月26日、さいたまスーパーアリーナ)共同
昨年12月の日本選手権で4回転アクセルに挑み、着氷する羽生。回転不足で技は認定されなかった(2021年12月26日、さいたまスーパーアリーナ)共同

羽生はその挑戦を自分自身だけの夢とは捉えていない。

「みんなの夢だから、みなさんが僕にかけてくれている夢だから、みなさんのためにも、かなえてあげたいなって思いました」

4回転アクセル挑戦を断念することなく、取り組む理由を尋ねられ、羽生はこう答えている。トップスケーターであるという自覚ゆえに、寄せられる期待の大きさも理解しているし、それに対する責任感も抱いている。だから、成功を信じ、北京で挑戦する。

勝負という意味においては、これまでの大会以上の難敵がいる。ネイサン・チェン(アメリカ)だ。平昌五輪にも出場していたが、オリンピックならではの重圧に苦しみ、ショートプログラム17位と大きく出遅れる。しかしフリーで巻き返して総合5位と力を示した。その後は上昇気流に乗り、平昌五輪の翌月に行なわれた世界選手権(羽生は欠場)で優勝したのを皮切りに、出場する国内外すべての大会で勝ち続けた。

昨年10月、グランプリシリーズ初戦のスケートアメリカで3位に終わって連勝はストップしたが、続くスケートカナダでは2位以下を大きく引き離して優勝。今年1月の全米選手権でも、ミスする場面もあったが他を圧倒して優勝している。フリーの演技に4回転ジャンプが計5本入ることが象徴するように、チェンもまた世界屈指のジャンパーである。拮抗(きっこう)した勝負が予想される。

羽生自身は今季もけがに苦しんだが、昨年12月の日本選手権ではさすが王者とうならせる圧巻の演技で健在をアピールした。北京でフィギュアスケート界と自身の夢をかなえ、3度目の王者となれるか。羽生の挑戦がスタートする。

バナー写真:昨年12月の全日本フィギュア選手権で優勝した羽生。けがからの回復が心配される中、圧巻の演技を披露した(2021年12月26日、さいたまスーパーアリーナ)共同

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