60歳以上マラソン世界記録保持者 弓削田眞理子さん: 進化を続ける驚異の肉体

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マスターズ陸上(別名ベテラン陸上競技。5歳刻みで競技クラスが設定されている)女子60~64歳の世界記録を持つ弓削田(ゆげた)眞理子さんは、還暦を過ぎても今なお自己記録を更新し続けている。その驚異の肉体の秘密に迫る。

弓削田 眞理子 YUGETA Mariko

埼玉県立高校教諭。世界マスターズ女子60〜64歳の部フルマラソンと1万メートルの世界記録保持者。1958年埼玉県、埼玉県飯能市生まれ。中学時代に陸上部に所属し短距離と走幅跳に取り組み、高校時代には800mでインターハイ、埼玉大学では1500mでインカレと日本選手権に出場。24歳でマラソンをはじめ、同年出場した東京国際女子マラソンで3時間9分21秒を記録。2019年11月、下関海響マラソンで2時間59分15秒と女子60歳以上で初のサブスリーと世界記録を達成。21年の大阪国際女子マラソンでは2時間52分13秒と世界記録を更新した。

結婚、育児で一時中断されたサブスリーの夢

市民ランナーにとって、大きな勲章となっている「サブスリー」。フルマラソンで3時間を切ることを意味する。RUNNETが発表した「全日本マラソンランキング」(2018年4月~ 2019年3月に開催された日本陸連公認コースを使用する対象大会の完走記録データを集計)によれば、サブスリーの達成者は、マラソン大会に出場し完走したランナーのうち、男性で約3.1%、女性ではわずか0.4%しかいない。

このサブスリーを60代で達成した女性ランナーとなると、世界でもただ一人。それが埼玉県在住の弓削田眞理子さんだ。

61歳で2時間59分15秒とマスターズ陸上女子60~64歳の世界新記録を打ち立てた彼女は、62歳になった2021年1月、大阪国際女子マラソンで2時間52分13秒と大幅に記録を伸ばす。還暦を過ぎてなお、記録を伸ばし続ける弓削田さん。その衰え知らずのエネルギーは、いったいどこから生まれるのか――。

幼い頃から走ることが大好きだった弓削田さんは高校時代、800メートルでインターハイに出場した健脚の持ち主。その後、長距離の魅力に取りつかれ、24歳でフルマラソンに初挑戦する。タイムは3時間9分21秒。この時多くのランナーがそうであるように、彼女もサブスリーを夢見るようになった。

だが、サブスリー達成への道のりは長く険しかった。結婚、出産、子育てによって、本格的なトレーニングができなくなったからだ。

「初マラソンを走った翌年に25歳で結婚して、1年後に長女を出産。私には4人の子がいますが、末っ子を生んだ時には37歳になっていました。ただ、この間も身体は動かしていたんです。もともと高校で教師をしていて、陸上部を指導していたので、部活で生徒と一緒に走ったり、腕立てや腹筋をやったり。なんとしてもサブスリーを達成したい。そのためには最低限、身体を動かしておかなければと思って」

本格的にレースに復帰したのは、40代直前になってから。

51歳で迎えた2009年名古屋国際女子マラソンでは、3時間5分台を記録。さらに末っ子の高校進学を機に東京の陸上専門クラブでトレーニングを始めると、タイムはさらに伸びて3時間1分台に。そして58歳でついに憧れのサブスリーに到達する。

「この時、“58歳のサブスリーって世界記録じゃないですか?”と教え子が言ってくれて、調べてみたら60代で達成した女性はいなかった。この記録をもう2年維持したら世界記録になるんだ! それが大きなモチベーションになったんです」

弓削田眞理子さんは月刊「ランナーズ」誌で「弓削田眞理子に叱られたい」という連載を持つほど、市民ランナーたちの認知度と人気が高い
弓削田眞理子さんは月刊「ランナーズ」誌で「弓削田眞理子に叱られたい」という連載を持つほど、市民ランナーたちの認知度と人気が高い

月平均の走行距離は600~700キロ

東京、大阪、名古屋の国内3大女子マラソンはもちろん、全国各地のローカルレースにも数多く参戦。すでに100以上のフルマラソン完走歴を誇る彼女の日常は、走るためにあるといっても過言ではない。

2021年4月、東京板橋トライアルマラソンに出場した弓削田眞理子さん(中央)。トライアルマラソン事務局提供
2021年4月、東京板橋トライアルマラソンに出場した弓削田眞理子さん(中央)。トライアルマラソン事務局提供

今も週3日、母校の川越女子高校で保健体育を教えながら、月に600~700キロ、多い時には800キロも走るという。

「授業がある平日の3日は放課後、陸上部に参加して生徒たちと一緒に走りますが、それでも部活で走るのは15キロくらい。フルマラソンを走るには距離を走らないといけないので、部活が終わると一人グラウンドを走って一日25キロは走ります。授業がない残りの4日は近くの山を走って、夕方には部活に合流。30キロを超える日もありますね」

ちなみに走らない日はないのか? と尋ねると、間髪入れず、こう答えた。

「ないです。雨が降っても雪が降っても、もちろん走りますよ。だって雨や雪でマラソンが中止になることはないじゃないですか。走らなかったのは、大型台風が直撃した時くらい。その日もいつものように走りに行こうとしたら、さすがに家族に止められちゃって」

ただ距離を走るだけではない。睡眠や食事にも、もちろん気を使っている。

「なによりも大事なことは規則正しい生活。ですから睡眠は、絶対に8時間はとります。食事ではタンパク質を取るために、鶏肉にマグロの刺身、納豆、卵、牛乳をたくさん食べ、飲み、もちろん野菜もたっぷり。学校の授業がない日は、ご近所さんからもらった野菜をたくさん入れて、けんちん汁をつくります。お酒? 若い頃はお酒が大好きでビールをガンガン飲んでいたけど、妊娠するたびにやめなければいけない。じゃあ、いっそのことやめちゃえと思って、末っ子を妊娠した時からぴたりとやめましたね」

たくさん走って、ぐっすり寝て、しっかり食べる。それが還暦サブスリーの秘訣だ。

「神様は超えられない壁は与えない」

加齢をまったく感じないわけではない。50代半ばを過ぎた頃から、徐々に身体のあちこちが悲鳴を上げ始めた。坐骨神経痛にアキレス腱の炎症、さらには足底筋膜炎に。加えて食も細くなってきたという。

だが、身体が悲鳴を上げても、彼女が弱音を吐くことはない。

「この年齢になったら故障やけがはつきもの。だけど強くなろうと思ったら、そういうのを乗り越えるしかないでしょ。だから、接骨院に通ったり、漢方薬を試したりして、絶対に治そうとする。私は、神様は超えられない壁は与えないと思っているから」

こうした一途な言葉を聞いていると、修行僧のようなストイックなアスリートのように思えるかもしれない。

ところが、目の前でしゃべっている弓削田さんは、とにかく楽しそうで、走ることの楽しさが全身からあふれ出している。失礼を承知で「毎日走って飽きないですか?」と尋ねると、「それが飽きないのよ」と言って、うれしそうにしゃべり出した。

「走ることはもう生活の一部だから、なにが楽しいのかは分からない。でも、動いてないといやなのよ。年始は箱根駅伝を見て、学生のみんなから熱い気持ちをもらって、“ヨッシャー! 走るぞ!”って。ウチの地元には箱根駅伝の出場校がいくつもあって、箱根を目指す学生さんが走っている。そんな彼らから刺激をもらい、職場である高校に行けば、そこでもエネルギーをたくさんもらう。こんなに幸せなことはないんだから」

「死ぬまで走りを極めたい」

還暦サブスリーをクリアした、いまの目標は2時間50分切り。だが記録よりも、もっと大きな夢がある。死ぬまで元気に走り続けるということだ。

「マラソンに人生のすべてを注ぎ込んで、あの世に行く時には子どもたちに “母さんは人生を全うした”と言うんだ。とにかく、死ぬまで走りを極めたいんです。悲しいかな、加齢で歯が弱くなったり、耳が遠くなったりしているけど、でもまだどこかに伸びしろがあると信じていてね、今まで嫌いだった体幹トレーニングも始めたんだから」

走ることの幸せを全身で味わい、応援してくれる仲間たちに感謝しながら、弓削田さんは前人未到の荒野を走り続ける。

バナー写真:山本雷太撮影

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