日本に帰れない台湾の僕
暮らし- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
これは僕だけじゃなくて、おそらく多くの台湾に在住してる日本人が思ってることだと思う。
「いつになったら日本に帰れるのか」。いや、すでに「日本を拝めるのか」というレベルに達しているかもしれない。そんな僕らの思いは、台湾人ばかりか、日本にいる同胞だって知らないだろう。
これまでの人生で味わったことのない不透明な先行き、そして把握できなくなった時間軸。そんな中で、今がどうなっているのかよくわからない。何でもいいから、誰か何とかしてくれという気分である。
気がつけばそろそろ2年。この間、僕は日本に帰っていない。規定では日本人の僕が日本に帰国するといえば、日本政府もダメだとは言わない。それでも帰る気にならないのは隔離である。
現状では、日本で2週間、台湾に戻ってからさらに2週間、合わせて1カ月の隔離。これが避けては通れない。日本での隔離については、どこまで厳しく管理されるのか不明だが、それ以前に、台湾に戻ってからの2週間を考えただけでも帰国を断念するのに十分だ。
隔離を経験した友人の話では、隔離期間中の2週間はとにかくやることがない。時間だけが十分にあって、ひたすら本とネットで過ごす毎日。運動不足にならないように、部屋の中を動き回る。お酒は帰国時に持ち込んだものを飲むことはできるが、注文して取り寄せることはできない。こんなふうにして時間が過ぎるのをじっと待ち続けるのだそうだ。
当局による、その間の管理もたいへん徹底しているらしい。ハイテクと人的パワーの両方を使って、隔離者が勝手に出歩かないよう毎日チェックが入る。これがあまりに完璧なので、あれこれ穴を探して抜け出そうなんて考えるのはやめた方がいいという。成功する見込みは薄いし、捕まって違反とみなされた場合のペナルティーは重い。
確かに隔離は行動の自由という面で制限を受ける。ところが、先の友人はこういいながら笑った。
「木下さんなら楽勝。もしかしたら天国かも」
実はこれ、聞いていて、僕自身もひそかに思ったことだった。隔離の期間中はホテルの一室という独立した空間が与えられ、本とネット三昧。スタッフが3食ちゃんと届けてくれる。これ以上ないほど快適じゃないか。外に一歩も出られないのが苦痛だといっても、たかが2週間。よくよく考えれば去年の緊急警戒レベル3のときだって似たようなものだった。友人の言葉には僕のそんな思いを見透かされたようなところがあって、どこか恥ずかしい。
ただ、それはあくまで行動に関するもので、隔離による負担はそればかりではない。ホテル代は1泊3000元も4000元もする。これが15泊分(台湾での隔離の計算は14泊ではなく15泊になる)。ざっと計算して日本円で20万円ほど。これを自腹で払わなきゃいけない。しかも、この間は外での仕事はできない。これも入るべき収入が入らないから、損失と言えば損失だ。
人によって気になるところはそれぞれだろうが、時間にしても費用にしても負担は小さくない。それを考えると隔離してまで帰国しようという気は失せていく。多くの知り合いがこの2年間、帰国せずにいる理由はやはりここだと思う。
台湾は日々異常なし
台湾にいても日本のニュースは入ってくる。東京で何人感染者が出たとか、うちの実家のような田舎でも何十人規模で感染したとか、瞬時に知ることができる。ところが目の前を見ると、どうしてもそんな光景は想像できない。
去年、緊急警戒レベル3が解除されてから、最近でこそ数人の感染者が出る日もあるが、台湾ではほぼゼロコロナの日が続いている。生活も普通に回っていると言っていい。外出時のマスクは必須だが、これはすでに体の一部となっている。店に入る前のQRコードのスキャンも呼び鈴を押すのとさほど変わらぬ感覚だ。人々の防疫意識が高いおかげか、こうしためんどくさい対策も今ではすっかり日常に根付いている。これが台湾の現状。ニュースで見た日本と比べて、何だか同じ地球上とは思えないほど平和な世界だ。
僕に限らず、台湾に住む日本人は多かれ少なかれこの現状を享受する一方で、同時に帰国できないという、もうひとつの現状を受け入れているのだと思う。快適なのか不自由なのかよく分からない。この不思議な状態が日々続いている。
もし、隔離政策が解除されて、コロナ前のように明日にでも飛行機に乗り込んで帰国できるとしたら……。そんなことを考えることもある。
やりたいことはいろいろある。何も特別なことじゃなく、本屋をぶらついたり、焼きそばを食べたり、ぼけっとテレビを見たり。そうやって無駄な時間を過ごしながら自分の中に欠乏している「日本」を補充したいというのが素直な気持ちだ。
ただ、いつになったらそんな日が来るのだろう。早ければ今年かもしれない。でも、過度の期待はやめよう。期待してもどうにもならなかった時間をすでに2年も過ごしてるのだ。
薄れゆく日本
元旦、春節と続いた1月と2月。通常なら休暇を利用して帰国するはずの在台日本人で、今年はそれを見合わせた人も多かったと思う。
僕自身もコロナの前は30年以上にわたって、毎年元旦に帰国していた。ここからが1年のスタートで、いろいろなことがリセットされる。長年の習慣から体がそんなふうに認識していた。ところが、この2年はリズムが狂った。去年はまだ意識の中に、「今年は特殊事情のため帰れないんだ」という自分を納得させる理由もあったが、2年目の今年はそれさえも感じない。特殊事情もいつの間にか日常に変わってしまったような違和感だけが残る。
「日本って今、正月なの?」。今年の元旦、日本の家族とLINEで交流した際に受けた印象だ。日本の正月の雰囲気。たとえばお餅を食べたり、初詣に出かけたりといったことが一切実感できなかった。
自分の中で日本のことがぼんやり薄れていく。いや、薄れていくというよりは、気がついた時には思い出せなくなっているという感じだ。この不思議な感覚はどう説明したらいいのか分からない。
そういえば、ひと月ほど前、我が家の味噌(みそ)がなくなった。2年前の正月、日本で買って来たものだ。味噌にはこだわりがあって、毎年帰国の際に決まった蔵元のものを運んでくる。2年前は来るべきコロナ禍を予測したかのように、何故かいつもの倍の量を持って来た。しかし、それもついに底をついた。
ふと、しばらく帰国してないことに気づく。そして、すぐには帰れないことを実感する。僕と同じような在台日本人は多いと思う。
正常に戻った日には
今はまだなかなか実感が難しいが、近い将来コロナが完全に収束して、隔離なしで日本に帰国できるようになったら、何を思うだろうか。
とりあえず一度は日本に帰りたい。僕に限らず、在台日本人ならだれもがいちばんにそう思うんじゃないだろうか。日本人だけじゃない。台湾には日本旅行が生きがいとさえ思っているコアな台湾人旅行者が大量に存在する。彼らもこの日を「待ってました」と言わんばかりにこぞって旅行を計画することだろう。そのとき飛行機の切符は取れるんだろうか。たとえうまく取れたとしても、信じられないような高額チケットになるんだろうな、などと推測する。
それでも、そんな日が一日も早く来てくれることを期待せずにはいられない。世界が動き出す。みんなの心にかかった制限の鍵が外れて、大きなエネルギーがうねりとなって現れる。忘れかけた日本の風景が鮮明によみがえる。
その中で僕は日本に帰る。帰って味噌を買って来ようと思う。
バナー写真=コロナ禍の成田空港内の国際線出国ターミナル(PIXTA)