市民が町の古い写真の謎を解く展示会「どこコレ?」:誕生の裏には震災の経験も
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およそ700メートルにわたってケヤキ並木が続く、「杜の都・仙台」を象徴するような定禅寺通。その通り沿い、JR仙台駅から徒歩20分ほどの場所にある「せんだいメディアテーク」は、図書館やギャラリー、カフェなどが入る公共施設だ。哲学者で、元大阪大学総長の鷲田清一さんが館長を務めていることでも知られる。

仙台市のメインストリートである定禅寺通のケヤキ並木沿いにある「せんだいメディアテーク」(写真:PIXTA)
ゲーム感覚で楽しめる
ここで毎年開かれている、地元に根差した人気の展示会があるのをご存じだろうか。

せんだいメディアテークで毎年開催される「どこコレ?」。コロナ前は大勢の来場者でにぎわった(写真提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
「奥に見えるのが仙台駅」
「ここに中華料理屋があって、よく食べに行ったのよ」
「あ、私が写っている!」
こんな会話が展示写真を見る人たちの間で交わされるイベントは、その名も「どこコレ?」。仙台市内の町並みなどの古い写真を展示し、撮影された具体的な場所や年代を来場者が解き明かしていく、ゲーム感覚で楽しめる催し物だ。
主催するのは、仙台市の過去の写真や映像の収集・保存を行うNPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク。2013年7月にスタートし、19年度は延べ1万人を超える参加があった。これまでに写真429枚が展示され、うち268枚の場所や年代が特定された。
今では仙台以外の地域にも広がりを見せていて、北海道小樽市、東京・新宿区、長野市、高松市、熊本市など各地で開かれている。
「市民から写真を集めることだけでなく、市井の人々の記憶を吸い上げるという点に、多くの地域の図書館が注目してくれています」と、このイベントの発起人で、20世紀アーカイブ仙台副理事長の佐藤正実さん(58)は喜ぶ。
なぜこんな取り組みを始めたのだろうか。発端は15年ほど前にさかのぼる。
長く残るものを
佐藤さんは勤めていた仙台の印刷会社から独立し、2005年にフリーペーパーを発行する「風の時編集部」を仲間たちと立ち上げる。紙メディアの価値を信じ、とりわけ一覧性と保存性はどの媒体よりも長けていると佐藤さんは感じていた。しかし、実際にはフリーペーパーを配布しても多くはすぐに捨てられてしまう状況に、長く残るものをつくりたいとやがて願うようになる。
では、どんなものならば手元に置いておきたいと思われるのか。佐藤さんは考えた末、紀行文や昔の仙台の写真を掲載する雑誌を出版するアイデアに行き着く。その素材となる写真を募集し始めると、すぐに“鉱脈”を掘り当てた。それまで一切公表していなかった写真のネガフィルムを箱ごと送ってくれた市民がいたのだ。現像すると面白い写真が山ほど出てきた。ただし、提供した本人もいつどこで撮ったのか覚えていないものが多かった。
時を同じくして、佐藤さんは古い8ミリフィルムを集めてデジタルアーカイブしている映像制作会社や、昭和30年代のコマーシャルソングなどの音源を持つ会社を知る。音と映像、写真を一緒にアーカイブしていけば大きな価値が生まれると意気投合し、2008年には仙台市歴史民俗資料館で昔の仙台の様子を伝えるイベントを開催。それをきっかけに翌年6月に20世紀アーカイブ仙台を設立した。
NPOとして活動を続けていく中で、5つの資料がそろうと、町の時代ごとの“解像度”がより鮮明になることが分かってきた。それは、ある時期の町の写真、そこからの変化を追える定点写真、地図、当時を知る人の体験談、そして年表である。「これらによって戦後の仙台の様子はだいたいつかめます」と佐藤さんは語る。
来場者が主催者に教えるイベント
市民から次々と写真が集まってくる一方で、撮影した場所や年代が分からないものも増えてきた。どれも貴重な写真であることは間違いないが、内容の情報が不足していれば、結局は過去を知るための資料として使えない。その課題を解決するために生まれたのが「どこコレ?」だ。
「当時のメディアテークの担当者と、収集した写真を何とかして資料化できないか話し合い、アイデアが生まれました。通常だと主催者が展示される写真について最も理解していますが、『どこコレ?』では展示物のことを主催者が一番知らない(笑)。だから『おしえてください昭和のセンダイ』というサブタイトルを入れて、来場者に話を聞きながら、写真の中身を特定しようと考えました」
2013年にスタートした「どこコレ?」は、すぐに反響を呼ぶ。来場者が写真について知っていることを付箋に次々と書き込んでいったり、見ず知らずの人同士がテーブルを囲んで話に盛り上がったりする様子が何度も見られた。昔の写真を通して地域住民の交流が進むことに加えて、近年は10〜20代の若者の参加もあり、世代を超えた交流にも一役買っているという。

若者の参加も増えている(写真提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
2020年はコロナ禍でオンライン開催せざるを得なかったが、それは副次的な効果をもたらした。例えば、現在は関東地方で暮らす仙台出身者の投稿が、写真の特定につながるケースがあった。そこで21年からは会場とオンラインのハイブリッドで実施している。
震災直後からの記録も続ける
「どこコレ?」誕生の裏には、東日本大震災の経験もあった。
「写真が持つ力の強さを、身をもって体感したのは震災後でしょうね」と佐藤さんは振り返る。
2011年3月11日に起きた東日本大震災で、仙台市は最大震度6強を記録し、沿岸部は津波に襲われる。900人以上が死亡し、約3万棟の建物が全壊するなどの被害を受けた。そのわずか10日後、佐藤さんは被災した仙台の状況を記録し、後世に役立てようと、SNS(交流サイト)で写真を募集する。
「戦後の仙台を調べるのに役立った5つの資料と同じような形で、震災の記録をまとめていけば、もしかしたら後世の人たちに役立つかもしれない。確信も何もありませんでしたが、やってみようと思いました」
ツイッター上で、「皆さんが今撮っている写真を提供してください。いずれ震災の記録としてまとめたいです。ペンネームでもいいので、このアドレスに送ってください」と佐藤さんは呼び掛けた。集まった写真の中から、地震や津波の被害そのものよりも、人々の生活ぶりが分かるものを意識して選別し、ウェブサイトに掲載していった。
「炊き出しや公園での水くみ、スーパーで3時間も4時間も並んでいる様子など、『非日常の中の日常』がたくさん集まってきました。これも震災の一面なのだと、写真を通じて改めて気付くことが多かったです」
写真はウェブサイトだけにとどまらず、書籍にもまとめた。また、震災直後に写真が寄せられた場所での定点撮影を仲間とともに続けており、仙台だけでなく宮城県全域で取り組んでいる。
長年こうしたアーカイブの活動を続けることで、自分たちが住んでいる町に関心を持つ人が増えていると、佐藤さんは手応えを感じる。
「町のことを調べたり、町歩きをしたりするのは、その地域が過去から脈々と受け継いでいるものを見つけ出すこと、いわば宝探しだと思っています。そのための道先案内、宝の地図が、写真や先輩方の体験談なのです」
これは仙台だけではなく、他の地域でも同じ価値があるものだ。だからこそ、「どこコレ?」は多くの人たちの共感を呼び、全国に波及しているのだろう。
バナー写真:「どこコレ?」で展示された1951(昭和26)年撮影の仙台市内の写真。米軍医だった故ジョージ・バトラー氏が写したもので、来場者が付箋に書き込んだ情報から撮影場所が判明した(写真提供:アラン・バトラー氏)


