「悪い円安」だけでは済まされない深刻な問題

経済・ビジネス 社会

円安の動きが急だ。燃料費の高騰も相まっての円安で物価が急上昇。メディアでは「悪い円安」と喧伝される。しかし、過去の円安とは全く次元が異なる、日本経済の構造的な問題を指摘するのは、経済評論家の加谷珪一氏。何が問題なのか、を解説する。

量的緩和策を手仕舞いできない日銀

日本円がかつてないペースで下落している。ドル円相場は、2021年の年初においては1ドル=104円台だったが、その後、一気に円安が進み、22年に入ってその勢いが加速。一時は1ドル=131円台を付けた。これは20年ぶりの円安水準であり、しかも近年、目にしたことのないスピードである。

円安が進んだ最大の理由は、日米の金融政策に隔たりが生じており、今後、両国の金利差が一気に拡大するとの予想が高まったからである。

リーマンショック以降、各国の中央銀行は国債を積極的に購入し、市場にマネーを供給する量的緩和策を実施してきた。日本を除く各国はそれなりの成果を上げ、米国の中央銀行に当たる連邦準備制度理事会(FRB)は量的緩和策を終了。22年3月から利上げを開始するなど、金融正常化に向けて動き始めた。

一方、日銀は依然として量的緩和策を継続中であり、少なくとも現時点において金融政策を変更する方針は示していない。というよりも、金融政策を変更するどころか、指し値オペ(一定以上の金利になった場合、無制限で国債を買い取って金利を抑制する措置)を実施するなど、いかなる手段を使ってでも緩和策を継続するという強い意志が感じられる。

米国は金融正常化に向けて金融引き締めモードに入っているにもかかわらず、日本は低金利を死守することでマネーの大量供給を続けている状態なので、当然、日本円は減価しやすくなる(つまり円の価値が下がり、円安が進みやすくなる)。困ったことに22年以降、全世界的にインフレ傾向が激しくなっており、これが円安に拍車を掛けている。

潮目が変わった円相場

コロナ危機からの景気回復期待を背景に、2021年後半から物価が上がり始めていたが、22年2月にロシアがウクライナに侵攻したことで、原油価格や食料価格がさらに跳ね上がった。米国世論はインフレに敏感であり、11月に行われる中間選挙を控え、バイデン政権は物価に対して神経質にならざるを得ない。ガソリン価格がさらに上がった場合、支持率に影響する可能性が高く、インフレ抑制はバイデン政権にとって最優先課題となりつつある。市場では金利の引き上げペースが早まる可能性も指摘される状況だ。そうなると、日米の金利差はさらに拡大し、それに伴って円はますます売られやすくなる。

もっとも、日米で金利差が生じることは過去にもあった出来事であり、そのたびに円が売られてきたわけではない。ではなぜ、今回に限って日米の金利差が激しい円安をもたらしているのだろうか。その理由は日本経済の基本構造が変わり、実需における円買いが減っているからである。

戦後の日本経済は基本的に輸出主導型の成長であり、日本経済の主役は常に輸出産業だった。海外に製品を売った企業が代金をドルで受け取った場合、日本国内の従業員に賃金を支払うため日本円への両替が必要となる。このため輸出が活発な時代は、輸出企業による円買いドル売り需要が常に存在していた。

だが、90年代以降、日本の製造業は高付加価値製品へのシフトを思うように進められず、韓国や台湾、中国など新興国と価格競争せざるを得ない状況に追い込まれた。その結果、コスト対策から生産設備の海外移転を急ピッチで進め、日本国内の空洞化が一気に進んだ。海外に設立した現地法人が受け取った外貨はそのまま保有され、日本国内には送金されないので、近年は輸出企業による実需の円買いが減っている。

家計圧迫要因なだけの円安

日本の輸出企業だけでなく、海外の投資家も円を買わなくなっている。中国に追い抜かれるまで日本は世界第2位の経済大国であり、ドルに次ぐ安全資産として円を保有したいと考える投資家は少なくなかった。このため、日本円に対しては、常に一定の買い需要が存在していたが、日本経済の地位低下とともに、こうした需要も減ってきた。実需面での円買いが消滅したところに、日米の金利差拡大という要因が重なったことで、今回は予想を超えるペースで円安が進んでいる。

つまり、今回の円安の背景には、輸出企業の競争力低下による日本経済の低迷という問題があり、構造的な要因が大きい。かつての日本社会では、円安は基本的に「歓迎すべきもの」という見方が大勢を占めており、円安誘導を求める声も大きかったが、今回はだいぶ様子が違っている。

日本を代表する企業の1つであるファーストリテイリングの柳井正社長は、「円安のメリットはまったくない」として、円安は望ましいものではないとする見解を示した。輸出が好調だった時代も、通貨が安くなれば輸入品の価格が上昇するため、生活者にとってはデメリットとなる。だが、円安による輸出企業の業績拡大は、それを上回る効果を日本経済にもたらしていた。

ところが、今の時代は日本企業の競争力低下によって円安のメリットが十分に発揮されないことに加え、食糧やエネルギーだけでなく、スマートフォンやパソコン、家電なども輸入するようになっている。日本経済全体にとって円安は、もはや家計を圧迫する要因にしかなっていないのが実状だ。

しかも国内消費は低迷が続いており、日本企業は輸入コストの増加を価格に転嫁することができない。21年10~12月期の国内総生産(GDP)統計を見ると、GDPデフレーター(物価の変動を表す物価指数で、名目GDPを実質GDPで割ったもの)が大幅なマイナスとなっている。企業が輸入価格の上昇を価格に転嫁できていれば、国内需要のデフレーターが上昇するので、全体のデフレーターは大きなマイナスにはならない。この結果は企業が物価上昇を製品価格に転嫁できなかったことを示唆している。

膨張する国債残高の利払い圧力

一般論として為替はその国のファンダメンタルズ(基礎的条件)に沿って動くので、一定程度まで通貨安が進むことで新しい均衡点に達し、それに合せて産業構造も変化していく。だが日本の場合、特殊な事情があり、適切な均衡点を見出しにくい状況にある。最大の理由は政府が過大な政府債務を抱えていることである。

ファーストリテイリングの柳井氏は先ほどの発言に続き、「これ以上、円安が続くと日本の財政に悪影響」と述べている。日本政府は約1千兆円の債務を抱えており、これは先進国の中では突出した水準である。現時点において日本はゼロ金利政策を継続していることから、政府の利払いはごくわずかな水準にとどまっているが、世界経済はインフレが急ピッチで進んでおり、日本もその影響から逃れることはできない。先ほど、日本企業は輸入物価の上昇を価格に転嫁しにくいと述べたが、それでも日本国内の物価はジワジワと上昇しており、近い将来、金利に上昇圧力が加わるのは確実である。仮に日本の物価が上がり、金利が現在(2022年4月)の米国並み(2.8%)に上昇した場合、理論上、日本政府の利払いは年間28兆円に達する。

日本政府が発行している国債の平均償還期間は約9年なので、28兆円になるまでには多少の時間的猶予がある。だが、日本政府の全ての税収を足し合わせても57兆円しかなく、金利が米国並みに上昇した場合、最終的には税収の半分が利払いに消える計算となる。

国のリーダーシップが課題

このため、日銀は安易に金利を引き上げることはできず、政府も金利上昇を望んでいない。そうなると日本の金融政策は緩和的な状況を継続せざるを得ず、これは円安をさらに加速させる作用をもたらす。

日本政府は約1100兆円の資産を保有しているので、1000兆円の借入れがすぐに信用不安をもたらすとは考えにくい。だが、保有する資産の中には、実質的に資産価値のないものが含まれており、市場で売却できる資産も多くはない。これ以上、政府債務が増えるのは望ましい状況ではなく、予算制約を新たな国債発行でカバーするという選択肢は取りづらい。

当然のことながら、そのしわ寄せは景気対策など裁量的経費に向かうので、消費がさらに冷え込む可能性がある。利払い費の増加によって企業収益も悪化する可能性が高く、住宅ローンにも逆風が吹くだろう。

財政状況や景気動向をにらみながら、全体のバランスが取れるよう、段階的に金利を引き上げていく以外に選択肢はないが、当然のことながら、利上げには多くの痛みが伴う。日本における最大の課題は、この現実を受け止め、状況を改善しようという強い意志が政治に感じられないことである。

バナー写真:1ドル=131円台に下落した円相場を示すモニター=2022年4月28日午後、東京都中央区(時事)

日本銀行 円安 テーパリング 黒田東彦日銀総裁 FRB 国債残高 金融量的緩和策