たいわんほそ道~馬祖──島と島をつなぐ海の道をゆく(前編)

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道とすべきは常の道にあらず。いにしえに生まれた道をさまよいつつ、往来した無数の人生を想う。時間という永遠の旅人がもたらした様々な経験を、ひとつの街道はいかに迎え入れ、その記憶を今、どう遺しているのだろう?連載紀行エッセー、かつては中国大陸福州の外港ともなり、現在は金門と共に中国大陸に最も近い連江県馬祖の海路をゆく。

島は世界の凝縮である

わたしのふるさと山口県の、日本海側は萩市の沖に「見島」という小さな島がある。山口県でもっともアジア大陸に近く、千年以上にわたり地理的な影響をうけてきた「国境の島」である。ここには早い時期に大陸から農耕技術が渡り、1000年前の形をそのまま残す田んぼや灌漑施設、農耕を共にしてきた見島牛がいる。古代の防人らのものといわれるジーコンボ古墳群もある。地元では「ジーコンボ」という名称が台湾と関係あるらしいというが、根拠は明らかになっていない。

「島」は地域や国家、そして世界の凝縮である。水利、電気、食料、経済、廃棄物の陸上における持続可能性、そして島を取り巻く海からの恵みと危険。そこには現代にいたるまでの国民国家の成り立ちの原型があり、環境問題や人口減少、高齢化などの社会問題も顕著だ。もしそこが「国境」であれば、島の性格はさらに際立つ。いま見島には防人の代わりに国境を警備する自衛隊基地があり、のどかな漁村の向こうに見える巨大なレーダーサイトは撃ち込まれた弾道ミサイルも捕捉できるという。

南竿、北竿、東莒、西莒、東引島といった馬祖諸島を結ぶ海路をゆく
南竿、北竿、東莒、西莒、東引島といった馬祖諸島を結ぶ海路をゆく

最前線であった島の歴史

台北から飛行機で一時間弱、連江県馬祖の「四郷五島」のひとつ南竿島の飛行場に初めて降り立った。今年から開催される台湾初の離島アートビエンナーレ馬祖国際芸術島を見に行くためだ。連絡船乗り場へいき、東莒島に向かう。馬祖の風はつよく波は荒いというが、この日は好天に恵まれ揺れもすくない。穏やかに波にのり50分ほどかけて到着すると、目の前に「同島一命(島民一丸となって最後まで戦う)」というスローガンが現れた。迎えのバスも迷彩色で、長いあいだ最前線として閉じられた世界であった島の歴史を感じる。

東莒島では観光バスも迷彩色であった。
東莒島では観光バスも迷彩色であった。

第二次世界大戦がおわり再び火の点いた中国の国共内戦で、1949年に共産党は北京に中華人民共和国を打ち立て、敗戦した国民党は臨時政府を南京から台湾へと移した。そこで対中国共産党の最前線となったのが金門と馬祖である。そのうち、冷戦や民主化を経るなかで「内戦の最前線」から中華人民共和国と台湾(中華民国)との「国境」へと変化したふたつの諸島は、台湾の領土でありながら戦前に日本の植民統治を受けていない「純粋な中華民国(※1)」でもある。

台湾海峡の緊張緩和から、馬祖の軍事管制は1992年に解除され、1994年からは観光客も訪れるようになった。しかし現在も100か所以上にかつての軍事遺跡が残り、その多くは住民さえも立ち入ったことがないという。いきなり携帯電話に次々とショートメールが届いた。「中国大陸の国際Wi-Fiネットワークにローミングしますか?」「海で遭難したならすぐに国境警備に連絡をください」。

そう、わたしはいま紛れもなく「国境」にいる。

軍事拠点の射撃口から海を見ているところで、携帯電話に「国際ローミング」の知らせが届いた。
軍事拠点の射撃口から海を見ているところで、携帯電話に「国際ローミング」の知らせが届いた。

海でつながってきた島々

同じ福建地方といえども馬祖の言葉は福州語(閩東語)をベースにしており、泉州語と漳州語がルーツのいわゆる「台湾語」(ホーロー語/閩南語)を解する台湾人が聞いても殆ど通じないらしい。言葉のうえでも、台湾本島と馬祖は異なる文化圏だ。

お昼に「東莒合歡餐廳」にて、磯の岩のあいだで獲れる貝類のカメノテを食べながら、以前これを食べたのは見島だったなあと思い起こす。名物ムール貝のシーズンはまだ早い。麺線は独特の酒の香をまとい、豚肉は芳ばしくカリカリに揚がり、紅く染まってほんのり甘い。少しひねた梅酒のような「老酒」は、醸した家庭それぞれの味があるらしい。

紅麹と老酒がふんだんに使われる馬祖の郷土料理は、これまで食べた台湾料理に似たところもあるが、海の幸の用い方が個性的だ。そういえば、台湾の地名や飲食の研究で名高い作家の曹銘宗さんに連れられて食べた基隆の料理に、似た雰囲気のものがあった。基隆も古い名前を「鶏籠」(ケーラン)といい、台湾の玄関口として多様な文化を受け入れてきた場所である。馬祖と連絡船で繋がる基隆には、昔から馬祖のひとびとが多く移住してきたという。

馬祖の郷土料理、紅麹に漬けた豚のから揚げ
馬祖の郷土料理、紅麹に漬けた豚のから揚げ

馬祖の郷土料理、磯の香りがする「カメノテ」
馬祖の郷土料理、磯の香りがする「カメノテ」

明朝/清朝のころ、福州は朝貢貿易の主要な港のひとつで、福州から外海に向かって並ぶ馬祖諸島は福州の港を出入りする船が潮待ちや風を避けるための重要な場所だった。南竿や北竿は「竿塘」「官唐」、東莒・西莒は「東沙」「東犬」「白犬」といった地名で中世の海洋地図にも登場する。

明朝末に地理学者が編んだ《籌海図編》の改訂版《籌海重編》の一部。竿塘(今の北竿と南竿)や白犬(今の東莒と西莒)が描かれている。(連江県政府提供)
明朝末に地理学者が編んだ《籌海図編》の改訂版《籌海重編》の一部。竿塘(今の北竿と南竿)や白犬(今の東莒と西莒)が描かれている。(連江県政府提供)

古くは国境に縛られることなく海洋技術を駆使して大海原を駆けめぐった海賊や漁民たちにより、馬祖の島々にもさまざまな文化がもたらされ積み重なってきたことだろう。馬祖で見つかった宋代の陶器の破片は、その頃から大陸と往来があったことを示す。宋連江県文化處處長の吳曉雲さんに馬祖の島々の古い道について描かれた地図がないかと尋ねると、「今ある道路はみんな戦後に軍隊が作ったもので、かつては歩いて山越えすることもあったけど、道らしい道があった訳ではなく、各集落は海で繋がっていたんです」と返ってきた。つまり先ほど連絡船でやってきた海路こそが古からの馬祖の「道」なのだ。そういえば、馬祖の名前の元となった「媽祖」も海からやってきたのだっけ。

媽祖が流れ着いた場所

中国北宋の時代、西暦960年ごろに福建泉州で産声なく生まれた女児「林黙娘」は、幼い頃から聡明で成長するほどに神通力を得たが、28歳のころ漁に出たまま帰らない父親を助けようと海に身を投げ、漁民たちの航海を護る女神「媽祖」になった。その遺体が現在の南竿島に流れ着いたのが、「馬(媽)祖島」と呼ばれるようになった所以である。

16世紀ごろから台湾海峡を越えた移民たちは無事の航海を祈って媽祖像をたずさえ、命からがらたどり着いた土地を開拓し感謝を込めて媽祖廟を建てた。そのため今は台湾のいたるところに媽祖廟があるが、南竿島海辺の馬祖境天后宮には媽祖の遺体が石の棺に入って安置されているという。

境内に入ると空気が驚くほど清冽で、広島の厳島神社で感じたような、静かだが明るく不思議なパワーに充ちた場所である。廟を背に右を見上げれば、海を見つめる媽祖巨神像が真っ青な空に浮かんでいる。像の足元から船の舳のように海へと伸びる黒い台座を設計したのは、日本の象設計集団と共に宜蘭の冬山河親水公園などを手掛けた台湾を代表するランドスケープデザイナーの郭中端さんだ。台座下部は黒い柱を組んだ軍艦内部のように設計され、信仰と軍地基地の記憶が重なる馬祖の海へ、媽祖を乗せた船が今にも滑り出していきそうな臨場感ある美しさである。

馬祖境天后宮からみた山の上の媽祖巨神像が馬祖の海路を見守っている。
馬祖境天后宮からみた山の上の媽祖巨神像が馬祖の海路を見守っている。

故郷の味「高粱コーヒー」

媽祖巨神像のふもとに建つ馬祖で一番大きな伝統市場「介壽獅子市場」の二階に、伝統的な軽食や海産物を売る店に囲まれた小さなカフェ「小柒咖啡」がある。オーナーは南竿に育った邱思奇さん。地元で兵役を終えたあと台湾本島で働き始めた邱さんだが、家族のそばで何かしら郷土の役に立ちたいと思いたち、4年前に島に戻ってきた。最初は医療用ヘリコプターで患者を輸送する仕事に従事していたが、2019年に「小柒咖啡」をオープンした。

邱さんオリジナル、馬祖名物・高粱(コーリャン)酒の薫りをこだわりの豆に染み込ませた「高粱コーヒー」を飲んだ。馬祖の老酒を思わせるフルーティーな芳香に、潮風と、ひと仕事終えた地元の人たちの元気のいい笑い声が混じり合い、複雑な履歴をもつ馬祖の島にぴったりくる味わいである。

このオリジナルコーヒーは、台湾セブンイレブンを経営する統一企業の基金会が主催する地方創生プロジェクトにも採択された。2022年後半には、地元の子供たちへの食育ワークショップを手掛けるとともに、馬祖のセブンイレブン店舗でも邱さんの「高粱コーヒー」が販売されるという。

海の道は、青年の想いをも郷土へと連れて帰ってきたようだ。

(後編につづく)

介壽獅子市場の二階に店を構える「小柒咖啡」、店舗の中からこちらを振り返っている男性がオーナーの邱思奇さん。
介壽獅子市場の二階に店を構える「小柒咖啡」、店舗の中からこちらを振り返っている男性がオーナーの邱思奇さん。

写真は一部を除き、筆者撮影・提供

バナー写真:馬祖のY字路、右手に媽祖廟「馬祖境天后宮」がある。

(※1) ^ 河崎真澄『李登輝秘録』(産経新聞出版、2020)より

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