若林正丈の「私の台湾研究人生」

私の台湾研究人生:転換期に遭遇した幸運

政治・外交

3年間にわたった「私の台湾研究人生」の最終回。1970年代の民主化の萌芽(ほうが)から2000年の政権交代まで、台湾の民主化プロセスを研究者として目撃し、記録した日々は、筆者の人生そのものだった。

歴史になっていく民主化の四半世紀

私は1972年に大学院に進んだ。これをもって研究者としての出発点とすると、私の台湾研究人生は2022年でちょうど半世紀を迎える。

半世紀前のまさにこの年、ニクソン米大統領の歴史的訪中があり、米中「上海コミュニケ」が発出され、この米中接近の衝撃の中で日本は中国と国交を結び、台湾の中華民国と断交した。台湾という土地が米中両大国の地政学的周縁に置かれている状態は今も変わらない。しかし、それから四半世紀もたたないうちに、新たなデモクラシーが誕生することになるとは思いも寄らなかった。それは当時、権威主義体制の打破を強く望んだ人々のビジョンの中にのみ存在した。そしてその後今日までの四半世紀、米中の狭間で激しくもまれつつも、台湾の政治は民主体制によって運営され続けている。

前回も記したように、台湾研究者としての私にとって、この半世紀は、大学院入学から20世紀末日本台湾学会設立の旗振り役をした時までの前半の四半世紀とその後の四半世紀とにほぼ分かれ、その前半と後半とでは何やら時代の記憶の色合いが異なるように感じられる。それは、前半の四半世紀が近年ますます歴史になりつつあるからだと思う。

それをもたらしているのは、早くは2000年代に始まり2010年代により活発になった、民主化期を想起する活動であろう。その一つは、1970年代から90年代まで政治や文化の面で活躍した人物の回想録が本人の著作や口述歴史などの形で次々と出版されるようになったことである。

例えば、前回思い出を記した林瑞明君も、2015年中央研究院台湾史研究所から『奔流 林瑞明教授訪問記録』と題する、専門研究者による注釈がたっぷり付けられた分厚い回想録を出している。彼は台湾文学史研究の草分けの一人として重視されたのであった。

もう一つは、同時期のオポジションの動向を監視し統制し、時に弾圧する側にあった政府諸機関や国民党組織の内部公文書(檔案)が、かつての二・二八事件や「白色テロ」の見直しを求める「移行期正義」の運動に押されて、次第に整理公開されるようになったことである。研究者は、事柄の当事者の回想のみならず、取り締まった官憲側の考え方、行動を知る一次資料までも手にすることができるようになった。これらを駆使した論文や著書も次々に発表されるようになって、民主化期のあれこれは一挙に歴史になっていったのである。

もう一つの「研究人生」が必要

私がnippon.com編集部の誘いを受けて「私の台湾研究人生」を書き始めたのは、台湾の知識界でこうした想起の潮流がすでに明確な流れとなっていた時期であった。私もまた外国からこの潮流にさおさす一人となったわけである。

ではどのように想起するか?理屈の上では二つの選択肢があった。一つは、こうした想起の流れの成果物で自分の見聞を検証しつつ書いていくやり方。もう一つはそれにはあまり頼らず自分自身の記憶と当時の数少ないメモに頼って想起を行うことである。この連載で実際にやってきたのはもちろん後者である。

前者のやり方を採るなら、関連する人物の回想録が出る度に、また檔案(とうあん)資料を用いた研究が出てくる度にそれらをチェックして、自身の記憶・理解を検証してみる必要がある。そうなれば、いきおいこの間に発表してきた時事評論や政治研究の専著の記述・論点も全て見直す必要があるかもしれない。それはそれでスリリングな作業であり、やれればやれるに越したことはないが、今の私には相当に無理筋の事柄である。それをやるには文字通りもう一つの研究人生が必要だろう。

それは「別の研究人生」を持つ若い世代の研究者の仕事であろう。彼らは、私の場合より整った環境の中で、新たな資料に広範囲にかつ高速にアクセスすることができる。そこから生み出される成果によって、私がやってきたことも、自ずと検証される。これに対しては「首を洗って待つ」しかない。ただ、確認しておきたい。「私の首を取る」道具が自由に使える環境は、前半四半世紀の民主化があったからこそ政治的社会的に存在し得ているのである。

研究に投入できるエネルギーが減少する

もちろん、後半の四半世紀にも台湾政治の観察・研究をしなかったわけではない。私は初回総統選挙後に、もう一度台湾政治観察の方法・手法、そして焦点を立て直そうと図ったことがある。例えば、政党と政党システムの変動を観察する。あるいは異なった性格の法律の立法過程に焦点を当てて議会政治の在り方を検討する。こうした焦点の観察・研究を進めることを通じて、台湾の新興民主体制の在り方が浮き彫りにできるのではないか。

だが、これはうまくいかなかった。こうしたアプローチはいわば伝統的政治学のレパートリーに入っているものだが、政治学者の訓練を受けたこともない私にとってはレディメイドではなかったから、取り掛かるには新たな仕込みが必要だった。それがうまくできなかった。

この頃ちょうど勤務先の大学で行政責任のあれこれを引き受けなければならない巡り合わせになっていて、それが日本台湾学会設立と草創期の理事長を務めた時期と重なっていた。月曜から木曜は大学で講義と会議、金曜から土曜は学会や大学の業務のためのメール書きや次の会議の議案の準備などに忙殺され、週末はいつもぐったりしていた。台湾ニュース追跡の眼が切れるようになり始めたのもこの頃であった。もちろん、こうしたことは日本の大学に職を得た研究者であればほとんどの人が経験することで、言い訳にはならない。重い行政業務をこなしながら著作を出し続ける同僚もいるにはいて、何くそと思わぬではなかったが、事実としてはどうしても研究に投入できるエネルギーはかなり減少した。

台湾政治研究の集大成を完成

それでも一つの目標は抛擲(ほうてき)できなかった。1992年に出した初めての台湾政治研究の専著『台湾 分裂国家と民主化』は、1991年の第一次の憲法修正のところまでしかカバーしていない。その後の台湾政治のダイナミックな展開をも書き込んだ後継版を書かなければいけない。そのタイミングはキリのよいところで10年後2002年くらいが適当だろう。そんな目標を立てて、意志がぐらつかないように、92年の本の編集を担当してくれた東大出版会の山中英俊さんのところにもわざわざ決意表明に出向いたりもした。だが、にもかかわらず2002年には間に合わなかった、間に合うべくもなかった。

そんな折、京都大学東南アジア研究所にいた白石隆教授(当時)が、アジアの中産階級に関する国際会議をするから台湾について何か発表しろというので、下手な英語だったが一つ報告をした。その際の幕間の雑談で、台湾では政治体制の民主化とともにいろいろなものが変化するとの趣旨のことを話すと、東南アジアをフィールドとする白石氏も「民主化は民主化にとどまらない」のはどこも同じと応じてくれた。

『台湾 分裂国家と民主化』の後継版の焦点はこのあたりから定まっていったのだと記憶する。同書の末尾に提起していた「中華民国(の)台湾化」という問題展望的な概念を、1970年代初めから政治構造変動を総括する概念として作り直して、時間的にも所論がカバーする範囲を戦後政治史全体に拡げて、10年後に再び巡ってきた長期研究休暇を利用して、何とか2冊目の台湾政治研究の専著を書き上げたのであった。その著書『台湾の政治 中華民国台湾化の戦後史』(東大出版会)の上梓(じょうし)は、当初の目論見に遅れること6年、2008年のことであった。この著書に対して二つの学術賞(アジア太平洋賞大賞、樫山純三賞)をいただいたのは意外であったが、また望外の喜びだった。

『台湾の政治』2008年版[左]と増補新装版、2021年[右]
『台湾の政治』2008年版[左]と増補新装版、2021年[右]

2008年版の台北・中文訳、台大出版中心、2014年
2008年版の台北・中文訳、台大出版中心、2014年

幸運に恵まれた私の台湾研究人生

ここで「私の台湾研究人生」を回想するのは終わりにしておきたい。これ以上語るとすれば、それぞれの著作や論文、それらに用いた概念などの来歴を語るということになる。それは別の形で行うのが適当だろう。

総じて振り返ると、私の台湾研究人生は幸運に恵まれたものだった。語学力も含めた一般的な研究能力をともかくも獲得できた時に、台湾政治の転換期(否、台湾史の、というべきかもしれない)に遭遇した。民主化のダイナミックスを、権威主義体制下の選挙を観察し、オポジションの人物の意見を聞き取る形で観察することができた。こうした転換期には「オポジションから入る」は有効な方法であったと思う。戒厳令下での弾圧のリスクをとって変革を求めて声を上げた人々の主張や感情は、政治構造の変化を観察するための原点になり得たからである。もちろん、私が最初からそのことを見通してそうしたわけではない。これまでの回想にも記したように行きがかりでそうなっていったのである。今の社会科学系の大学や大学院では「リサーチ・デザイン」ということを熱心に教えるが、当時の私にはそんなものはなかった。

若林正丈・家永真幸編『台湾研究入門』東京大学出版会、2020年
若林正丈・家永真幸編『台湾研究入門』東京大学出版会、2020年

幸運は、研究面だけではなくて、大学にポストを得てからの大学院の教育の場にもやってきた。台湾が転換期に沸き立っている時期に東大大学院の地域研究専攻の部門で、新たな熱意・新たな関心で台湾研究をやろうという台湾留学生と、また日本人の学生とによってゼミを持つことができた。

彼らが、それぞれ10年近い年月の研鑽(けんさん)に耐えて、台湾近現代史の新たな分野を一つ一つ開拓していくのを見守るのは実に楽しい経験であった。例えば、戒厳令下ではタブーだった二・二八事件研究、新たな視点からの植民地期「国語(日本語)」教育史研究、台湾近代女性史、台湾近代メディア史、植民地期台北の日本人の生活文化史、近代台湾社会における「青年」の誕生史などなどである。彼らの奮闘の跡は、私の早大定年退職に合わせて彼らが文章を寄せてくれた『台湾研究入門』(東大出版会、2020年)に集大成された。

「台湾でおいしいものをたくさん食べたでしょ」

台湾をフィールドとして地域研究に従事して、楽しかったことはいろいろある。転換期の「状況」に入っていくときのスリリングな面白さ、台湾の人情・風土に触れること、現地に友人ができること——こうしたことをメモに列挙していると、たまたまそれを目にして家人が言う、「もっと大事なことがあるでしょ——台湾でおいしいものをたくさん食べたでしょ」。

今回はこの見解に反対しないことにした。台湾の皆さん、ごちそうさまでした。

※ 本シリーズは今回で終了します。

バナー写真=筆者(野嶋剛撮影)

台湾 研究 若林正丈