たいわんほそ道~台東県成功鎮から長濱郷へ──昔と今、かわらず世界と台湾をつなぐ黒潮

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道とすべきは常の道にあらず。いにしえに生まれた道をさまよいつつ、往来した無数の人生を想う。時間という永遠の旅人がもたらした様々な経験を、ひとつの街道はいかに迎え入れ、その記憶を今、どう遺しているのだろう?連載紀行エッセー、台東の成功鎮から黒潮を眺めつつ、太古の記憶を繋ぐ長濱をゆく。

台湾で海ぶどうを作る

「ひかりさん!久しぶりやね!」

レストランに入ると聞こえてきた、少し関西訛りの溌剌とした日本語の主は陳韋辰さんだ。成功鎮でうまれ育った陳さんは、日本に遊学した後に大阪出身の日本女性と結婚し、現在は台湾東部唯一の「海ブドウ」養殖を生業にしている。陳さんの育てたエメラルドグリーンの小さな宝石が皿一杯に輝く。カジキマグロのお刺身に海ブドウを載せて口に入れると、海の香りと塩気にプチプチと弾ける食感が魚の旨味を引き立てる。陳さんと初めて会った2018年にもこうやって、同じレストランで成功鎮の海の幸をご馳走になった。

陳さんの育てた海ブドウ、台湾では唯一ここだけで作られる。
陳さんの育てた海ブドウ、台湾では唯一ここだけで作られる。

あれから4年。娘さんの進学で妻子は大阪、陳さんは成功鎮と離ればなれの暮らしのうえ、コロナ禍で3年近く会えずに随分さびしかっただろう。あの時、食事のあとに訪れた新港教会会館(旧菅宮勝太郎邸)が今年3月に修復を終えたと聞き、ぜひもう一度行きたいと思っていた。賴清德副総統も駆けつけたという旧菅宮勝太郎邸の盛大なお披露目は、陳さんを大いに元気づけたようだ。

修復を終えた新港教会会館(旧菅宮勝太郎邸)
修復を終えた新港教会会館(旧菅宮勝太郎邸)

日本統治時代の旧支庁長邸宅が地域の交流拠点に

新港教会会館は、日本統治期の新港支庁長だった菅宮勝太郎の退職後の住まいとして1932年に建てられた。戦後は長老教会の信徒であった高端立医師が買い取り「高安診所」として開業、当時としては先進的な西洋医療を近隣に提供した。1990年代、高安医院が休業し取り壊される寸前だった建物を購入したのが長老教会で、以降は地域コミュニティの重要な交流場所となった。2018年に私が訪れた際にも中学生ぐらいの子供たちが一所懸命に掃き掃除をしていたのが印象深く、現在は成功鎮唯一の書店カフェともなった。以前は「高安医院」の一部としてしか認識されていなかった建造物だが、戦前の「菅宮勝太郎」に関わる過去を次々と明らかにしていったのが、陳韋辰さんだった

カジキ漁の港

成功鎮は清朝統治期よりつづく漁師町だが、日本統治期には台湾東部随一の漁獲高を誇る漁港「新港」として知られるようになった。お祭りではカジキマグロの姿をしたお神輿が出るほどカジキ漁で名高く、舳先(へさき)から長い銛(もり)で一突きに仕留める「突きん棒漁」は日本統治期に千葉や大分の漁師から伝えられたといわれる。日本で2017年に公開されたドキュメンタリー映画『台湾萬歳』(酒井充子監督)でも突きん棒漁にたずさわる成功鎮の人々の生き生きとした姿を観られるが、陳韋辰さんはこの映画のプロデューサーでもある。

1883年に現・茨城県神栖市に生まれ1907年に警察官として台湾へ赴任した菅宮勝太郎は、1922年より新港支庁長となった人物である。成功鎮のインフラや港の整備をすすめ、新港を東部随一の漁港として発展させ、退職後も新港に残った。1943年に亡くなり、新港の地に埋葬された。『台湾萬歳』制作に関わったのがきっかけで何度も日本に足を運んだ陳さんは、その度に菅宮勝太郎の縁者を探してまわり、成功鎮が「新港」だったころの記憶をもつ湾生の人々を繋いでいった。

失われた記憶をさがして

2014年の台風で著しく傷んだ新港教会会館だが、陳韋辰さんたちの尽力で日本統治期からの歴史背景が明らかとなり、台湾政府文化部の補助も得て今年の修復完成をみた。日本女性を妻にもつ台湾男性として、日台のルーツをもつ子供の父親として、漁業を取り巻く環境が年々厳しくなる地方の港町を元気づけたい郷土人として、失われた記憶を取り戻し故郷に誇りをもって生きる陳さん。それは家族との結びつきを深めるよすがであり、郷土ひいては自分自身の生き方を肯定する大切なプロセスでもあったろう。

二階のベランダでコーヒーを飲むのが一番好きだったという当時の菅宮勝太郎
二階のベランダでコーヒーを飲むのが一番好きだったという当時の菅宮勝太郎(提供 : 陳韋辰)

菅宮勝太郎が最も愛した成功(新港)の眺めを説明する陳韋辰さん
菅宮勝太郎が最も愛した成功(新港)の眺めを説明する陳韋辰さん

菅宮勝太郎や高端立医師といった歴史人物だけでなく、古い建物に生命を吹きこむ地域の人々こそが、台湾でいま盛り上がる古建築リノベーション・ブームの主人公なのだと改めて思う。菅宮勝太郎が海を眺めつつコーヒーを飲むのをとりわけ愛した二階のテラスから、今は正面の建物に遮られた海に目を向ける。そこには台湾と日本とを暖かな流れで繋ぎ、街に豊かな海の幸をもたらしてきた黒潮が昔も今も変わらずに流れている。

アミ族の言葉による教育のために移住

成功鎮から海沿いの道を車で北上して20分ほどで長濱に着いた。向かったのは、台湾原住民族(先住民)アミ族のルーツをもつ著名なシンガーソングライター、イリー・カオルーとチェン・グアンユー夫妻が経営するイタリアンジェラートの店で、地元の食材を使ったジェラートが味わえる。この日は「パイナップル×ココナツ」「長濱の海塩×黒砂糖」「蜜トマト」「地元の原住民ママの甘酒」といったフレーバーが並び、どれもスプーンが止まらなくなる美味しさだ。グアンユー(陳冠宇)さんとイリーさんは音楽制作をする傍ら有機農法でお米を作り、宜蘭を経てここ台東長濱へ住まいを移した。イリーさんの母語であるアミ族の言葉で教育をおこなう私立学校に娘さんを通わせるためである。

長濱にある、イリー・カオルー、チェン・グアンユー夫妻の経営するジェラート店
長濱にある、イリー・カオルー、チェン・グアンユー夫妻の経営するジェラート店

美濃のダム建設反対など台湾の社会運動とも深く関わるロック・バンド「交工楽団」のメンバーとしても知られるグアンユーさんがプロデュースしたイリー・カオルーの最新アルバム『Longing/あなたをさがして』には、夫妻の書き下ろした短編小説集が付いており、その日本語版翻訳者として関わったのが、二人と知り合うきっかけだった。

翻訳するうちにその作品が大好きになった。一番初めの「ファン」になるような作品と会えることほど翻訳者として素敵なことはないと思う。イリーとグアンユーの作品との出会いはそんな素晴らしい経験だった。そこには、多言語・多民族でありながら長い被統治支配の歴史のなかで無視され、抑えられ、禁止され、忘れられてきた言葉や、生活者としての思い出やイマジネーションが散りばめられている。

イリー・カオル―(左)とチェン・グアンユー(右)
イリー・カオル―(左)とチェン・グアンユー(右)

イリーさんのアルバム『Longing』に付属する小説集は3つの短編から構成され、それぞれ異なる手触りをもった物語だが、日本と関わりの深い作品もある。『17歳のあなた』は日本統治末期に年齢を偽って大阪商船株式会社に応募した17歳の台湾青年「陳連統(日本名/信岡連夫)」の話だ。船乗りになったあと日本軍の徴用船「山鬼山丸」に乗った陳連統は、グアム島の南東に位置するチューク諸島における「ヘイルストーン作戦」で米軍に爆撃されて海底に沈んだ。祖母の弟にあたる陳連統の話を聞いた主人公はネットで「山鬼山丸」を検索し、極彩色の珊瑚に覆われた「山鬼山丸」を画面のなかにみつける。世界最大の環礁ともいわれるチューク諸島は透明度が高く世界有数のダイビングスポットだが、きっと今でもそこに「陳連統」は17歳のまま眠っている。それがこの短編小説の骨子だ。陳連統とはグアンユーさんの実の大叔父である。

イリー・カオル―3枚目のアルバム『Longing』は3篇の短編小説集からインスパイアされた曲で構成される。
イリー・カオル―3枚目のアルバム『Longing』は3篇の短編小説集からインスパイアされた曲で構成される。

手製のカヌーで黒潮に挑む

長濱からしばらく海沿いを北へいくと、海水に岩石が侵蝕されて生まれた洞窟群「八仙洞」がある。旧石器時代における台湾最古の遺跡で、ここから先史文化を示すものが数多く発掘されて「長濱文化」と呼ばれ、少なくとも3万年前にまで遡る。岸壁のうえに三角に鋭く裂けた八仙洞はまるで女性器のようで、なかに入ると海岸からかなり離れているのに打ち寄せる波の音がする。その響きを聴いていると、この裂け目から人が生まれてきたのではなんてロマンチックな想像が搔き立てられる。

少なくとも3万年ほど前から人類の住んでいた形跡がある台東長濱の観光名所・八仙洞。
少なくとも3万年ほど前から人類の住んでいた形跡がある台東長濱の観光名所・八仙洞。

南方から黒潮に乗り日本へと渡ってきたのが南方日本人ルーツという説を最初に唱えたのは柳田國男だが、数年前にも日台共同チームで台湾から沖縄に渡った航海の再現を目指すプロジェクト(「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」)があった。最近では台湾こそが東南アジアや太平洋の島々、マダガスカルなど太平洋に広がるオーストロネシア語族の起源という学説も広がり、今年の夏はそれを裏付けるような貝殻工場遺跡も台湾最南端で見つかった。

長濱の自分たちの田んぼを耕していたらかなり古い時代の陶器の破片が出てくるというイリーとグアンユーにとって、遥かなる時の流れと自然は生活の一部で、八仙洞もふたりの小説『女人島』(女人島とはアミ・タイヤル・ブヌンなど多くの台湾原住民族の伝説に出てくる女だらけの島)に登場する。夫妻は、いつか台湾の原住民と世界を繋いできた黒潮をめぐる海の旅を実現させるため船舶免許を取る準備もしている。

グアンユーさんが制作中の木製のカヌーを見せてもらった。細長い板をつないでサンダーで研磨して滑らかになったらファイバーグラスで覆う。かなり細身で、安定した走行のために完成時には同じ長さのカヌーをスキーのように平行して繋ぐらしい。

細長い板をつなげたカヌーを研磨するグアンユーさん
細長い板をつなげたカヌーを研磨するグアンユーさん

ファイバーグラスで覆う前の船体。年内の完成を目指す。
ファイバーグラスで覆う前の船体。年内の完成を目指す。

かつて黒潮に乗った海洋民族らは、長距離で移動するのにかそれなりのスピードが出る形状にしていたはずで、ならばこの形でないかと考えた。早ければ年内に季節風が吹き始めるころテスト航行する予定だ。最終的な到達目標は台東沖に浮かぶ緑島で、いちばんの難関はやっぱり沖を帯のようにながれる黒潮だ。今も昔も、台湾東部のひとびとの生活も物語も、黒潮は紡ぎつづける。

長濱の暮しのそばにはいつも海があり、そこに横たわる黒潮がみえる。
長濱の暮しのそばにはいつも海があり、そこに横たわる黒潮がみえる。

※陳韋辰さん提供の菅宮勝太郎の写真以外は、すべて筆者撮影・提供

バナー写真:長い「突きん棒」が船の先から飛び出した成功の港の船

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