プロ転向は引退にあらず―既成概念を覆し、羽生結弦が挑む新たなフィギュアスケーター像

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今年7月の記者会見でプロ転向を表明したフィギュアスケーターの羽生結弦が、自らがプロデュースした初の単独アイスショーを終えた。競技時代と遜色ない技術に支えられたプログラムは驚きに満ち、従来の概念を覆す内容だった。プロとなっても挑戦し続ける羽生が思い描く新たなスケーター像と、その可能性を探る。

「アスリートであり続ける」決意

今年7月19日に記者会見を開き、フィギュアスケーターの羽生結弦(27歳)がプロ転向を表明した。そのニュースは日本にとどまらず、世界中に大きな反響を呼んだ。

2014年ソチ五輪、18年平昌五輪と2大会連続で金メダルに輝くなどフィギュアスケート界を牽引してきた第一人者が競技の世界から離れるという決断もさることながら、反響を呼んだ理由は会見で語った言葉にあった。

羽生が語ったのは、プロという場に移っても挑戦し続ける姿勢に変わりないこと、アスリートであり続けるという決意表明だった。

中でもインパクトを与えたのは次の言葉だ。

「何か不思議ですよね、フィギュアスケートって。現役がアマチュアしかないみたいで不思議だなと僕は思っているんですけど、実際、甲子園(高校野球)の選手が野球を頑張っていて甲子園で優勝しました。プロになりました。それは引退なのかなと言われたらそんなことないじゃないですか。僕はそれと同じだと思っていて、むしろここからがスタートで、これからどうやって自分が見せていくのか、どれだけ頑張っていけるかというところが大事だと思っているので」

ここにはフィギュアスケート特有の事情が関係している。

野球やサッカーがそうであるように、他のスポーツではトップカテゴリーに位置するのはプロのチームや選手であり、アマチュアはその下に位置づけられる。ところがフィギュアスケートは、大会に出場する選手が「アマチュア」とされ、競技から退いてアイスショーなどで活躍する存在を「プロ」としてきた。そのため、フィギュアスケートではプロになることが引退として捉えられてきた。

羽生はそれに異議を唱えた。そして従来の概念を覆す決意を示したからこそ、世界各国のフィギュアスケートファンに強烈なインパクトを与えたのである。

記者会見でプロ転向を表明した羽生。その言葉は大きな反響を呼んだ(2022年7月19日、東京都港区)時事
記者会見でプロ転向を表明した羽生。その言葉は大きな反響を呼んだ(2022年7月19日、東京都港区)時事

従来の概念を変えるアイスショー

会見以降、YouTubeチャンネルを開設して練習の模様を配信するなど、これまでになかった活動に取り組む中、プロスケーターとしての第一歩を刻む日が訪れた。11月4日と5日に神奈川県横浜市で開催された「プロローグ」というタイトルのアイスショーである(12月2・3・5日に青森県八戸市でも公演が予定されている)。

初日は11月4日に行われたが、このアイスショーもまた、これまでのショーの概念とはまったく異なるものであった。

アイスショーは多くのスケーターが出演し、それぞれがプログラムを披露したり、集団で踊るパートを織り込むなどして展開される。たいていの場合、1人のスケーターが披露するのは多くて2つのプログラムであり、加えてオープニングやフィナーレで他のスケーターたちと踊る、というのがパターンだ。2時間強の公演時間であっても個人の出演する時間が長いわけではない。

それに対して、「プロローグ」に出演したのは羽生のみ。時間にして約90分、ただ1人で8つのプログラムを演じたのである。これだけの長時間を乗り切った体力は驚異的であった。

驚きはそれだけではない。プログラムでは4回転ジャンプやトリプルアクセル、連続ジャンプなど高難度のジャンプを見せたほか、ステップなどの動作においても競技選手であった頃と変わらないパフォーマンスを示した。長丁場を滑り切ったこともあわせ、羽生がこのアイスショーへ向けてどれほど努力したかをうかがわせる、非常にクオリティの高いショーを披露した。

初日の終演後、羽生は今回の公演に込めた思いをこう語っている。

「これから始まる物語に向けてのプロローグであり、自分がまた新たに決意を胸にして、目標に向かって、夢に向かって一歩ずつ進んでいくんだということ。自分が経験してきたことや皆さんに力をもらってきた事柄をあらためて皆さんと共有しながら、次のステップにつながるように、という思いを込めて企画、構成しました」

その言葉にあるように、企画と構成自体も羽生が自ら手がけている。スケーター自身がショーをプロデュースしたという点も、これまでにない試みだ。

構成に目を向けてみれば、例えば今回披露したプログラムの1つに『ロミオ+ジュリエット』があった。2012年の世界選手権フリーで気迫あふれる演技を見せ、同選手権初出場で銅メダルを獲得する原動力となったプログラムである。まず、2011-2012シーズン当時の大会での映像が場内に流れ、その途中で羽生がリンクに現れ、映像の後の演技を続けた。

一連の流れは観客席に絶妙な効果をもたらした。羽生のスケート人生で刻んだ、重要な場面をあらためて思い起こさせるとともに、プログラムを現在の羽生が演じることで、17歳だった当時から今日への成長ぶりを見せたのだ。

この世界選手権の演技はファンの間では伝説的でもあるが、それを披露することは観客への大きなプレゼントにもなり得る。さらに付け足せば、今回着用した衣装は、12年世界選手権当時と同じものだという。体型に大きな変化がないことを示しているし、厳しい節制と羽生のストイックな姿勢をも物語っている。

プロとして臨んだ初めてのショーで、羽生はブランクを感じさせない滑りを披露した(2022念11月4日、神奈川県・ぴあアリーナMM)時事
プロとして臨んだ初めてのショーで、羽生はブランクを感じさせない滑りを披露した(2022年11月4日、神奈川県・ぴあアリーナMM)時事

アスリートの本能とは挑戦すること

公演では、2つ目のプログラムを演じた後にトークコーナーが設けられていた。事前に寄せられていた質問に羽生が答えるという形をとっていたが、11月4日の初日公演では「これからも羽生選手と呼ばせてもらっていいですか」という質問が取り上げられた。

羽生はこのように答えている。

「プロになった時点で選手ではなくなってしまうということかもしれませんけど、僕にとっては競技をやっていくのとなんら変わらないです。以前より体力と、いろいろな表現力を身につけましたし、これからも選手と呼んでいただけたらうれしいです」

スケーターとしてあらためて示した力量は、競技に取り組んでいた選手時代さながらであった。そして自ら企画や構成を手がけるチャレンジもした。筆者は以前、「アスリートの本能とは挑戦することだ」という言葉を耳にしたことがある。その言葉からすれば、90分の長丁場に挑み、プロデュースにも挑んだ羽生の姿は、まさにアスリートそのものと言える。

そして「選手として呼んでいただけたらうれしい」という言葉には、アスリートであろうとする覚悟と自負が込められていたように思える。

羽生にとってプロ転向後初めてのアイスショーは、「競技から退くこと=引退」と捉えられてきたフィギュアスケートに一石を投じる試みであり、7900人の満員の観客席からのスタンディングオベーションや拍手は、その成功を示していた。

今後、アイスショーが海外でも展開されれば、競技時代と変わらぬ羽生のアスリートとしての姿、そしてチャレンジする姿勢を世界中のファンが目にすることになるだろう。羽生の伝説の第2章は、まだ幕を開けたばかりである。

バナー写真:プロ転向後初めてのアイスショーに挑んだ羽生結弦(2022年11月4日、神奈川県・ぴあアリーナMM)AFP=時事

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