トヨタ社長交代の舞台裏と狙い、佐藤恒治新社長の横顔とは

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4月1日、自動車販売台数3年連続世界一のトヨタ自動車の社長が交代する。巨大メーカーを14年にわたって指揮し、ブランドイメージを大きく向上させた創業家出身の豊田章男(あきお)氏が退任、53歳の佐藤恒治(こうじ)氏に後を託す理由とは何か。二人の素顔をよく知るジャーナリストが、その意図を読み解く。

徹底的に秘匿された社長交代

1月26日、トヨタは4月1日付で豊田章男社長が会長に就任し、佐藤恒治執行役員が社長に昇格する人事を発表した。

その日、筆者は別件の取材でトヨタを訪れていたが、15時半に発信されたプレスリリースでそれを知り、驚いた。同席していたトヨタ関係者も「寝耳に水」だったという。実はこの発表を事前に知っていた人は社内でもごくわずかで、うわさすら漏れないよう情報管理が徹底されていた。

突然の社長交代劇の意図は何だったのか。それを探る前に、まずは章男氏の経歴を振り返っておきたい。

章男氏は1984年にトヨタ自動車に入社。創業家出身であっても特別扱いは一切なく、他の社員と同様の手続きにより入社が認められた。

最初に配属されたのは元町工場(愛知県豊田市)で、8代目クラウンの生産準備にあたった。その後、国内営業などを経て自動車関連の情報を総合的に提供するWEBサイト「GAZOO.com」の立ち上げ、NUMUI(GMとの合併企業)の副社長、IMV(新興国市場をターゲットにした世界戦略車)プロジェクトの統括などさまざまなプロジェクトに関わり、2005年に副社長、そして09年6月に53歳で社長に就任した。

「メディアはもちろん社内でも『お手並み拝見』といった冷ややかな視線が多かった」と章男氏は当時を振り返るが、当時のトヨタはリーマンショックの影響により戦後初の赤字、さらに北米ではリコール問題と最悪の状況。社内には「創業家生まれのボンボンに火中の栗を拾わせればいい。失敗したらその責任を負わせて追い出そう」という空気が漂っていた。

そんな厳しい状況で、章男氏はどんな舵取りを行ったのか? 当時のトヨタでは「売れるクルマ」「作りやすいクルマ」が正義だった。しかし、それは作り手の都合で「お客様目線」ではない。そこで章男氏は「クルマ屋」としての基本に立ち返るため、「もっといいクルマづくり」と「商品を軸とした経営」を中心に据えた。

その実現のために、現地現物、即断即決、カンパニー制、TNGA(Toyota New Global Architecture=新世代の設計思想)、モータースポーツの活用など、大胆な改革をトップダウンで進めた。

23年1月に開催された東京オートサロンで登壇した豊田章男氏。社長自らの積極的なメディア露出もまた、トヨタのブランドイメージを大きく変えた 写真=トヨタ自動車
2023年1月に開催された東京オートサロンで登壇した豊田章男氏。社長自らの積極的なメディア露出もまた、トヨタのブランドイメージを大きく変えた 写真=トヨタ自動車

大胆な変革は「まるで独裁政権のよう」「会社を私物化」などと口さがなく語られることもあったが、それは勘違いも甚だしい。当時のトヨタはいわゆる大企業病に侵されており、責任を負うことを恐れて誰も動かない企業になっていた。そこで章男氏は「自分が全て責任を取る」と動いた。その結果が、2022年4~12月期決算で過去最高の売上高27兆4640億円を記録するなどした、今のトヨタの姿である。

14年に及ぶ章男氏の社長就任期間は、振り返ればさまざまな問題との「戦い」の連続だった。経営では、リーマンショックの後始末、米国の公聴会、東日本大震災、コロナ危機、ウクライナ侵攻に伴うロシアからの撤退、そして半導体危機など困難ばかり。章男氏は「何もない平穏な年は一つもなかった」と語るが、それらを乗り越えただけでなく、しっかりと収益を出せる体制を築き上げた。

商品で言えば、世界のクルマ好きの琴線に触れるスポーツモデルの復活や、クラウンやカローラ、プリウスといったビックネームを大改革。その結果、販売台数は3年連続で世界トップとなった。さらに日本のモノづくりのための「仲間づくり」も積極的に行ない、17年にマツダ、19年にスズキと相次いで資本提携。05年から業務資本提携を行うSUBARUに対しては、出資比率を引き上げて関係を一段と深めている。

2023年1月に発売された新型「プリウス」。世界の自動車メーカーが一気にBEV(バッテリー電気自動車)に傾く中、改めてHEV(ハイブリッド自動車)の可能性を追求した意欲作だ 写真=トヨタ自動車
2023年1月に発売された新型「プリウス」。世界の自動車メーカーが一気にBEV(バッテリー電気自動車)に傾く中、改めてHEV(ハイブリッド自動車)の可能性を追求した意欲作だ 写真=トヨタ自動車

大胆な改革を支えたモチベーション

章男氏は、なぜそこまでして頑張る必要があったのか? その理由は大きく3つある。

まずは創業家の末裔(まつえい)としての責任感である。

「先祖の方々は大変な苦労をしつつ、あまり報いられることなく世を去っていった。彼らの労に報い、想いを引き継いで、彼らが不本意ながらやりきれなかったことをきちんと完成させたい」

次は利益の先にある「何か」の追求だ。

章男氏の経営判断の大原則は「自分以外の誰かのため」。これはトヨタの経営理念である「幸せの量産」、そしてクルマを走らせる550万人に対する「ジャパンLOVE」にもつながる。ちなみに章男氏はトヨタの社長以外に「マスタードライバー」「モリゾウ」「自工会会長」「トヨタ不動産会長」、さらには「FIA評議員」などさまざまな肩書・顔を持つが、それらを引き受ける根底は、やはり「自分以外の誰かのため」である。

そして3つ目には、あまり知られていない「悔しさ」がある。

「昔から『創業家生まれのボンボン』と色メガネで見られてきました。それがゆえに、誰からも応援してもらえない悔しさ、何をやってもまともに見てくれない悔しさ、何をやっても斜に構えて言われる悔しさ、そして『トヨタにはこんなクルマづくりはできないでしょ?』と言われる悔しさなど、たくさんの悔しさを嫌と言うほど味わってきました」

その『悔しさ』を原動力とし、社長在任期間を駆け抜けた結果、トヨタは大きく変わった。特に驚かされるのは、37万人以上が働くグローバル企業でありながら、まるで個人商店のごとく素早くフレキシブルな判断対応ができるようになったこと。その成果は現在の魅力的な商品群に色濃く現れている。

章男氏はトヨタを「クルマ屋」として正しい方向に立て直した。「14年の任期は長かったのでは?」という声も聞くが、全てにおいてマイナスだったトヨタをリセットし安定した経営にするためには、それだけの時間が必要だったわけで、筆者は決して長いとは思わない。しかし、さまざまな行動が一般的な企業経営者と違ったため、いやが応でも目立ち、数多くの誹謗(ひぼう)中傷を浴びてきた。それでも気丈に振る舞ってきた章男氏を救ったのは、やはりクルマだった。

「ドライビングをしている時だけは、頭の中を無にすることができました。だからここまで頑張れたと思っています」

筆者だけに胸中を語ってくれた章男氏に、「まだまだやれる」と思う部分はある。だがこの春、次世代に向けた土台が出来上がったと判断し、章男氏はトヨタを佐藤新社長に託すことを決めた。

2022年8月、ベルギーで開催された世界ラリー選手権(WRC)で、水素エンジン車「GRヤリス」でデモ走行した「モリゾウ」こと豊田章男氏。自らステアリングを握ってレース参戦もすれば、車両開発において評価ドライバーを務めることもあった 写真=トヨタ自動車
2022年8月、ベルギーで開催された世界ラリー選手権(WRC)で、水素エンジン車「GRヤリス」でデモ走行した「モリゾウ」こと豊田章男氏。自らステアリングを握ってレース参戦もすれば、車両開発において評価ドライバーを務めることもあった 写真=トヨタ自動車

退任の理由と新社長に託す思い

決断のきっかけは内山田竹志会長の退任だ。その申し出をきっかけに、章男氏は「トヨタの変革をさらに進めるためには私が会長となり、新社長をサポートする形が一番良い」と考えたという。

章男氏から佐藤氏への社長の打診は、2022年12月にタイで開催された耐久レースの現場で行われた。

「レース中に呼ばれたので行くと、『ちょっとお願い聞いてくれない? 社長やってくれない?』と言われました。最初は冗談だと思ったので、どうリアクションしていいのか分かりませんでした(苦笑)」(佐藤氏)

「私なりの内示の仕方があると思いました。佐藤とは社長室で話をするより、一緒にクルマに乗ることや現場で話をすることが多かった。だから、改めてどこかに呼んで話をするより、その延長線上でお願いした方がいいと思いました」(章男氏)

佐藤氏は1992年に入社、シャシー設計を経て製品開発におけるコンセプトプランナーなどを担当。そして、2017年に登場したレクサスLCではチーフエンジニアとして陣頭指揮を取った。実はこのモデルは「市販を前提としていないコンセプトカーを量産化する」という壮大なプロジェクトだった。

企画当初、佐藤氏はレイアウト検討をするも、当時のトヨタ/レクサスが持つ技術とリソースでは市販化は無理だと判断。即座に章男氏に「LCの市販化はできません」と伝えに行くと、「今できないのは分かっている、それをできるようにするためにはどうすればいいのか? 変えるしかないでしょ」と言われた。そこで佐藤氏は既成概念にとらわれずプラットフォームをはじめとする主要構成部品を新規開発し、市販化にこぎつけた。

佐藤氏が開発責任者を務め、2017年3月に発売された「レクサスLC」。高級車ブランド、レクサスのフラッグシップとなるクーペだ 写真=トヨタ自動車
佐藤氏が開発責任者を務め、2017年3月に発売された「レクサスLC」。高級車ブランド、レクサスのフラッグシップとなるクーペだ 写真=トヨタ自動車

その後、レクサスの開発統括やエグゼクティブ・バイス・プレジデントを経て、2020年1月にLexus Internationalのプレジデント、同年9月にGAZOO Racing company(GR)のプレジデントとなり、「プレミアム」と「スポーツ」の両ブランドのトップとなった。ちなみに現在GRがモータースポーツを通じて開発を行っている水素エンジンを、章男氏に提案したのは佐藤氏である。

筆者が古くから知っている佐藤氏の実像は、「温和なのに熱血漢」「困難も笑顔で受け止める」「結果を残す」という根っからのエンジニア。誰にでもざっくばらんで親身に接することができる人だ。筆者もジャーナリストとしてこれまで何度も辛辣(しんらつ)な質問をぶつけてきたが、いつだって真正面から受け止めてくれた。

佐藤氏もまたクルマ好きであることに違いないが、章男氏が「運転するのが大好き」なのに対し、佐藤氏は「運転する人が笑顔になるクルマをつくるのが大好き」だと語る。愛車は2002年まで生産された4代目スープラだが、最近、程度極上のAE86(カローラ・レビン)を購入したばかりで、マイナーな修理状況でもうれしそうにSNSに上げている。

電撃発表の後、個人的に連絡をしてみたが、「一番驚いたのは、たぶん私です。大役過ぎてクラクラしています。豊田社長のまねはできませんが、自分らしくクルマに向き合いながら頑張りたい」と語ってくれた。

佐藤氏の社長就任は4月1日。100年に一度の大変革期と言われる自動車業界において、世界トップたるトヨタの舵取りを担う 写真=トヨタ自動車
佐藤氏の社長就任は4月1日。100年に一度の大変革期と言われる自動車業界において、世界トップたるトヨタの舵取りを担う 写真=トヨタ自動車

そんな佐藤氏への期待感を、章男氏はこんな言葉で語っている。

「私はもうちょっと古い人間です。未来のモビリティーとはどうあるべきかという新しい章に入るためには、私自身が一歩引くことが今必要だと思いました。彼は私が社長を引き受けた時と同じ年齢(53歳)です。若さに加えて、私の時にはいなかった多様な個性を持った多くの仲間がいます。その2つを武器に、私ができなかったモビリティーカンパニーへの変革を推進してほしい」

新社長に課せられた課題

今回の社長交代で何が変わるのか? 2月13日の新体制発表の席で、今後取り組む課題が3つ掲げられた。それは「次世代BEV(バッテリー電気自動車)を起点とした事業改革」「ウーブン(トヨタが開発する実験型未来都市)の取り組み強化」「アジアのカーボンニュートラルの実現」だ。

次世代BEVの話が出たことから、「豊田章男氏はBEV化への対応遅れをようやく認めて引責辞任、佐藤新体制はBEV化の遅れの取り戻しに全力で挑む」などと報じた新聞・経済誌もあるが、それは完全なミスリードだ。「カーボンニュートラルに全力で取り組むが、正解がわからないから選択肢の幅を広げることが大事」という基本方針は全くブレていない。

佐藤氏も「新しい経営チームのテーマは『継承と進化』です。豊田社長が浸透させてきたトヨタが大切にする価値観があるからこそ、我々がやるべきことは『実践』のスピードを上げることです」と語っている。

ただ、強いて違いがあるとすれば、それは「伝え方」の部分ではないか。章男社長はレースで水素エンジン車のステアリングを握っていることから「水素推し」というイメージが強い。それが理由か、本人は常に「トヨタは全方位戦略」だと語っているにも関わらず、「章男氏はBEV嫌い」とメディア側が曲解してると感じることが多々ある。

佐藤氏は電動化推進の戦略を取る「レクサス」、内燃機関の可能性を探る「GR」と両方のトップを務めていた強みを生かし、その誤解を解いてほしいと思っている。具体像については、4月1日の就任以降の会見で明らかになるはずだ。

バナー写真:社長を退任し、会長に就任する豊田章男氏(左)、新社長の佐藤恒治氏(中央)、会長から退任する内山田竹志氏(右) 写真=トヨタ自動車

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