神楽坂に現れた台湾クラフトビール:「タイフートーキョー」で味覚の小旅行へ!

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東京新宿区神楽坂は、江戸時代から豊かな文化を育んできた街だ。大正時代には有名な花街として知られるようになり、昭和時代には高度経済成長にともない飲食店の激戦区となった。そして平成には世界各国のグルメがしのぎを削った。そして令和となった現在、台湾クラフトビール「タイフーブルーイング(臺虎精釀)」がここに静かに根づいている。

神楽坂の路地奥に台湾クラフトビール

神楽坂の坂道をゆっくりと上っていく。神楽坂のシンボルともいえる毘沙門天(善国寺)の手前の路地を右に入っていくと古民家風の2階建ての建物が見えてくる。入り口にかかる白いのれんは上品ですっきりしており、由緒ある和食の店のようだ。しかし足元の手書きの看板には「台湾クラフトビールと超本場台湾料理」の文字。ここは台湾クラフトビールブランド・タイフーブルーイング直営の「タイフートーキョー」である。

古風な外観からは想像できないスタイリッシュなバースペース
古風な外観からは想像できないスタイリッシュなバースペース

台湾料理店の明るい雰囲気をイメージしながら扉を開けると、目の前に飛び込んできたのはまるで都心の高級バーのような光景だった。ブラック系の壁紙とおしゃれなバーカウンターの後ろには十数本のビールサーバーの注ぎ口が見える。

店内にある階段を上っていくと、2階は一転して、明るい白いタイル貼りの空間。台湾人にはなじみのあるあの光景だ。ステンレス製のテーブルや椅子が並び、壁にはメニュー表などが貼られていて、台湾に戻ったような錯覚に陥る。

全く異なるコンセプトの1階と2階のコントラストが意外な調和を醸し出していた。

クールなバーから階段を上がるとそこは台湾の居酒屋だった
クールなバーから階段を上がるとそこは台湾の居酒屋だった

江戸時代の神楽坂には武家屋敷が並び、毘沙門天を中心とする寺町として栄えた。明治期になり、甲武鉄道の牛込駅(現在の飯田橋駅)の開業とともに急速に発展。花街が生まれ、東京有数の繁華街となった。関東大震災による被害が比較的小さかったこともあり、大正末期から戦前にかけては、さらににぎわいを増した。尾崎紅葉や泉鏡花ら明治期を代表する文人が居を構えるなど、文化の薫る街でもあった。

戦後の高度成長期には花街として再び活気を取り戻し、料亭政治の舞台ともなった。

クラフトビール大国への挑戦

日本は世界的に知られるクラフトビール大国である。1994年の酒税法改正をきっかけに各地にクラフトビール醸造所が誕生した。2021年の統計によると全国に500軒以上の醸造所が存在している。いわば「クラフトビール戦国時代」なのだ。

そんななかなぜ台湾のタイフーブルーイングは日本上陸を決め、神楽坂の地を選んだのだろうか? 同社広報の陳襄さんは都内各所を視察し、神楽坂の風情が大いに気に入ったと話してくれた。「豊かな文化と長い歴史があり、落ち着いた場所だと感じました」という。

タイフーブルーイングは、神楽坂で長く営業していた割烹(かっぽう)が店を閉じた後にタイフートーキョーを開店させることにした。

店のシンボルマーク瓢箪(ひょうたん)の中に虎とホップが描かれている
店のシンボルマーク瓢箪(ひょうたん)の中に虎とホップが描かれている

個性あるクラフトビールを楽しむことができる
個性あるクラフトビールを楽しむことができる

台湾のタイフーブルーイングの店舗には現代的でスタイリッシュなデザインの店がある一方で、日本統治時代の古民家を改装した「和モダン」の店舗もある。東京の店は2つの要素を組み合わせ、現地の文化と融合させた例であると言えるだろう。

「店の外観は変えていません。私たちは台湾料理と台湾クラフトビールが日本の生活と交わることを願っています。たとえ外国の料理であっても現地の文化と溶け合うことができるのです」。店の運営を担当している田中真之介さんは台湾文化が好きで、台湾人と結婚した。タイフーブルーイングに入社して以来、台湾クラフトビールの普及に力を注いでいる。

味覚の世界小旅行へ!

クラフトビールの人気の秘密はそ土地の特産品の風味を生かした個性的な味わいにある。タイフーブルーイングのクラフトビールは、主にホップを大量に用いる「IPA」という製法のビールに台湾ならではのフレーバー、例えば仙草、蜜餞(フルーツの砂糖漬け)、洛神花(ローゼル・ハイビスカス)、青梅や陳皮が組み合わされている。

仙草は中国原産の植物で、のどの渇きを潤し、暑気を抑える漢方食材として知られる。仙草ゼリーは台湾ではおなじみの人気のデザートだ。しかし、独特な香りのため、苦手な人にとっては、仙草を使ったクラフトビールがまるで薬を飲んでいるように感じられるらしい。田中さんは「日本では好き嫌いがはっきり分かれますね」と話す。

みかんの皮を乾燥させた「陳皮」のビールにも独特の苦味がある。蜜餞で作られたビールは日本在住の台湾人がよく注文する。青梅ビールは梅好きの日本人の舌に最も合う味であるようだ。田中さんによると「クラフトビールのファンに言えるのは、みんな新しい世界、新しい味を探求するのが好きだということです」という。その国独自のクラフトビールを味わい、味覚の世界小旅行に出かけるのだ。

缶ビールは、ポップな色使いがかわいい
缶ビールは、ポップな色使いがかわいい

100%の「小台湾」を体験する

タイフートーキョーでは、ビールだけでなく多種多様な台湾料理を提供している。特に2階は「熱炒(台湾式居酒屋)」の雰囲気たっぷりだ。にぎやかな店内は台湾に帰ったかのような気持ちになる。

料理を作るのは厨房長の長家りかさん。台北出身の正真正銘の台湾人だ。長家さんは日本人と結婚したのを機に改名し、神楽坂の近くに住んで十数年になる。そしてタイフートーキョーの開業時から働いているスタッフでもある。長家さんは過去に銀座で店を経営したことがあり厨房の経験もあるが、タイフーブルーイングの調理担当になってからは、食材について情報収集したり、台湾現地での最新のトレンドを調べるなどして、店のメニューに活かしている。

「私たちは台湾の味を100%再現しています。特にコロナ禍で台湾に行けなかった日本のお客様に『小台湾』に来た感覚を味わって欲しかった」と長家さんは話す。本社も東京店が本場の台湾料理を提供する方針を支持しており、日本人の食習慣に合わせたアレンジをすることはない。

しかし日本では入手できない素材もある。例えば「炒海瓜子(アサリ炒め)」「三杯雞(鶏の炒め煮)」で使う台湾バジルは日本にはないので、別の材料を使うしかない。また「酸菜大腸(モツの酸菜炒め)」の場合、生の豚モツの仕入れが難しいことから加熱済みのモツを使用するなどしている。熱炒に求められるのはスピーディな料理の提供だ。当初、長尾さんが一人で厨房に立っていた頃は目も回る忙しさだったという。しかし長家さんは日本人の客に台湾の家庭の味を味わってもらえることに喜びを感じるという。

台湾にいるかのような気分を味わえる
台湾にいるかのような気分を味わえる

コロナ禍を経て

2020年3月以降、新型コロナウイルスのまん延は世界に停滞をもたらした。そんななかタイフートーキョーは同年6月にオープンした。2021年には緊急事態宣言の影響で半年間の休業を余儀なくされた。「まん延防止期間」は酒類の提供が夜8時までと定められ、店にとっては厳しいスタートとなった。

店内でのビールの提供ができなくなったため、テイクアウトサービスに乗り出した。テイクアウトでも注ぎたてのクラフトビールの味を味わってもらえるよう透明のガラス瓶を用意したそうだ。「あのとき『おうちタイフー』を利用してくれたお客様には本当に助けられました」と田中真之介さんは振り返る。

まん延防止期間では、飲食店の営業は日中のみとなったため、ランチ営業がメインとなった。「ランチでビールを一杯注文してくれる会社員のお客さんにも目かけられました」と田中さん。また6時半に仕事を終えるとその足で急いで来店する客もいたという。ある客の「台湾のものが食べたいんだ」という言葉にタイフートーキョーのスタッフは深く感動した。

田中さんは感慨深げにこう振り返った。「『台湾ロス』という言葉がありましたよね。台湾に行けないことで喪失感を感じた日本のお客様が本当にいたんです」

コロナ禍が収束し、神楽坂にかつてのにぎわいが戻ってきた。店は徐々に軌道に乗り、2023年に入ってからは日々の売り上げも好転している。田中さんによると夏以来、台湾から取り寄せている酒樽の量は「ほぼ倍増している」という。将来的には店をクラフトビールだけでなく、台湾の本格的な食文化の「発信地」にしたいと考えているそうだ。江戸時代から続く歴史ある街・神楽坂でタイフーブルーイングはクラフトビールで新しい食文化の世界を切りひらこうとしている。

タイフートーキョーのスタッフ(筆者撮影)
タイフートーキョーのスタッフ(筆者撮影)

筆者撮影の1枚を除き、バナー写真、本文中の写真は仙波理撮影

台湾 クラフトビール 居酒屋 神楽坂