経験したから痛いほど分かる:「誰かを頼って」「どうか生きて」、兵庫から能登へメッセージ

防災 気象・災害 社会

【神戸新聞】能登半島地震の発生から1日で1カ月となる。神戸新聞社がインターネットで募り、寄せられた被災者への応援メッセージは、阪神・淡路大震災を経験した兵庫県民を中心に400件を超えた。29年前を思い出すと、わがことのように心が痛む。兵庫からできることは限られているのかもしれない。それでも、とにかく祈りたい。どうか、生きてほしい-。

「皆さんが今どういう境遇にいるのか、痛いほど分かります」

29年前、自宅が全壊した神戸市中央区の60代女性は「心は皆さんと共にあります」とし「日本中の人が心を痛め、自分にできることを実行している。どうか希望を失わず、今は生きることだけを考えてください」と記した。

阪神・淡路大震災で崩れ、焼けた街。なんとか毎日を生き抜いた経験に裏打ちされたような言葉が回答欄に並んだ。ひときわ目立ったのは、助け合った記憶だった。

同市東灘区の70代男性は、過酷な避難所での生活にも「住民同士は助け合いがあった。それを機会に親しくなった人も多い」と振り返る。一方で「避難所から次の住まいに移れずに取り残された人の表情が険しかったのも、記憶に残っている」とも。

男性は「仮設住宅、その後の住まい、生活の再建。考えることや不安なことが山積みだと思います。あまり頑張り過ぎると押しつぶされます。遠慮せず、周囲の人や行政を頼ってください」と心を寄せた。

同市長田区の60代女性も「ボランティアの人やお世話をしてくださる方々に頼ってください。うちは誰も亡くなっていないから、とか思わないで。我慢だけはし過ぎないでください。皆さんが被災者ですから」と思いをつづった。

当時生後5カ月だったわが子と避難所に身を寄せた50代女性(神戸市)は「周りの誰かがいつも子どもを抱っこしてくれて、沸かしたお湯を優先的に届けてくれて、『お母さんが栄養を取らないと』とおにぎりをたくさんいただきました。ほんとに皆さんの優しさがいっぱいでありがたかった」と回想。「気持ちを前に向けるのにはとても時間がかかると思います。どんな形でも、どうか生きる気持ちだけは失わないで」と願った。

同市長田区の40代女性は、全壊した自宅で見つけた賞味期限がぎりぎりのパンを分け合った記憶をたどりつつ「阪神・淡路の際は『もう無理だ…』と思った。19歳でしたが、今は40代後半。復興してありがたい生活を送れていますので、希望を捨てないでください」。

同市の60代女性は「体育館も教室も満員で、階段で過ごした。寒くて寒くて一睡もできなかった」と避難生活を思い返し、能登に向けては「いつ家へ帰れるのか、いつ家を再建できるのか、仕事は、学校は、と焦るかもしれません。今はなるべく考えずに、少しずつ前へ進む方がいい。震災による傷は何年たっても消えるものではないですが、分かり合える人と震災のことを話すのもいいかと思います」と経験談を贈る。

「神戸の街も亡くなった身内も、元には戻らない」。神戸市須磨区の50代女性は率直な気持ちを回答欄に打ち明けた。能登半島地震の報道に触れると、フラッシュバックすることもあるという。その上で言葉をつないだ。

「とにかく助け合って。知らない人でも誰かを頼ってください。孤独にならないで。不安、怒り、悲しみ、虚無感など一人で抱え込まず、耐えずに共有してください。私もある程度は立ち直っています。それは当時、協力して『がんばろう神戸』って前を向けたからだと思います」

親戚と友人を亡くした60代女性(同市兵庫区)は「毎日報道を見るたびに胸が締めつけられ、自分のことのように思いました」。同市の50代女性は「泣きたいときは思い切り泣いてください。町並みを眺めて絶望したら、今の神戸を見てほしい」とした。

記事:大田将之
バナー写真:能登半島地震の避難所で足湯を提供する神戸大学の学生ボランティア=石川県七尾市で(撮影:笠原次郎)
©copyright kobeshinbun

阪神淡路大震災 神戸新聞 能登半島地震